かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 31

2023-04-29 10:49:42 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 渡辺松男研究 5(13年5月)
     『寒気氾濫』(1997年)橋として
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター  鈴木良明 まとめ  鹿取 未放


31 生きて尾を塗中に曳きてゆくものへちちよちちよと地雨ふるなり

     (レポート)
 32番歌(秋の雲うっすらと浮き〈沈黙〉の縁に牡牛は立ちつづけたり)、33番歌(橋として身をなげだしているものへ秋分の日の雲の影過ぐ)は、作者の身体を自然界のものに投影し、そこでの実感を詠んでいる。従来の自然詠が自然に対峙し外から詠んでいるのに対し、作者は身体感覚の拡張により自然界に入り込んで、その内側からの実感を詠んでいるのだ。また、ニーチェの〈力への意志〉は生物に限らず、あらゆる事物の発展、生起、衰退など広範囲に及ぶものだから、その観点から、この世界に充満している「生の力」を表現したものともいえる。
「生きて尾を塗中に曳きてゆくもの」とは、具体的には蛇や鰻、泥鰌などを思わせるが、はっきり言わずにこのように抽象的に言うことで、それらのものの名指しがたい生の力が感知される。また、「ちちよちちよ」は、みのむしの鳴き声として、古来から「父よ」や「乳よ」にかかる言葉として使われてきたが、ここでは、「塗中に曳きてゆくものへ」の慈雨としての意味合いから、地雨(決まった強さで降り続く雨)のオノマトペとして用いており、効果的である。(鈴木)


       (当日意見)
★「生きて尾を塗中に曳きてゆく」は中国の諺だった気がする。鹿取さんがいつか
 歌っていらした。(慧子)
★「荘子」の「秋水編」にあります。『寒気氾濫』の出版記念会で辰巳泰子さんが
 この歌を「荘子」を引用してながら褒めていらしたのをよく覚えています。日本
 語訳だけ、ちょっと読んでみます《後に記述》。まあ、そういう泥の中に尾を曳
 いているものの上に地雨が降っている。鈴木さんの解釈の慈雨というのはいいな
 と思います。「ちちよちちよ」は鈴木さんのレポートにあるように蓑虫の鳴き声
 ですけれど、枕草子を参考にすると分かりやすい《後に記述》。ちょっと蓑虫の
 子が哀れですけど。泥の中に尾を曳いて生を送っているものに、ちちよちちよと
 慈雨が降りそそいでいるって優しいですね。「ちちよちちよ」の部分は「枕草子」
 では蓑虫の親に向かっての求めですけど、ここでは天から甘露のように地雨が降
 っている。もっとも松男さんは「地雨」って書いていますが。(鹿取)
★「荘子」の亀っていうのは結局どういうものなんでしょうね。(鈴木)
★政治のトップとかに居座ったりしないで在野で思索しながら心豊かに自由に生き
 ている人。(鹿取)
★実際、群馬県ではこういう場面を目撃することがあるんでしょうね。それを踏ま
 えて詠んでいるから、言葉がとてもリアル。田舎の泥の中がありありと浮かんで
 くる。そういう実景の背景に荘子だとかニーチェの「力への意志」だとかがある。
   (鈴木)
             
      【「荘子」秋水】 (福永光司/講談社学術文庫) より
 荘子が濮水のほとりで釣りをしていた。そこへ楚の威王が二人の家老を先行させ、命を伝えさせた(招聘させた)。「どうか国内のことすべてを、あなたにおまかせしたい(宰相になっていただきたい)」と。荘子は釣竿を手にしたまま、ふりむきもせずにたずねた。「話に聞けば、楚の国には神霊のやどった亀がいて、死んでからもう三千年にもなるという。王はそれを袱紗(ふくさ)に包み箱に収めて、霊廟(みたまや)の御殿の上に大切に保管されているとか。しかし、この亀の身になって考えれば、かれは殺されて甲羅を留めて大切にされることを望むであろうか、それとも生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むであろうか」と。二人の家老が「それは、やはり生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むでしょう」と答えると、荘子はいった。「帰られるがよい。わたしも尾を泥の中にひきずりながら生きていたいのだ」


     【「枕草子」41】
虫は、鈴虫。 蜩。 蝶。 松虫。蟋蟀。はたおり。われから。ひを虫。螢。
みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「いま秋風吹かむ折ぞ来むとする。待てよ」と言ひおきて、逃げていにけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く。いみじうあはれなり。

コメント
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