![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/e7/77cad055191efe2c52fc51e821c438d0.jpg)
■メイン写真
多武峰の駐車場から見た音羽山塊の熊ヶ岳
あまりに天気がいいので、近場の桜を撮影しに出かけた。ちょうど満開のはずである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/56/292a0f999d8a7a2ca662f928183f7163.jpg)
多武峰(とうのみね)バス停近くにある屋形橋。
屋根がある珍しい橋だ。
昭和54年、橋そのものはコンクリート製になったが、寛政3年(1791年)の刻銘がある
擬宝珠はそのままだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/72/76df01256ddad31816a295e446a10237.jpg)
東大門。韓国の繁華街ではありません(笑)。享和3年(1803年)の建立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/76/0654286f02c21a09e0ab288ac7eb75cb.jpg)
駐車場前が、桜越しに音羽山塊が眺められるビューポイントだ。
音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳への稜線の曲線がきれいだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/aa/5427c76af68fab03ffa4df6860c82801.jpg)
参拝料を払って、談山神社(たんざんじんじゃ)へ。
「大化の改新」の契機となった「乙巳の変」。
中大兄王子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のち藤原姓)が、ときの権力者・蘇我入鹿、蝦夷
親子を討った有名な事件だが、ここはその事前相談を行った地として有名だ。
この後、孝徳天皇が「改新の詔」を出したことで、中央統一国家及び分治政治が完成
したとされている。
重文の神廟拝所では、高そうな一眼カメラを持った人がたくさんいた。
人が途切れた瞬間にシャッターを切るのが案外大変。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/75/a8a72a17957000e74cbf0d587cfdb0c2.jpg)
神廟拝所の中。鎌足座像が御簾の向こうに!
それはそうと、左の厨子の中に「秘仏・如意輪観音」がいらっしゃる。
廃仏毀釈をしのいで、談山神社に唯一残った仏像だという。
談山神社は、もともとは天台宗・妙楽寺としてかなり栄えていたそうで、
明治の廃仏毀釈、神仏分離令で神社に代わったから、仏像があってもおかしくない。
ただし大宝元年(701年)には藤原鎌足を祀る神殿が建てられているので、
ずっと神仏混交していたことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/0f/8307c60513fd2418a9931cabb7b17ebc.jpg)
これも重文の、十三重塔。高さ17m。
もともとは鎌足の長男・定慧和尚と次男・不比等が、父の追福のために678年に建立。
現在の建築は、1532年の再建。木造の十三重塔としては世界唯一という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/04/7fcd25285d5d99186d5e822c9d4b4a59.jpg)
磐座と龍神社。この左横が、談山(かたらいやま)と御破裂山(ごはれつやま)への
登山口である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d8/cee90e1603a4ba57cb4b31b0584629be.jpg)
ミヤマカタバミが咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/55/ba4cabe8a769bba40353100a576db24d.jpg)
談山。中大兄王子と鎌足が談合した場所は、常緑樹に囲まれた静寂のピークだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a5/1535b1c55a67e7a781e0702b3671353e.jpg)
さらに北へ少しで、御破裂山に着く。鎌足の墓所だ。
大阪府高槻市の阿武山にも、鎌足の墓所とされる古墳があるが、長男・定慧が
遺骨の一部をこの地に改葬したと伝わる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/9c/f733c48bca9109d4169750e7b93aee64.jpg)
ピークの裏に回り込むと、生駒山方面が展望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/87/efd89096c3da7894ab940e53f3351ed3.jpg)
続いて三角点「破裂山」にも寄ってみた。幅広の未舗装林道を少し外れた
ところにあるが、私製の山名表示板が鈴なりに付けられていた。展望皆無。
ちなみに御破裂山の標高は618m、三角点は607.4mとなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/04/0b56b79fb8292edb5ebc3ab259d90ea9.jpg)
山から下りて、三社神社の横から舗装道を北西へ。
「念誦崛不動尊」の標石のところで谷筋の山道を100mほど下ると、
念誦崛(ねずき)不動尊に着く。磨崖のお不動さんの迫力の表情!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/4c/f7673f2521d36a2bc951a0ff5a82cdb2.jpg)
舗装道に戻り、妙楽寺の奥の院だった紫蓋寺(しがいじ)跡の分岐を右へ寄り道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/0b/43e18e4acfeb228f0d3945f6e8f2b597.jpg)
坂を上がっていくと、歴代僧侶の古い墓、卵塔、石仏が林立する異空間が現れる。
念誦崛である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c4/59558ef1977a5ae884637f622ffcd95f.jpg)
ミニ高野山と呼ぶ人もいるくらい、特有の世界だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e0/fca52fba4c336dc0d18251a1315be436.jpg)
これだけの規模の寺が潰された廃仏毀釈って、何だったんだろう…
ちなみに、多武峰中興の祖といわれる増賀(そうが)上人の墓は、長い石段の上に
あり、円形の貼石塚となっている。
「念誦崛」は難しい漢字だが、増賀上人が念仏三昧のうち入滅した山地でという
意味だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/c0/3531e505c25849f664e26485f779b94f.jpg)
林道分岐。左は明日香へ続くハイキング道。右は北山集落へ続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/6e/0fd83dfd5c058ec6f0425d4387a8878e.jpg)
明日香はまさに春爛漫。
石舞台へ向かう道すがら、菜の花が満開。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/57/bf3403a230ec2bd2871b0ab739147f29.jpg)
タンポポも一面に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a3/9caa857cc0e8824fe050b848f0d6a6da.jpg)
石舞台と桜。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/cf/6a692842ebb6e10432dd5d398207c624.jpg)
向こうに二上山を入れてみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/73/3741157e9466f978860b8393b9882486.jpg)
橘寺の桜から、川原寺跡を望む。
最後は完全に観光モード。
行動時間の割に、写真枚数が多い一日となった。
※初心者から楽しめる「遊山トレッキングサービスの登山教室」は、「ここをクリック」!!
多武峰の駐車場から見た音羽山塊の熊ヶ岳
あまりに天気がいいので、近場の桜を撮影しに出かけた。ちょうど満開のはずである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/56/292a0f999d8a7a2ca662f928183f7163.jpg)
多武峰(とうのみね)バス停近くにある屋形橋。
屋根がある珍しい橋だ。
昭和54年、橋そのものはコンクリート製になったが、寛政3年(1791年)の刻銘がある
擬宝珠はそのままだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/72/76df01256ddad31816a295e446a10237.jpg)
東大門。韓国の繁華街ではありません(笑)。享和3年(1803年)の建立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/76/0654286f02c21a09e0ab288ac7eb75cb.jpg)
駐車場前が、桜越しに音羽山塊が眺められるビューポイントだ。
音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳への稜線の曲線がきれいだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/aa/5427c76af68fab03ffa4df6860c82801.jpg)
参拝料を払って、談山神社(たんざんじんじゃ)へ。
「大化の改新」の契機となった「乙巳の変」。
中大兄王子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のち藤原姓)が、ときの権力者・蘇我入鹿、蝦夷
親子を討った有名な事件だが、ここはその事前相談を行った地として有名だ。
この後、孝徳天皇が「改新の詔」を出したことで、中央統一国家及び分治政治が完成
したとされている。
重文の神廟拝所では、高そうな一眼カメラを持った人がたくさんいた。
人が途切れた瞬間にシャッターを切るのが案外大変。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/75/a8a72a17957000e74cbf0d587cfdb0c2.jpg)
神廟拝所の中。鎌足座像が御簾の向こうに!
それはそうと、左の厨子の中に「秘仏・如意輪観音」がいらっしゃる。
廃仏毀釈をしのいで、談山神社に唯一残った仏像だという。
談山神社は、もともとは天台宗・妙楽寺としてかなり栄えていたそうで、
明治の廃仏毀釈、神仏分離令で神社に代わったから、仏像があってもおかしくない。
ただし大宝元年(701年)には藤原鎌足を祀る神殿が建てられているので、
ずっと神仏混交していたことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/0f/8307c60513fd2418a9931cabb7b17ebc.jpg)
これも重文の、十三重塔。高さ17m。
もともとは鎌足の長男・定慧和尚と次男・不比等が、父の追福のために678年に建立。
現在の建築は、1532年の再建。木造の十三重塔としては世界唯一という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/04/7fcd25285d5d99186d5e822c9d4b4a59.jpg)
磐座と龍神社。この左横が、談山(かたらいやま)と御破裂山(ごはれつやま)への
登山口である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d8/cee90e1603a4ba57cb4b31b0584629be.jpg)
ミヤマカタバミが咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/55/ba4cabe8a769bba40353100a576db24d.jpg)
談山。中大兄王子と鎌足が談合した場所は、常緑樹に囲まれた静寂のピークだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a5/1535b1c55a67e7a781e0702b3671353e.jpg)
さらに北へ少しで、御破裂山に着く。鎌足の墓所だ。
大阪府高槻市の阿武山にも、鎌足の墓所とされる古墳があるが、長男・定慧が
遺骨の一部をこの地に改葬したと伝わる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/9c/f733c48bca9109d4169750e7b93aee64.jpg)
ピークの裏に回り込むと、生駒山方面が展望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/87/efd89096c3da7894ab940e53f3351ed3.jpg)
続いて三角点「破裂山」にも寄ってみた。幅広の未舗装林道を少し外れた
ところにあるが、私製の山名表示板が鈴なりに付けられていた。展望皆無。
ちなみに御破裂山の標高は618m、三角点は607.4mとなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/04/0b56b79fb8292edb5ebc3ab259d90ea9.jpg)
山から下りて、三社神社の横から舗装道を北西へ。
「念誦崛不動尊」の標石のところで谷筋の山道を100mほど下ると、
念誦崛(ねずき)不動尊に着く。磨崖のお不動さんの迫力の表情!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/4c/f7673f2521d36a2bc951a0ff5a82cdb2.jpg)
舗装道に戻り、妙楽寺の奥の院だった紫蓋寺(しがいじ)跡の分岐を右へ寄り道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/0b/43e18e4acfeb228f0d3945f6e8f2b597.jpg)
坂を上がっていくと、歴代僧侶の古い墓、卵塔、石仏が林立する異空間が現れる。
念誦崛である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c4/59558ef1977a5ae884637f622ffcd95f.jpg)
ミニ高野山と呼ぶ人もいるくらい、特有の世界だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e0/fca52fba4c336dc0d18251a1315be436.jpg)
これだけの規模の寺が潰された廃仏毀釈って、何だったんだろう…
ちなみに、多武峰中興の祖といわれる増賀(そうが)上人の墓は、長い石段の上に
あり、円形の貼石塚となっている。
「念誦崛」は難しい漢字だが、増賀上人が念仏三昧のうち入滅した山地でという
意味だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/c0/3531e505c25849f664e26485f779b94f.jpg)
林道分岐。左は明日香へ続くハイキング道。右は北山集落へ続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/6e/0fd83dfd5c058ec6f0425d4387a8878e.jpg)
明日香はまさに春爛漫。
石舞台へ向かう道すがら、菜の花が満開。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/57/bf3403a230ec2bd2871b0ab739147f29.jpg)
タンポポも一面に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a3/9caa857cc0e8824fe050b848f0d6a6da.jpg)
石舞台と桜。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/cf/6a692842ebb6e10432dd5d398207c624.jpg)
向こうに二上山を入れてみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/73/3741157e9466f978860b8393b9882486.jpg)
橘寺の桜から、川原寺跡を望む。
最後は完全に観光モード。
行動時間の割に、写真枚数が多い一日となった。
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