Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2018年11月30日(金) [和束]鷲峰山の行場ルートの秋を楽しむ!

2018年12月03日 | 山登りの記録
■メイン写真
険しい岩場が続く、鷲峰山の行場ルート。


■今回のコース
金胎寺→迎へ行者→行場の辻→東覗→西覗→胎内潜→千手の滝→五光の滝→護摩壇→
鐘掛→小鐘掛→平等岩→蟻の戸渡り→行場の辻→迎へ行者→金胎寺→
金胎寺本堂・多宝塔→鷲峰山山頂(宝篋印塔)→金胎寺




修験の山、金胎寺が建つ鷲峰山。
金胎寺の歴史は古く、白鳳4年(675年)、修験道の祖・役行者が開き、
722年に越智泰澄大師が中興したという。平城京の鬼門封じとして、聖武天皇によって
堂が建立され勅願寺となる。奈良の大峰山に対して「北の大峰」と呼ばれ栄えた。



鷲峰山の行場ルートは事故も多い難路。険しい岩場が続く。
通常の登山装備で歩く人も多いが、Mr.Dashがこのルートを歩くときはいつもヘルメット、
ハーネス装着で備える。
セルフビレイの方法と、フィクスロープでのプル―シックによる登降方法をレクチャー。



入山料300円を支払い、両手を合わせて出発する。



迎へ行者。役行者像が鎮座している。ここから先が行場ゾーンとなる。



行場の辻。ここで左の道をとる。沢筋に下り、ふたたび岩壁を登って周回し、
右の道から帰ってくるのだ。



お待たせ! とうとう急な下りが始まった。
ウリハダカエデの落葉に足を取られないように細心の注意で下る。



東覗。岩の先端に立つと、3方がスッパリ切れ落ちている。
自然の前には人間は無力なことを実感する。



西覗。東覗より足場は広いものの、開放的な雰囲気のせいで迫力がある。



前半戦のクライマックスは、長さ50mほどある急な岩場の下り坂。
始めこそ鎖が付けられているが、後半は何もないので、ザイルをフィクスして
先ほど伝授したプルージックを使って慎重に下降する。



胎内潜。狭い岩穴を潜り抜ける。再生(生まれ変わり)の象徴というわけか。



潜り抜けた先が切り落ちており、要注意ポイントだ。



沢筋まで降りてきた。千手の滝に到着。この日は水量が少ない。



五光の滝。ご神木の杉の木と、カエデの紅葉。
美しすぎるこの場所で、ランチタイムを楽しむ。
最近普及してきた、お湯をかけて3分でできるご飯を持参の方もちらほら。



少し下ってから、錆びた鉄の橋は渡らずに沢を渡渉すると、いよいよルートは
登りにさしかかる。



護摩壇。役行者が「この先が本番じゃ」とばかりに行場を見上げる。



鐘掛。上からザイルで確保して、鉄鎖を頼りに登って頂いた。



平等岩。ここの正面壁は断念。あまりに危険なので、鉄鎖は岩の上に
引き上げてあるのだ。
そこで中ほどの岩間を登攀する(さらに右に巻き道もある)。
こころザイルで確保し、万全の態勢で。過保護なくらいがちょうどいい。



気持ちのいい露岩帯の登りが続く。息は抜けないが。
振り返れば絶景!



充実感みなぎる表情の皆さん。

最後に、蟻の戸渡りの急登をこなし、行場の辻に戻る。
ほっとしつつも、達成感あふれる顔に笑顔がこぼれた。

寺務所に戻って、最後に鷲峰山(空鉢峰)の山頂も踏みに行く。



本堂は痛みが激しく、現在、修復資金の寄付が募られている。



重要文化財である多宝塔は、伏見天皇が退位後、僧侶となって建立した。
永仁6年(1298年)の建立。延徳2年(1490年)と元和元年(1681年)に
修復されているという。



行者堂。毎年9月の第一日曜に、護摩焚きが行われる。



鷲峰山の山頂。近畿百名山の一つで南山城最高峰だ。
越智泰澄大師が、麓まで托鉢したという伝説から、空鉢の峰とも呼ばれる。
後に写っている宝篋印塔は、鎌倉後期 正安2(1300)年のもので、これも重要文化財。

初めてハーネスをつけたという方もいらっしゃったが、皆さん岩場のバランスが
よく、これからの岩稜山行へ三歩前進といった感じ。これからもガンバロー!!


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