かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 32 

2023-04-30 08:52:46 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究5(13年5月実施)
    『寒気氾濫』(1997年)橋として
     参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター  鈴木良明 まとめ  鹿取 未放


32 秋の雲うっすらと浮き〈沈黙〉の縁(へり)に牡牛(おうし)は立ちつづけたり

         (レポート)    
 秋の雲がうっすらと浮き、何と長閑な草原の風景か、と思って読むと、とんでもない。沈黙が生の力となって充満し、同じく生の力である牡牛をその縁に追いやり、立ちっぱなしにさせていたのである。たぶん、牛は時々啼くこともあり、草を食み反芻することもあり、その辺をうろつくこともあり、沈黙との関係でいえば、沈黙を出入りする存在であるから、当然、その「縁」に位置づけることになるだろう。(鈴木)


      (当日意見)
★これはニーチェですね。生あるものは自らの力を発揮しようとする、そういう世
 界観をニーチェは持っている。月や太陽は引力とか遠心力によって均衡している。
 それに仏教的な考えを抱き合わせてイメージしていくと分かりやすい。(鈴木)
★すごく魅力的な歌なんだけど、私は解釈しづらかった。この〈沈黙〉というのは
 どこにあるんですか。(鹿取)
★作者が眼前の風景を目にしたときに何の音もしなかった。〈沈黙〉が支配してい
 る。そこにたまたま牛がいて作者が見たときにはたたずんでいるだけ。そういう
 場面に接したとき、風景の力というものを感じたのではないか。(鈴木)
★縁、っていうのは面白いですね。この間鑑賞したところではお父さんの背中が沈
 黙だったんだけど。ここでは風景そのものが沈黙していて、その縁に牛がいる。
〈沈黙〉の縁(へり)というとらえ方がとても美しくて哲学的。私は秋の雲がうっすら
と浮く風景の中で〈われ〉が沈黙していて、はるか向こうに立っている牡牛がずっ
 と〈われ〉の視野に在り続けているって解釈していました。だから「同じく生の力
 である牡牛をその縁に追いやり、立ちっぱなしにさせていたのである」というレポ
 ートには違和感があって、牡牛はもっと自由な存在で、自分の意思で立ち続けてい
 るのだと思います。(鹿取)
  
コメント
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