![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/7e/359b1928aaa9d840999f6428445d9e8a.jpg)
■メイン写真
長等山の山頂から琵琶湖を見下ろす。
■今回のコース
京阪京津線・大谷駅→蝉丸神社→旧逢坂山→長安寺分岐→逢坂山(旧相場山)→
小関越→坊越峠→長等山→坊越峠→三井寺→京阪石山坂本線・三井寺駅
「三関」のひとつ「逢坂の関」が設けられていたのは、京都市と大津市の境目、
交通の要所として古来より重要な場所で、多くの和歌にも詠まれている。
「これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも 逢坂の関」蝉丸
「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」清少納言
「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」三条右大臣
ここを起点に、新旧の逢坂山と、三井寺(園城寺)の山号にもなっている長等山へ
「らくらく」ハイキングに出かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/7f/dfdbf56a67fb69dfa646e7340f360130.jpg)
大谷駅を降りてすぐにある石碑。
銘菓・走井餅の元祖本家があったようだ。
かつてこの付近に、清水が湧く井戸「走井(はしりい)」があり、茶屋が立ち並ぶ
旅人のオアシスだった。そこで売り出された餅菓子が「走井餅」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/3d/bbe709b081038142217abaea6113ff47.jpg)
蝉丸神社。
822年、「旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社に
お祀りした。平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が
鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された」という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/1f/23bf3d30eaf9cc9b9c7752468baa45f4.jpg)
神社の裏手から山道になる。ほどなく、この標識が立つ。
ここと東海自然歩道の説明では「逢坂の関跡」となっているが、実を言うと
逢坂の関は、もう少し大津側の、長安寺の境内(現在よりずっと広かった)に
あったらしい。
で、この標識の「逢坂山」間違っている。方向が逆である!
標識を左へ、木段を登る。尾根筋に乗ると、古来、和歌に詠まれた旧逢坂山の
ピークに着くが、山名表示も何もない。
現在、逢坂山と呼ばれるのは、このあと行く324.7m三角点(点名・神出)だが、
ここは明治時代には「相場山」と呼ばれ、コメ相場を伝える旗振りの山だった。
地名は移ろっていくものなのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/b3/ef49b3dbaee23cabd5fe15a493b219b9.jpg)
しばらく進むと、右手に琵琶湖の眺めが開ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8b/3750dcd5628a796fd99da75f05ba80e1.jpg)
朽ちかけた欄干に、イオウゴケが生えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/18/70d941a6afa22be5456269fa36398bcb.jpg)
ともちゃんがタマムシを見つけたが、もう頭がなかった。
タマムシを見ると、いつも法隆寺を思い出す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b5/3553a3a8f41886327e31eff19f10820e.jpg)
尾根道は昨年の台風の被害がまだ生々しいが、通行には支障ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c7/3cb19c5f74bc6b43e63d8eba3afbede4.jpg)
南に音羽山を見ながら、うららかな雑木林の道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d5/3fb40be5f9826a330ec77722584f7e44.jpg)
そして到着した、現在の「逢坂山」。旗振りをしていた時代には、山頂の樹々は
全部刈り払っていたことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ab/5cba71f6a8a1742d96a29c01af19d747.jpg)
現在は琵琶湖方面が少し開けている。
この日は快晴で、比良山系はもとより、伊吹山や鈴鹿山系まで見渡せた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/39/8cf063acc9500cd7f645966c95f41af2.jpg)
若干、急な傾斜もある。岩に苔がついていたりするので滑らないよう、
細心の注意で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b8/c388148d936623b3edc4c087f948464f.jpg)
いったん、小関越に下りてきた。ここから如意越の道をめざす。
ここは、「東海道を大関越と呼んだのに対して付けられた名称で、京都から
大津の町中を通らずに北陸へ向かうための近道(間道)として利用された。
また三井寺から京都への巡礼道でもあった。」という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/ad/33bca814440f8763c7f8e1824aec4a34.jpg)
谷沿いのスギ植林は壊滅状態。通れるだけの処理はしてあったが痛ましい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/a8/9c7f51fe92de4102006c23a04b3e725b.jpg)
尾根に突き上げてからは歩きやすくなり、右に三井寺所有の林道が近づいて
くると、まもなく坊越峠に着く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/b9/ac3145500612e629d837f1330545b266.jpg)
長等山への登り坂の途中に、児石(ちごいし)を通る。
花崗岩に地蔵菩薩が刻まれており、三井寺の護摩札が納められている。
ということは、ここは本山派の山伏の行所ということか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/66/9673c01599ed7c028e9c3933def0b3b3.jpg)
長等山の山頂に到着。三井寺からの借景の対象でもあるこの山、
前回来た時よりも琵琶湖側の樹木が切り払われ、眺めがよくなっていた。
その時の木材で作ったのか、山頂には丸太ベンチが充実した。
街のほうからは、競艇のボートのエンジン音が響いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/49/7e7f37ea6ea351fa545b6424777988a0.jpg)
長命寺山、奥島山の背後にうっすらと、滋賀県最高峰の伊吹山。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/de/a52fe9785d6f66259c8361c084c1537c.jpg)
坊越峠に戻り、滑りやすく薄暗い谷沿いの植林の中を下っていく。
ごつごつした岩の上に立派な杉の木。やはり護摩札つき。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4a/05579a5cab91ee2e5ff04d3d16c36c9c.jpg)
三井寺の境内に下りてきた。これは金堂。
美しくも厳粛な雰囲気が漂う境内は、「利休にたずねよ」「柘榴坂の仇討」など
映画のロケも行われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/7e/cb4f3e8e3d9a680c8bff9e68965863d7.jpg)
金堂前にある、樹齢1000年を超える天狗杉。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e6/c7d7d960493998f8c7297db76b67877c.jpg)
京阪の三井寺駅へは、サザンの名曲を口ずさみながら琵琶湖疎水の流れを見る。
「エリー マイラブ ソ~スイ」。
※初心者から楽しめる「遊山トレッキングサービスの登山教室」は、「ここをクリック」!!
長等山の山頂から琵琶湖を見下ろす。
■今回のコース
京阪京津線・大谷駅→蝉丸神社→旧逢坂山→長安寺分岐→逢坂山(旧相場山)→
小関越→坊越峠→長等山→坊越峠→三井寺→京阪石山坂本線・三井寺駅
「三関」のひとつ「逢坂の関」が設けられていたのは、京都市と大津市の境目、
交通の要所として古来より重要な場所で、多くの和歌にも詠まれている。
「これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも 逢坂の関」蝉丸
「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」清少納言
「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」三条右大臣
ここを起点に、新旧の逢坂山と、三井寺(園城寺)の山号にもなっている長等山へ
「らくらく」ハイキングに出かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/7f/dfdbf56a67fb69dfa646e7340f360130.jpg)
大谷駅を降りてすぐにある石碑。
銘菓・走井餅の元祖本家があったようだ。
かつてこの付近に、清水が湧く井戸「走井(はしりい)」があり、茶屋が立ち並ぶ
旅人のオアシスだった。そこで売り出された餅菓子が「走井餅」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/3d/bbe709b081038142217abaea6113ff47.jpg)
蝉丸神社。
822年、「旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社に
お祀りした。平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が
鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された」という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/1f/23bf3d30eaf9cc9b9c7752468baa45f4.jpg)
神社の裏手から山道になる。ほどなく、この標識が立つ。
ここと東海自然歩道の説明では「逢坂の関跡」となっているが、実を言うと
逢坂の関は、もう少し大津側の、長安寺の境内(現在よりずっと広かった)に
あったらしい。
で、この標識の「逢坂山」間違っている。方向が逆である!
標識を左へ、木段を登る。尾根筋に乗ると、古来、和歌に詠まれた旧逢坂山の
ピークに着くが、山名表示も何もない。
現在、逢坂山と呼ばれるのは、このあと行く324.7m三角点(点名・神出)だが、
ここは明治時代には「相場山」と呼ばれ、コメ相場を伝える旗振りの山だった。
地名は移ろっていくものなのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/b3/ef49b3dbaee23cabd5fe15a493b219b9.jpg)
しばらく進むと、右手に琵琶湖の眺めが開ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8b/3750dcd5628a796fd99da75f05ba80e1.jpg)
朽ちかけた欄干に、イオウゴケが生えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/18/70d941a6afa22be5456269fa36398bcb.jpg)
ともちゃんがタマムシを見つけたが、もう頭がなかった。
タマムシを見ると、いつも法隆寺を思い出す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b5/3553a3a8f41886327e31eff19f10820e.jpg)
尾根道は昨年の台風の被害がまだ生々しいが、通行には支障ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c7/3cb19c5f74bc6b43e63d8eba3afbede4.jpg)
南に音羽山を見ながら、うららかな雑木林の道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d5/3fb40be5f9826a330ec77722584f7e44.jpg)
そして到着した、現在の「逢坂山」。旗振りをしていた時代には、山頂の樹々は
全部刈り払っていたことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ab/5cba71f6a8a1742d96a29c01af19d747.jpg)
現在は琵琶湖方面が少し開けている。
この日は快晴で、比良山系はもとより、伊吹山や鈴鹿山系まで見渡せた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/39/8cf063acc9500cd7f645966c95f41af2.jpg)
若干、急な傾斜もある。岩に苔がついていたりするので滑らないよう、
細心の注意で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b8/c388148d936623b3edc4c087f948464f.jpg)
いったん、小関越に下りてきた。ここから如意越の道をめざす。
ここは、「東海道を大関越と呼んだのに対して付けられた名称で、京都から
大津の町中を通らずに北陸へ向かうための近道(間道)として利用された。
また三井寺から京都への巡礼道でもあった。」という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/ad/33bca814440f8763c7f8e1824aec4a34.jpg)
谷沿いのスギ植林は壊滅状態。通れるだけの処理はしてあったが痛ましい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/a8/9c7f51fe92de4102006c23a04b3e725b.jpg)
尾根に突き上げてからは歩きやすくなり、右に三井寺所有の林道が近づいて
くると、まもなく坊越峠に着く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/b9/ac3145500612e629d837f1330545b266.jpg)
長等山への登り坂の途中に、児石(ちごいし)を通る。
花崗岩に地蔵菩薩が刻まれており、三井寺の護摩札が納められている。
ということは、ここは本山派の山伏の行所ということか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/66/9673c01599ed7c028e9c3933def0b3b3.jpg)
長等山の山頂に到着。三井寺からの借景の対象でもあるこの山、
前回来た時よりも琵琶湖側の樹木が切り払われ、眺めがよくなっていた。
その時の木材で作ったのか、山頂には丸太ベンチが充実した。
街のほうからは、競艇のボートのエンジン音が響いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/49/7e7f37ea6ea351fa545b6424777988a0.jpg)
長命寺山、奥島山の背後にうっすらと、滋賀県最高峰の伊吹山。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/de/a52fe9785d6f66259c8361c084c1537c.jpg)
坊越峠に戻り、滑りやすく薄暗い谷沿いの植林の中を下っていく。
ごつごつした岩の上に立派な杉の木。やはり護摩札つき。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4a/05579a5cab91ee2e5ff04d3d16c36c9c.jpg)
三井寺の境内に下りてきた。これは金堂。
美しくも厳粛な雰囲気が漂う境内は、「利休にたずねよ」「柘榴坂の仇討」など
映画のロケも行われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/7e/cb4f3e8e3d9a680c8bff9e68965863d7.jpg)
金堂前にある、樹齢1000年を超える天狗杉。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e6/c7d7d960493998f8c7297db76b67877c.jpg)
京阪の三井寺駅へは、サザンの名曲を口ずさみながら琵琶湖疎水の流れを見る。
「エリー マイラブ ソ~スイ」。
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