2025年度版 渡辺松男研究 2の35(24年11月実施)
『泡宇宙の蛙』(1999年刊)P171~ Ⅳ〈蝶いちまい〉
参加者:M・A、(岡東)和子、鹿取未放
事前意見:菅原あつ子、・山田公子
272 数千の鴨に見られてあゆみおり真冬の岸辺鴨のかずのわれ
(事前意見)
◆真冬の岸辺をたくさんの鴨を見ながら歩いている。すると鴨もこちらを見ている。数千の鴨それぞれが見ている数千の私がいるのだ、と…鴨を見るのは鳥好きには楽しい。かわいいななどと思いつつ見ている。けれど鴨たちは警戒をしながらこちらを見ているのだ。数千いれば数千が見ている自分がいるのはとても新鮮だが恐ろしくもある。けれど、作者はその緊張感をも、楽しんでいるようだ。こういう歌は、発想の転換、気づき、発見の歌というのかもしれないが作者 にとってはとても自然な捉え方なのだろうと感じる。(菅原)
★真冬の岸辺に数千の鴨に見られながら歩くって?まず、その光景を想像した。数千の鴨!に見られたら、いくらわれも数千いたとしてもとても歩けない。恐怖で足がすくんでしまう私である。松男氏らしい発想と畏敬の思いがあります。(山田)
(当日意見)
●私はけえっこう好きな歌です。数千の鴨に見られているので、鴨の一羽一羽に〈われ〉が写っているから〈われ〉は数千存在することになる。それを発見した面白さだと思うんだけれど、レポートのお二人は怖いという。ヒッチコックの鳥のような感覚なんでしょうかね。(鹿取)
●前回だったかな、鑑賞した作品に、「一のわれ死ぬとき万のわれが死に大むかしからああうろこ雲」ってありましたよね、あれと同じ発想かなと。あれは面白かった。今回の歌では自分が増殖して数千の鴨の眼の中にいるというイメージですね。でも、数千の鴨がいる岸辺なんてあるのでしょうか?(M・A)
●まあ、ないでしょうね。(鹿取)
●100羽ならありますよね。(岡東)
●鴨も増殖して見えているのかな。映しあって増えてゆくってありますよね。怖いというのもわかる気がします。一首一首こだわって読むよりさらっと全体を読んだ方が立ち上がってくるものってありますよね。無意識の広がりというか。そんなことも感じました。(M・A)
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