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2014年6月28日(土) [大阪の山レビュー]紀泉・飯盛山から、西谷ルートを下りる

2014年07月07日 | 山登りの記録
■メイン写真
飯盛山山頂から多奈川の火力発電所を眼下に見る。

■今回のコース
南海孝子駅→高仙寺→高野山→藤戸山→札立山への分岐→千間寺址→飯盛山→
信浄院→西谷寺→南海淡輪駅

人生のベテランさんたちと、紀泉・飯盛山に出かけた。
南海孝子駅の改札口を出ると、大きな張り紙が。
この日、当初予定していた下山路は、飯盛山から北へ延びる尾根をたどり
提灯講山を経て、みさき公園駅に至るルートだったが、なんと第二阪和自動車
道の工事でこのルートは通行止めだという。
仕方ないので、飯盛山から西谷を下り、淡輪駅に下りることにした。



高仙寺への石段を登る。ある意味、本日最大の急登(笑)。



高仙寺の手水にはアサザが咲いていた。メダカも泳いでいて、小さな生態系が
できていた。



ちなみに高仙寺は、役ノ行者の母親の墓がある。

本堂の右側から続く登山道は、ウバメガシの純林。
緩やかな坂道を、にぎやかに雑談をしながら進む。



やがて高野山の山頂に着くが、眺めは得られない。一応、記念写真を。



電波反射板を過ぎ、一度、広い幅の未舗装林道に絡みつつ尾根筋をキープすれば
藤戸山の私製プレートがかけられた場所に出る。
山というが、明瞭なピークではない。もちろん展望はゼロ。



ところで、今日のルートは下草はササではなくシダが主役。
まるで恐竜時代のような樹林帯が続くのが特徴である。



札立山への分岐を過ぎ、千間寺址に向かう途中で、ササユリが咲いていた。
これはラッキーである。

ずっと雑談が続いているのは、皆さん、余裕がある証拠。
この程度の山ならお茶の子さいさいである。

I上さんが、昔、金縛りに遭った経験を話している。
寝た姿勢のまま動かなくなったI上さんの目の前に、3人の浴衣姿の
男性が囲んだという。3人の顔は見えず、誰だかわからなかったという
なんとも恐ろしい話。
そんな話をしながらの千間寺址は、なんとなく不気味に思えた。



飯盛山の山頂には、ウッドデッキが出来ていた。
ガイドブック「大阪府の山」の写真からは変わっている。
本日3つ目のピークで、またまた記念写真。

今日は天気が心配だったが、山頂に着くころには部分的に青空が覗いていた。
淡路島も、明石海峡大橋も見えた。もちろん関空から飛び立つ飛行機は
尾翼の模様で航空会社まで分かる。



少し南に戻った広場で昼食タイム。
町ではあまり見かけない蝶がいた。ツマグロヒョウモンだとO里さんが
教えてくださった。



下山は西谷ルートをとる。赤い鳥居をくぐり、葛城28宿の4番目の行場と
される信浄院に寄り道する。



石段を登りきると、なかば窟屋のようになっている湿った巨石に
八大竜王と鬼子母神が祀られている。
役ノ行者が28宿の経塚に埋めたのは法華経。確かに「南無妙法蓮華経」と
彫られた岩もある。いやぁ、ものすごい神仏混淆が嬉しい。



あっという間に谷筋に下りる。
斜めに割れた岩の節理を見ながら谷沿いの道を歩く。

やがて西谷寺に出ると、あとは舗装道を北に行くだけ。



最後は前方後円墳の五十瓊敷入彦命墓(いにしきいりびこのみことのはか)の脇を
通る。五十瓊敷入彦命は、垂仁天皇の第2皇子という。
垂仁天皇の陵は、奈良の尼ヶ辻にあるが、親子で随分離れた土地に葬られたものだ。
あまり日本史の勉強にも出てこなかった名前なので、調べてもリアリティが
感じられないが、前方後円墳の形だけは、堀の外側を歩いていても分かった。

淡輪駅には楽しみにしていたビールはなく、少しガッカリしたが、
残ったスポーツドリンクを空けてひとまず満足。
終わってみれば、今日もさまざまな発見に彩られた楽しいハイキングとなった。

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