かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 209

2021-04-23 17:31:16 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 25(15年3月) 【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
   参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

209 星雲が幾億の星孕みつつ哭いていないとどうして言える

      (レポート)
 はてしなく、とらえきれない宇宙の銀河系内外、いずれにもある星雲が幾億の星からなっていること、「孕み」はとほうもなくて想像すらあたわない。その感覚は哭きたいほどの言いしれぬものなのだろう。それを、そのまま星雲に移して「哭いていないとどうして言える」と詠った。説明によらず、このように身体的に表現されるとよく胸に落ちる。(慧子)


       (意見)
★やはり人間に擬しているのだと思います。星雲でも何でもこの人は自分のように考えていらっし
 ゃるのよね。(曽我)
★ハッブル望遠鏡では100億光年のかなたが見えるそうですが、星雲は雲のように泡立っていて
 泣いているように見える、そんな状況を思い出します。そこで星が生まれなくなっていく。人間
 にもあるように宇宙にも生死がある。そんな宇宙の悲しさを感じました。(石井)
★これは私、好きな歌です。「哭いていないとどうして言える」と反語的に言って「哭いてい」る
 ことを強調しています。心が無いはずの星雲そのものが哭いていると作者は感じているんです。 
「孕み」だから妊娠するように幾億という数えきれない星を星雲はお腹の中に抱えていて、これ 
からもそれを生み出してゆく。あるいは無数の星から構成されていることを比喩的に「孕む」と
 言っているのかもしれませんが。慟哭の「哭」で「哭く」だから大泣きしてるんです。存在を生
 み出す母性の恐れや悲しみが意識にあるかもしれないけど、「存在」そのものがもつ不安とか悲
 しさを詠んでいると思います。宇宙というスケールで、「在る」ということを考えると星雲だっ
 て哭きたくもなりますよね。(鹿取)

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