Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2019年4月9日(火) [奈良]多武峰の談山神社から明日香へ、サクラを撮る!

2019年04月10日 | 山登りの記録
■メイン写真
多武峰の駐車場から見た音羽山塊の熊ヶ岳


あまりに天気がいいので、近場の桜を撮影しに出かけた。ちょうど満開のはずである。



多武峰(とうのみね)バス停近くにある屋形橋。
屋根がある珍しい橋だ。
昭和54年、橋そのものはコンクリート製になったが、寛政3年(1791年)の刻銘がある
擬宝珠はそのままだという。



東大門。韓国の繁華街ではありません(笑)。享和3年(1803年)の建立。



駐車場前が、桜越しに音羽山塊が眺められるビューポイントだ。
音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳への稜線の曲線がきれいだ。



参拝料を払って、談山神社(たんざんじんじゃ)へ。
「大化の改新」の契機となった「乙巳の変」。
中大兄王子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のち藤原姓)が、ときの権力者・蘇我入鹿、蝦夷
親子を討った有名な事件だが、ここはその事前相談を行った地として有名だ。
この後、孝徳天皇が「改新の詔」を出したことで、中央統一国家及び分治政治が完成
したとされている。
重文の神廟拝所では、高そうな一眼カメラを持った人がたくさんいた。
人が途切れた瞬間にシャッターを切るのが案外大変。



神廟拝所の中。鎌足座像が御簾の向こうに!
それはそうと、左の厨子の中に「秘仏・如意輪観音」がいらっしゃる。
廃仏毀釈をしのいで、談山神社に唯一残った仏像だという。
談山神社は、もともとは天台宗・妙楽寺としてかなり栄えていたそうで、
明治の廃仏毀釈、神仏分離令で神社に代わったから、仏像があってもおかしくない。
ただし大宝元年(701年)には藤原鎌足を祀る神殿が建てられているので、
ずっと神仏混交していたことになる。



これも重文の、十三重塔。高さ17m。
もともとは鎌足の長男・定慧和尚と次男・不比等が、父の追福のために678年に建立。
現在の建築は、1532年の再建。木造の十三重塔としては世界唯一という。



磐座と龍神社。この左横が、談山(かたらいやま)と御破裂山(ごはれつやま)への
登山口である。



ミヤマカタバミが咲いていた。



談山。中大兄王子と鎌足が談合した場所は、常緑樹に囲まれた静寂のピークだ。



さらに北へ少しで、御破裂山に着く。鎌足の墓所だ。
大阪府高槻市の阿武山にも、鎌足の墓所とされる古墳があるが、長男・定慧が
遺骨の一部をこの地に改葬したと伝わる。



ピークの裏に回り込むと、生駒山方面が展望できる。



続いて三角点「破裂山」にも寄ってみた。幅広の未舗装林道を少し外れた
ところにあるが、私製の山名表示板が鈴なりに付けられていた。展望皆無。
ちなみに御破裂山の標高は618m、三角点は607.4mとなる。



山から下りて、三社神社の横から舗装道を北西へ。
「念誦崛不動尊」の標石のところで谷筋の山道を100mほど下ると、
念誦崛(ねずき)不動尊に着く。磨崖のお不動さんの迫力の表情!



舗装道に戻り、妙楽寺の奥の院だった紫蓋寺(しがいじ)跡の分岐を右へ寄り道。



坂を上がっていくと、歴代僧侶の古い墓、卵塔、石仏が林立する異空間が現れる。
念誦崛である。



ミニ高野山と呼ぶ人もいるくらい、特有の世界だ。



これだけの規模の寺が潰された廃仏毀釈って、何だったんだろう…

ちなみに、多武峰中興の祖といわれる増賀(そうが)上人の墓は、長い石段の上に
あり、円形の貼石塚となっている。
「念誦崛」は難しい漢字だが、増賀上人が念仏三昧のうち入滅した山地でという
意味だそうだ。



林道分岐。左は明日香へ続くハイキング道。右は北山集落へ続く。



明日香はまさに春爛漫。
石舞台へ向かう道すがら、菜の花が満開。



タンポポも一面に。



石舞台と桜。



向こうに二上山を入れてみた。



橘寺の桜から、川原寺跡を望む。

最後は完全に観光モード。
行動時間の割に、写真枚数が多い一日となった。


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