じょうご谷とは、
説1)液体を瓶などに注ぐときに使う道具
説2)常行堂院谷のつづまったもの
この2つの説からきていると言われています。
説1に関しては谷の形がじょうごに似ていたためで説明が出来ますが、
説2に関しては、常行堂が建っていたような広い平地は見当たりません。
そう言ったことも含め、もし、一つの堂だった場合、
今現在ある阿弥陀堂の阿弥陀如来は堂の大きさに比べ不釣合いなため、
平安初期の阿弥陀堂はもっと大きかったのではないか?と言われています。
また、阿弥陀堂の柱は洪水の為、傷だらけですが、阿弥陀如来は傷が殆ど無く、
何故、流れ(壊れ)なかったのか?…と言うような疑問も出ています。
そのため、流れたのはあくまで常行堂であって、
その横に並んであった阿弥陀堂は被害が少なかったため、
流れてしまった常行堂と阿弥陀堂の二つを合わせて今の位置に
再建されたのではないか…?という様な説もあります。
ちなみに阿弥陀堂が手の届く箇所の金メッキが剥がれて下地が見えているのは
人々が参拝の折に、手を触れて祈願したためだと言われています。
歴史書のなかで、享禄の大洪水で南光院谷の諸院をも流し、
南光院は南光河原の左右に分かれ、西明院谷、中門院谷の下手の地続きに移転した
蓮浄院もこの時移転してきたものであり、もとは南光院谷にあった
(法雲院、理観院、金剛院も)と言うような記述もあることから、
洪水(山津波?)が起きて堂が流れてしまった。と言うのは間違いないようですが、
どの堂がどのように流れてしまったのかは正確には解っていません。
ちなみに昭和52年、消火設備に1000万ほど掛けているとか。
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今日8時の気温は16度。天気は雨。少し肌寒いです。
桝水~鍵掛間土砂流失のため、8/20、AM5:00~通行止め。
PM2:30 桝水~鍵掛通行止め解除
説1)液体を瓶などに注ぐときに使う道具
説2)常行堂院谷のつづまったもの
この2つの説からきていると言われています。
説1に関しては谷の形がじょうごに似ていたためで説明が出来ますが、
説2に関しては、常行堂が建っていたような広い平地は見当たりません。
そう言ったことも含め、もし、一つの堂だった場合、
今現在ある阿弥陀堂の阿弥陀如来は堂の大きさに比べ不釣合いなため、
平安初期の阿弥陀堂はもっと大きかったのではないか?と言われています。
また、阿弥陀堂の柱は洪水の為、傷だらけですが、阿弥陀如来は傷が殆ど無く、
何故、流れ(壊れ)なかったのか?…と言うような疑問も出ています。
そのため、流れたのはあくまで常行堂であって、
その横に並んであった阿弥陀堂は被害が少なかったため、
流れてしまった常行堂と阿弥陀堂の二つを合わせて今の位置に
再建されたのではないか…?という様な説もあります。
ちなみに阿弥陀堂が手の届く箇所の金メッキが剥がれて下地が見えているのは
人々が参拝の折に、手を触れて祈願したためだと言われています。
歴史書のなかで、享禄の大洪水で南光院谷の諸院をも流し、
南光院は南光河原の左右に分かれ、西明院谷、中門院谷の下手の地続きに移転した
蓮浄院もこの時移転してきたものであり、もとは南光院谷にあった
(法雲院、理観院、金剛院も)と言うような記述もあることから、
洪水(山津波?)が起きて堂が流れてしまった。と言うのは間違いないようですが、
どの堂がどのように流れてしまったのかは正確には解っていません。
ちなみに昭和52年、消火設備に1000万ほど掛けているとか。
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今日8時の気温は16度。天気は雨。少し肌寒いです。
PM2:30 桝水~鍵掛通行止め解除