かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 86

2022-05-17 13:38:31 | 短歌の鑑賞
  22年改訂版 渡辺松男研究2の12(2018年6月実施)
    【ミトコンドリア・イブ】『泡宇宙の蛙』(1999年)P60~
     参加者:泉真帆、K・O(紙上参加)、T・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


86 自転車にも乗れないんだねおばあちゃん一日はどのくらいながいの

 おばあちゃんの一日の長さは、人類史の長さも彷彿とさせるようにも思います。
      (K・O)(紙上参加)


       (レポート)
 「一日はどのくらいながいの」とは不思議な問いかけだ。どこかはるかに遠いところにいる「おばあちゃん」へ問いかけているとき作者の心は少年に還っているよう。(真帆)


      (当日意見)
★私はこの歌は文字通りにとって、自転車にも乗れないおばあちゃん、おそらく新聞も読ま
 ないだろう。一日ぼんやりして過ごしているおばあちゃんにとっては、一日は気が遠くな
 るほど長いのじゃないかと作者が思いやっている。(鹿取)
★このおばあちゃんは亡くなってしまっているんでしょうか?それとも目の前にいて、おば
 あちゃんと少年が語り合っている場面なんでしょうか?(真帆)

      (まとめ)
 おばあちゃんは生きて目の前にいるという設定なのだろう。そういうおばあちゃんを造型しているのだろうが、実景であってもかまわない。おばあちゃんに話しかけているのは少年とは思わなかったが、レポーターのようにおばあちゃんという呼びかけから作者の分身である少年ととることもできるだろう。もっとも話しかけてはいるけれど答えを貰おうとしている訳ではない。一日はどんなにか長いことだろうなと思いやっている。(鹿取)


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