でこぼこ道を歩いて  (クッキーの日記 )

中1に五月雨登校から不登校へ
中2の2学期に復学、でこぼこ道を歩きながら大学生になりました

中1 9月~12月 五月雨登校中期

2011-11-21 17:13:10 | 中1 五月雨登校

2学期になりました。親の期待は、見事に裏切られ悲しいスタートとなり、始業式から休んでしまい週3日登校するパターンになってしまいました。

 

初めての文化祭、息子「することが無い暇、行っても仕方ない。」と、母は「準備や片付けは手伝えるよね。」 文化祭前後は登校しました。

学校からの文化祭の準備日程表を貰っていたのに見ていない息子、時間割通りに重いカバンを提げ登校帰宅後「みんな手ぶらやった。」プリントも見れないの学校に気持ちが向いていないのですね。

でも、再開した英会話は続けていました。この時は、まだ勉強しなくてはと思っていたようです。

 

原因は、過敏性大腸炎。これさえ治ればちゃんと行けると信じていました。ネットで検索します。どこかにいい病院はないか?大学病院を見つけ電話しましたが、なんと半年待ち。近くに無いのかとにかく探しました。

心療内科は嫌がって行かないだろうと思い、思春期外来のある所を。やっと一軒、先生が派遣されている所をみつけました。予約は、2週間先です。

それでも見てもらえると思うと何とか解決の糸口が掴めるのではないか、かすかな期待を持ち診察日を待ちました。息子には、「お腹も1度検査してもらおうね。」と言っていました。素直にこの時は聞いてくれました。

 

10月に入り、やっと診察日午後2時からの予約です。何故か、この日登校し病院に行かないのか心配しましたが、「早退して行くと。」初めての精神科のある病院です。やはり普通の病院とは雰囲気が違いました。別室に呼ばれ、その部屋は理事長室と書いてありました。

 

やはり偉い先生なんだと。恰幅の良い優しそうな先生でした。母は、現状を伝えると先生は、息子に「高校はどうしたいの?」息子「高校は、○○に上がる」先生「そう。お母さんがうるさいか?」息子「.....」無言で頷き

先生「そうやなぁ、お母さん黙って見といてあげて下さい。この子は、よく判ってます。お手伝いとかさせて昼夜逆転にならないように。お腹は、内科で見てもらってください。大丈夫ここに来てる子は、色んな子がいます。でも高校も出てきちんと働いている子が一杯います。そんなに心配せんでも大丈夫ですよ、又相談に来てください。」でした。

 

拍子抜けと言うか、相談した意味あんまりなかった。博士号取ってる先生でも治療ということはされなかった。息子は、軽い症状なのか、カウンセリングってこんな物たった30分で何が話せる、なにが判るのかそんな気持ちでいっぱいでした。

息子も「もう行かへんから、お母さんこれから黙っといてよ、何も言うたらアカンで。」母「わかった」これで息子が何か変わったと言えば宙ぶらりんのクラブを自ら辞め、化学部に入ったのでした。

 

 

連休に、主人と釣りに行く約束を1ヵ月前からしていました。最初は、何時も遊んでいるM君を誘って来たらと言っていましたがM君は行かないと、それで息子だけになっても行くか?と念押ししていたのに前日行かないと言い出し、息子「朝起きられへん」

 

父「あれだけ確認してんのに、今頃なんやお前のために行く約束したのに。」 息子「無理」 父「約束守らへんやつ最低や、男やったら前から言ってることや守れお前の顔なんか見たない出て行け

 

実は会社の釣り部で行く、毎年の恒例行事なのです。バスを借り切り目的地まで、みなさん子供連れか、ご家族の参加です。以前息子も行った事があります。ですので、息子が行かないからと言って父はキャンセルできないのです。

 

その日から父は、息子を無視し始めました。約束を破ったのは息子です。どちらも頑固です。何とかしなくては、母「あんたが、約束を破ったことは事実や。嫌やったらもっと早く言うべき違うか、

○○が悪いやろ、きちんとお父さんに誤りお母さんはこんな嫌な思いするのは、うんざりや。」息子「お父さんは怒ってるから許してくれへん」

 母「そんなん言って、このままでどうするのお母さんからも言ってあげるから謝り。」こうしてなんとか息子から謝り父も平常心に戻りました。ヤレヤレ

 

私は、市の教育相談の心療心理士の方に相談に行っていました。かなり気持ちがボロボロになり、息子のことを考えるだけで涙が出ていました。とにかく辛かったでも仕事も休むわけに行かず、、、。うつ状態だったと、気力が湧かなかった。

教育相談の方は、いつも話しをよく聞いて下さいました。不登校の息子の話など他ではできません。ここで気持ちを吐き出し、その時は前を向こうといつも思い帰ってきたものです。

 

息子は、学校へ行けた日は、帰宅すると必ずwiiをしていました。ストレスの発散と、まだゲームの頻度は低かったです。息子から「学校休んだら取り上げていい」とwiiを出しては、隠しての繰り返しです。

 

化学部に変わってから息子に変化が見られました。学校の話をするようになり、登校の日数も少し増えてきました。

息子の居場所ができたように見えました。中間テストは1日だけお休みしました。腹痛も少しは減ってきたのでしょうか?クラブを変わったお陰で友達もたくさん出来、クラブのある日は休みませんでした。休むと必ず「明日は来いよ!!」のメールが来ていました。少しずつ学校で楽しい事もでてきたのですね。母はこのまま学校に行く日が増えればと願うばかりでした。

 

12月に入りPSPを買って欲しいと言ってきました。「クラブのメンバーがもってるから一緒にしたいと。学校ちゃんと行くから、行かへんかったらPSP取り上げていいから。」

少し早いクリスマスプレゼントということで、モンスターハンターのソフトと一緒に。なんと12月はたった3日休んだだけでした。きっと治った、もう大丈夫

 

冬休みは6日間だけ個別の塾に行かせました。息子と相談し数Ⅰだけということで、勉強の遅れをやはり気にしていたようです。本当は英語も受けて欲しかったのですが、(10月に英会話を辞めてしまったので)

でも今思うと嫌だったのですね、母が仕事で塾まで送れないのは、たった2日だけなのに行けなくて振り替えしていましたね。

 

思春期外来の先生が言われていた通りに母は、黙ってみていたらこんな事には、ならなかったのでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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Unknown (かのん)
2011-11-24 08:40:35
クッキーさん、こんにちは

我が家の次男は夏休み明けから1週間ほどで完全不登校となりましたが、その前は何日も送っていく日々が続いていました。

早朝から目が覚め「今日はすんなり行ってくれるだろうか?」「ごねるのだろうか?」
朝が来るのが辛かったです。

夫と二男の関わりについても私には不満がありました。
双方の気持ちがわかるだけに辛かったです。
記事を読んでいてクッキーさんの辛い気持ちが伝わってきました。

入学式から泣き、毎朝行き渋っていた二男。
あの頃の関わり方をもっと違ったものにしていれば、二男は3か月の不登校にはならなかったのかもしれない。
今も、時折心が痛みます。
けれど、あの日々があって今の私たち親子がある。
そう気持ちを切り替えてついつい過干渉になりがちな自分を軌道修正しています。(ぶにん先生に修正していただいている部分がかなりありますが

当時の辛い記憶をたどりながらの記事だと思いますが、更新頑張ってくださいね。

二男も中学受験をすることになりました。
こちらは定員割れの偏差値50を下回る学校も多いので、(二男の受験校も含め)親的にはそれほどプレッシャーはないのですが、やっぱり心配は心配。
本人もそれなりにプレッシャーがかかっているようなので、見守って行きたいと思っています
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Unknown (クッキー)
2011-11-24 20:14:47
私も過干渉になりがちで、ぶにん先生に助けていただいています。
継続登校が落ち着いてきている今が要注意です。
親は、ついあれこれと言ってしまい、(主人です)気をつけています。
又、不登校に戻ってはいけないですからね。
次男君、受験ですか、親も子も大変になりますが、無理せず見守ってあげて下さいね。
息子、受験1週間前に新型インフルエンザに掛かり焦りましたが、事なきを得ました。
急に寒くなってきましたので、体調に気をつけて下さい。
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