BES大山(鳥取)

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豪円僧正

2006-10-22 09:01:00 | 歴史・文化
豪円僧正は死の間際、
「米子城を見下ろせる処に葬ってくれ、米子城が滅ぶ日を見届けてやる」
との言い伝えが残っています。
また、豪円僧正の墓石を米子城から別方向に動かすと
何時の間にか、また元の位置へ戻ると言われています。

しかし、これらは後の時代に作られた話で
実際にはそのような事は無かったとも言われています。

豪円僧正といえば、大山寺座主として有名です。
その手腕も優れており、大山寺内の利害対立を解消して一山をまとめ、
寺領三千石の安堵状を幕府から取り付けるほどでした。
(大山寺領を独立した国家として認める)

豪円僧正は、天文五年(1536)、大山山麓で生まれ、幼くして両親と死別、
七歳で大山寺に入り、九歳で得度。
二十五、六歳で比叡山に上って東塔西谷地福院の住職となり、
大山寺座主を兼官しました。

慶長十六年(1611)六月五日、六十七歳で没すると、
呼滝山(現在の豪円山)の山頂に石像の御影像が安置されました。

標高892mの豪円山には大きな滝があり、
時にはその爆音が山野にこだましたことから、古くは呼瀧山と呼ばれていました。
大山寺中興の祖豪円僧正の墓所となってから豪円山と呼ばれるようになりました。

豪円僧正については、伯耆坊俊夫さんの小説「豪円和尚」
が立花書院から出版されています。(山陰主な書店で販売中)
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紅葉の進み具合は・・・停滞中。