かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 85

2022-05-16 10:21:03 | 短歌の鑑賞
  22年改訂版 渡辺松男研究2の12(2018年6月実施)
    【ミトコンドリア・イブ】『泡宇宙の蛙』(1999年)P60~
     参加者:泉真帆、K・O(紙上参加)、T・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


85 おばあちゃんタバコをふかすおばあちゃん紅梅よりずっと遠くを見ている

 (E)このおばあちゃんが見ている遠く、日が暮れて現れる火星に重なるところも暗示
    的です。(K・O)(紙上参加)


       (レポート)
 詩人の鶴岡善久がこんなことを書いていた。
 【「渡辺松男の「おばあちゃん」の取り上げ方は、母や妣に比較していささかユーモラス
 でのどかである。紅梅よりさらに遠方を見ているという下の句の表現に「おばあちゃん」
 の長寿を喜ぶ気持の広がりが感じられて快い。」(鶴岡善久「森、または透視と脱臼—渡
 辺松男歌集『泡宇宙の蛙』を読むー」より引用 「かりん」2000年2月号)】
 母や妣の歌には血の濃いつながりや葛藤を感じたが、「おばあちゃん」は血を濾過したよ
 うにほがらかだ。タバコを吸う(・・)のでなく「ふかす」のが、何とものどかな風景をイ
 メージさせる。大陸の大きさを感じる。(真帆)


      (当日意見)
★川野里子さんも現代短歌に絡ませて文体や現代性という視点から鋭い意見を言っておられ
 ます。鶴岡さんの評論はとてもユニークな優れたものですが、この85番歌に関しては私
 は鶴岡さんと意見が違って、「長寿を喜ぶ気持ち」とは思えません。後に満州が出てくる
 ので、戦争とかおばあちゃんの個人史に関係している歌だろうと思います。また、この
 「〈おばあちゃん〉の呼びかけにこもる微かな毒が読み取られるべきだろう」という川野
 さんの意見にいたく賛成です。私の評論にもこの呼びかけについては似たようなことを書
 いています。それから、うろ覚えでものを言ってはいけないのですが、俵万智の『サラダ
 記念日』の「オクサンと吾を呼ぶ屋台のおばちゃんを前にしばらくオクサンとなる」の歌
 について「おばちゃん」という呼びかけに対して、松男さんがどこかで苦言を書いていた
 んですね。本人は親しみを込めて書いている積もりだろうが、実は「上から目線」の呼び
 かけだと。(松男さんは「上から目線」という言葉は使っていませんでしたが)分かりや
 すくいえばそういう批判だったと。だから、松男さんはこの歌の〈おばあちゃん〉をとて
 も意図的に使っているはずなんです。もちろん、俵さんの歌と違って「上から目線」の呼
 びかけではありません。(鹿取)
★後に満州って出てくるから、「もっと遠く」はかつての満州だったり、このおばあちゃん
 の過去だったりするんでしょうけど。(鹿取)
★若い人は近くを見ている。おばあちゃんは常に遠くを見ているんです。おばあちゃんには
 現在よりも過去の方が近いものだからです。(慧子)

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