
■メイン写真
高代寺山の山頂にある三角点と小祠
■今回の想定コース(実際は正規ルート以外も踏査した)
能勢電鉄妙見口駅→旧山下道分岐→高代寺参道六地蔵→墓地管理事務所→高代寺山→
閼伽井神泉→高代寺→五輪塔→吉川城址→一ノ岩、二ノ岩→八幡神社→妙見口駅
世の中はクリスマスだが、空いている日には踏査取材をしないといけない。
そこで、ともちゃんと能勢の高代寺山に出かけた。
5年ぶりに訪れた高代寺山は、小さなところが少しずつ変わっていた。

能勢電鉄妙見口駅から北へ少し。

5年前にはゴミ収集箱が置かれていた分岐には標石と立派な標識が立っていた。
ここは左の坂をとる。

しばらく登って振り返る。妙見山が望める。
今日は雲が多いのがちょっと残念。

左に池を2つ見送りながら、ゆるやかな旧参道を行く。

「吉川高代寺山参道六地蔵」。
このほかにも旧参道には、古い標石、町石、お地蔵さんがみられ、退屈しない。
棚田跡は最初は左側にあるが、やがて右側にもっと古い棚田跡が続く。
杉林の中、古い石垣が残り、平らな部分は今も湿地となっている。
「妙見里山倶楽部」の活動拠点を見送り、整備中の竹林へ。
かなり手入れが行き届いてきている。

ベンチがあるが、竹林を右手から上がるルートは閉鎖されていた。
実は上部の閼伽井神泉直下が崩れ、土嚢やブルーシートで補強中。
歩くのは危険な状態になっていた。
2013年の台風26号で法面が崩壊したという。

代わりに竹林の左手を直登する古い道が復活している。
ここを一気に登り詰めると舗装林道に出る。少し右に行ったところの分岐を
左に折り返す。これを詰めれば高代寺の霊園管理事務所に着く。

さらに少し先の、ドコモの無線中継所への道をとる。右は墓地である。
50mほど上がったら右に折れ、数段の石段は見送り、未舗装林道を左に折れる。
林道が尾根を左に巻こうとするあたりで、右の塩ビ製の水道パイプを使用した
階段道を上る。

すぐに高代寺の地味きわまりない山頂。
能勢テレメーター中継局の設備が建っている。
中継局の三角点の背後に、小さな石の祠ができていた(冒頭写真)。
2004年、2009年に踏査したときはなかったので後で調べたら、2010年後半には
置かれていたことが分かった。
今回は、山頂から白いテープをたどり、真西に続く踏み跡をサーチ。
ドコモの無線中継所前に強引に下りていくルートだった。

もとの舗装道を戻り、閼伽井神泉へ。何百年もの間、湧き水が絶えない。

清和源氏ゆかりの高代寺に着く。秋に来たら紅葉が美しいところである。
しかし、かつて苔が美しかった石段下の一部がコンクリート化されていてガッカリ。

しかし、素朴なたたずまいは健在だ。
不動堂の右手から竹林に伸びる山道をとる。

「吉川高代寺五輪塔」。吉川越後守仲頼(源仲頼)の墓という。
極めて分かりにくい分岐を右にとり、クヌギ林の尾根を東へ東へとたどる。
(ここは、間違えて直進すると、すぐにゴルフ場に出てしまうのだ)
落ち葉を踏みしめ、時折出てくる標識を確かめながら進む。

アップダウンをこなすと、ベンチが置かれた吉川城址にたどり着く。
周囲をめぐらせた曲輪跡が今もハッキリと見て取れる。
吉川城は、1492年に吉川豊前守長仲が築いたそうだ。
1573年、吉川城と井戸城が、山下城主の塩川長満に包囲されて落城し、
350人余りが一時に亡んだとの情報も得た。
(豊能町観光協会のホームページから、このへんの情報が断片的に得られる。)

城址からさらに100m強、東に下ると、右手に古い赤テープが見られる。
ほとんど廃道化しているトラバース道。積もる落ち葉に滑らないよう足元を
気にしつつ、木の枝をつかみながら30mほど進むと「一ノ岩」がある。

さらに少し先に、もっと大きな「二ノ岩」がある。
「一ノ岩」、「二ノ岩」ともに、今では岩からの展望もほとんど得られず、
ルートも埋もれてきており、きっと今後は忘れ去られる運命にあるだろう。

稜線を外れ、薄暗い林の中、やや荒れ気味の道をぐんぐん下りて行くと、
八幡神社に着く。立派なシイの木がみられるが、自生コジイの北限という。
ホントかな?
八幡神社から妙見口駅へは15分もあれば十分。歴史に思いをはせる、
のどかな山旅だった。
高代寺山の山頂にある三角点と小祠
■今回の想定コース(実際は正規ルート以外も踏査した)
能勢電鉄妙見口駅→旧山下道分岐→高代寺参道六地蔵→墓地管理事務所→高代寺山→
閼伽井神泉→高代寺→五輪塔→吉川城址→一ノ岩、二ノ岩→八幡神社→妙見口駅
世の中はクリスマスだが、空いている日には踏査取材をしないといけない。
そこで、ともちゃんと能勢の高代寺山に出かけた。
5年ぶりに訪れた高代寺山は、小さなところが少しずつ変わっていた。

能勢電鉄妙見口駅から北へ少し。

5年前にはゴミ収集箱が置かれていた分岐には標石と立派な標識が立っていた。
ここは左の坂をとる。

しばらく登って振り返る。妙見山が望める。
今日は雲が多いのがちょっと残念。

左に池を2つ見送りながら、ゆるやかな旧参道を行く。

「吉川高代寺山参道六地蔵」。
このほかにも旧参道には、古い標石、町石、お地蔵さんがみられ、退屈しない。
棚田跡は最初は左側にあるが、やがて右側にもっと古い棚田跡が続く。
杉林の中、古い石垣が残り、平らな部分は今も湿地となっている。
「妙見里山倶楽部」の活動拠点を見送り、整備中の竹林へ。
かなり手入れが行き届いてきている。

ベンチがあるが、竹林を右手から上がるルートは閉鎖されていた。
実は上部の閼伽井神泉直下が崩れ、土嚢やブルーシートで補強中。
歩くのは危険な状態になっていた。
2013年の台風26号で法面が崩壊したという。

代わりに竹林の左手を直登する古い道が復活している。
ここを一気に登り詰めると舗装林道に出る。少し右に行ったところの分岐を
左に折り返す。これを詰めれば高代寺の霊園管理事務所に着く。

さらに少し先の、ドコモの無線中継所への道をとる。右は墓地である。
50mほど上がったら右に折れ、数段の石段は見送り、未舗装林道を左に折れる。
林道が尾根を左に巻こうとするあたりで、右の塩ビ製の水道パイプを使用した
階段道を上る。

すぐに高代寺の地味きわまりない山頂。
能勢テレメーター中継局の設備が建っている。
中継局の三角点の背後に、小さな石の祠ができていた(冒頭写真)。
2004年、2009年に踏査したときはなかったので後で調べたら、2010年後半には
置かれていたことが分かった。
今回は、山頂から白いテープをたどり、真西に続く踏み跡をサーチ。
ドコモの無線中継所前に強引に下りていくルートだった。

もとの舗装道を戻り、閼伽井神泉へ。何百年もの間、湧き水が絶えない。

清和源氏ゆかりの高代寺に着く。秋に来たら紅葉が美しいところである。
しかし、かつて苔が美しかった石段下の一部がコンクリート化されていてガッカリ。

しかし、素朴なたたずまいは健在だ。
不動堂の右手から竹林に伸びる山道をとる。

「吉川高代寺五輪塔」。吉川越後守仲頼(源仲頼)の墓という。
極めて分かりにくい分岐を右にとり、クヌギ林の尾根を東へ東へとたどる。
(ここは、間違えて直進すると、すぐにゴルフ場に出てしまうのだ)
落ち葉を踏みしめ、時折出てくる標識を確かめながら進む。

アップダウンをこなすと、ベンチが置かれた吉川城址にたどり着く。
周囲をめぐらせた曲輪跡が今もハッキリと見て取れる。
吉川城は、1492年に吉川豊前守長仲が築いたそうだ。
1573年、吉川城と井戸城が、山下城主の塩川長満に包囲されて落城し、
350人余りが一時に亡んだとの情報も得た。
(豊能町観光協会のホームページから、このへんの情報が断片的に得られる。)

城址からさらに100m強、東に下ると、右手に古い赤テープが見られる。
ほとんど廃道化しているトラバース道。積もる落ち葉に滑らないよう足元を
気にしつつ、木の枝をつかみながら30mほど進むと「一ノ岩」がある。

さらに少し先に、もっと大きな「二ノ岩」がある。
「一ノ岩」、「二ノ岩」ともに、今では岩からの展望もほとんど得られず、
ルートも埋もれてきており、きっと今後は忘れ去られる運命にあるだろう。

稜線を外れ、薄暗い林の中、やや荒れ気味の道をぐんぐん下りて行くと、
八幡神社に着く。立派なシイの木がみられるが、自生コジイの北限という。
ホントかな?
八幡神社から妙見口駅へは15分もあれば十分。歴史に思いをはせる、
のどかな山旅だった。