かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 22

2023-04-11 10:34:48 | 短歌の鑑賞
    2023年度版 渡辺松男研究4【地下に還せり】
      (13年4月実施)
      『寒気氾濫』(1997年)12~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、鹿取未放
      司会と記録:鹿取 未放(再構成版)


22 寒雲をひとつ浮かべてしずまれる空そのものの無言 父の背

     (当日意見)
★父の背中から非常に通俗的な読みができる歌はたくさんあるだろ
 うけれど、この歌はとてもスケールが大きくて通俗性を全く感じ
 ない。評者は叙景と言っているがそうなのかな?一字あけの前後
 がイコールで結ばれている訳ですが、「寒雲をひとつ浮かべて」
 いるところまでは叙景だけど、しずまれる空を無言ととらえてい
 るところは比喩であって叙景ではない。これが渡辺さんの歌い方
 だと思う。通俗的になりがちな父の背を、精神の高みに導いてく
 れるような歌い方に魅力を感じる。(鹿取)
★寒雲と言った場合寒々としたわびしさのようなものが感じられ
 る。それを父の背が映し出している。身体によるメッセージだ。
 身体としての言葉が背中とかに表れてくる。ニーチェの言葉をあ
 えて出すと、「私は身体である。霊魂とはただ身体に属するある
 ものをあらわす言葉にすぎない。身体は一つの偉大な理性であ
 る。」(「ツァラツストラ」身体を軽蔑する者たちについて)
 と言っている。普通われわれが考えているのとは逆のことを言っ
 ている。まあ、ニーチェが言っているからというのではなくて日
 本人だと無言の父の背中は分かるところがある。空は何も言わな
 いけれど無言のメッセージを放っていて、父の背もそうだ。映画
 で言うと高倉健のよう。(鈴木)
              
コメント
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