でこぼこ道を歩いて  (クッキーの日記 )

中1に五月雨登校から不登校へ
中2の2学期に復学、でこぼこ道を歩きながら大学生になりました

中1 五月雨登校から完全不登校へ

2011-11-29 15:25:53 | 中1 五月雨登校

3月 さらに状況は悪くなり、登校日数わずかに4日。第2週目からずっと欠席。

とうとう終業式も欠席、毎夜遅くまでゲーム、ゲーム。wi-fiも切断した。でも一緒、親は何も出来ない。

毎朝辛そうにして起きることが出来ない。起立障害になってきたのか?どうやら朝方眠りについているようです。

 

保護者会があり、参加した後担任と学年主任に時間を取って頂き話をしました。

クラスのU君から深夜のゲームの誘いがあり困っている事を伝えると、他の保護者からも苦情が来ていると。

こんな誘いがなければ朝、きちんと起き、登校できたのにとU君を恨みました。

 

原因の根本はそこではなかったのです。半分は、分かっていたのですが誰かのせいにしたかった息子を擁護したかった気持ちが強かったのです。

学校側から現状を聞かれ、正直に話ました。「勉強は、まったくしていません。毎日遅くまで寝ています、生活のリズムが崩れ朝、起きれません。両親の言う事も全く聞きません。

今、家庭でもとても困った状況になっています。」 先生「このままでは、仕方がないですから公立に変わられたらどうですか?」

とうとう、言われてしまいました。でも息子の高校に上がると言った言葉を信じていましたので転校の話は受け入れませんでした。

 

帰宅後、主人と話し合いました。いったいどうすればいいのか

息子に確認を取りました。父「学校もう授業についていかれへんやろ、公立に変わるか?」 息子「なんでやねん」 父「どうすんねん」 息子「行くって行ってるやろ」 父「そう言って行ってないからきいてんねん」 堂々巡りです。答えは出ません。

とうとう父も怒り出し「義務教育まで家においといたる。もう、中卒でいい、いくら言っても無駄や、中学卒業したら出て行ってもらう。それ以上は、面倒見ない。わかったか

父「俺は、何の為に働いてんねん。こいつにアホほど金使って。」

 

もちろん、息子には転校を薦められた事は話していません。でも今の状態だと高校に上がれないとは言っています。

それでも学校は辞めるといいません。勉強は嫌になっていますが、友達がいるからでしょうか?それともプライドが邪魔をするのでしょうか?

今ならまだ、公立に変わればやり直しはいくらでもできます。でも地元の公立でやり直す勇気は息子にはありません。

 

終業式の日、担任から電話があり翌日ロッカーの荷物や成績表をもらいに行きました。

担任からも「このままだと、高校に上がれないよ。春休みにしっかり復習するように。」と言われ帰宅しましたが何も変わりません。

息子はいったいどうしたいのか?何を考えているのか?まったく分かりませんでした。

 

母の目もだいぶ良くなりましたが、半年前から予約していた鼓膜の手術がありました。

洗濯機の使い方、ごはんの炊き方を教えました。出来ると言っていましたが、結局ほとんど主人がし、息子は1日だけ洗濯を干し、ごはんを炊きました。

母にしつこく電話で言われたその日だけ。

 

春休み中に10日間入院しました。入院中息子は、甥っ子に連れられて1度だけお見舞いに来ました。

髪もずっと切っていないのでロン毛になって、お風呂もあまり入らなくなっていたので髪は、フケだらけです。

病院の下に散髪屋さんがあるので行こうと甥っ子に再三言われましたが、行きませんでした。

 

不登校は、人間を変えてしまいます。常識が通用しません。今まであんなにきちんと出来た息子でしたのに。

昼夜逆転。

ゲーム三昧

お風呂は、入らない。

否定的でマイナス思考。

夜中にお菓子を食べる。

自己中心的

なにひとつ、良いことはありません。悲し過ぎます。

1年生終わってしまいました。

出席日数 209日のうち 欠席83日 遅刻21日 早退1日

文部科学省によると30日以上連続欠席(病気以外)を不登校と言います。

息子は、あきらかに不登校です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中1 1月~2月 五月雨登校 終期

2011-11-27 16:33:59 | 中1 五月雨登校

1月、いよいよ3学期です。年も明け新たな気持ちで登校してくれると信じていました。

蓋を開けてみると、18日出席のうち遅刻3回、欠席8回でした。今までと少し朝の状況が違う。

朝、起きれなくなってきました。何度起こしても返事は、しています。でも後で聞くと「知らん、起きてない。」

起きたとしても、朝食をとってから部屋に上がると又寝てしまっています。

友達と約束のある日、クラブのある日は大体起こすと起きます。お腹が痛くても遅刻して行けます。要するに自分の都合の良い時だけ学校に行っているようになってきました。

 

2月に入り何かが、今までと違うと。息子の携帯を見ました。信じていないのですね息子を、でも何故こんなに朝起きれなくなったのか真実を知りたかったのです。

悪い友達にひっかかっていないか?変なことに巻き込まれていないか?親バカと思われてもいいのです。

深夜の友達からのメール、恐い言葉が書き込まれていました。「闇の世界に行こうぜ!」

wi-fiがありましたので深夜にPSPの通信をしていました。朝の3時まで。そんな時間までどうして、ゲームにのめり込むのか理解に苦しみました。

PSPを持ったまま寝ている状態が続き、学校を休んだ日はずっとゲーム三昧。PSPと携帯は離せない生活へと。

PSPを取り上げようとすると、「何でも取り上げんな」と声を荒げ母に暴力を振るうようになって来ました。

 

学校を休んだ日は、必ずと言っていいほど怒鳴りあい、体の大きくなった息子を力で抑えることは到底できませんでした。母の手足にあざは毎日のように出来ました。

すぐに足蹴りする息子、そんな暴力に負けたくない母、とにかく必死で息子に向かっていました。

母の罵倒も増え、「出て行き」制服や教科書をゴミ袋にまとめたことも有ります。息子は、泣きながらそれを取り返し元に直していました。

息子は部屋に篭もりがちになり会話は無くなっていき、協力的だった父も見放すようになって行きいつも遅い帰宅となっていきました。家庭は暗く息苦しい毎日でした。

 

この時期は、一番辛かった。息子に何を言っても通じない。

部屋はバリケード、机を動かし扉を開かないようにしていました。いつも扉越しに話をしに行きました。

少し開いた扉の隙間から息子のおぞましい笑みを忘れることはできません。まるで悪魔でも取り付いているように見えました。

 

息子に正論は通用しません。聞いてもらえない状態です。 母「学校どうするの?辞めるの?」 息子「何でそうなんねん」 母「お母さんが手助けしようと手を差し出しているのに、それを受け取ってくれないと、どうしようもないよ。」 息子「そんなんいらん」 母「あんたは不登校やで、学校普通に行ってないのよ、分かってる?」 息子「学校行ってるやん。」

 

2月は21日出席すべきところ、9日欠席 遅刻7回しかも殆ど5時間目からの出席 朝からきちんと登校できたのは、たった5日です。

担任の先生は「朝起きられないのだったら昼からでもいいから、何時間目でもいいから登校しなさい。」と。その言葉に息子は甘んじ、「遅刻は何時間目からでもいいねん、一緒や」と

昼ご飯を食べてから登校していたのです。事態は益々悪くなるばかりです。

 

母も毎日のように涙していました。仕事中も涙が出てきます。精神的にも体力的にもかなり参っていました。

右眼をやられ、角膜炎と眼球表面の傷によりほとんど真っ白に見えるようになり、医師から仕事を休むように言われました。

とにかく、休養が先と、でも何時頃治るのか目途は立ちません。治りかけたと思うと又悪化するの繰り返しでした。

仕事は辞めなければならない状況になってしまい、治らない眼がさらに苦痛を増すこととなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中1 9月~12月 五月雨登校中期

2011-11-21 17:13:10 | 中1 五月雨登校

2学期になりました。親の期待は、見事に裏切られ悲しいスタートとなり、始業式から休んでしまい週3日登校するパターンになってしまいました。

 

初めての文化祭、息子「することが無い暇、行っても仕方ない。」と、母は「準備や片付けは手伝えるよね。」 文化祭前後は登校しました。

学校からの文化祭の準備日程表を貰っていたのに見ていない息子、時間割通りに重いカバンを提げ登校帰宅後「みんな手ぶらやった。」プリントも見れないの学校に気持ちが向いていないのですね。

でも、再開した英会話は続けていました。この時は、まだ勉強しなくてはと思っていたようです。

 

原因は、過敏性大腸炎。これさえ治ればちゃんと行けると信じていました。ネットで検索します。どこかにいい病院はないか?大学病院を見つけ電話しましたが、なんと半年待ち。近くに無いのかとにかく探しました。

心療内科は嫌がって行かないだろうと思い、思春期外来のある所を。やっと一軒、先生が派遣されている所をみつけました。予約は、2週間先です。

それでも見てもらえると思うと何とか解決の糸口が掴めるのではないか、かすかな期待を持ち診察日を待ちました。息子には、「お腹も1度検査してもらおうね。」と言っていました。素直にこの時は聞いてくれました。

 

10月に入り、やっと診察日午後2時からの予約です。何故か、この日登校し病院に行かないのか心配しましたが、「早退して行くと。」初めての精神科のある病院です。やはり普通の病院とは雰囲気が違いました。別室に呼ばれ、その部屋は理事長室と書いてありました。

 

やはり偉い先生なんだと。恰幅の良い優しそうな先生でした。母は、現状を伝えると先生は、息子に「高校はどうしたいの?」息子「高校は、○○に上がる」先生「そう。お母さんがうるさいか?」息子「.....」無言で頷き

先生「そうやなぁ、お母さん黙って見といてあげて下さい。この子は、よく判ってます。お手伝いとかさせて昼夜逆転にならないように。お腹は、内科で見てもらってください。大丈夫ここに来てる子は、色んな子がいます。でも高校も出てきちんと働いている子が一杯います。そんなに心配せんでも大丈夫ですよ、又相談に来てください。」でした。

 

拍子抜けと言うか、相談した意味あんまりなかった。博士号取ってる先生でも治療ということはされなかった。息子は、軽い症状なのか、カウンセリングってこんな物たった30分で何が話せる、なにが判るのかそんな気持ちでいっぱいでした。

息子も「もう行かへんから、お母さんこれから黙っといてよ、何も言うたらアカンで。」母「わかった」これで息子が何か変わったと言えば宙ぶらりんのクラブを自ら辞め、化学部に入ったのでした。

 

 

連休に、主人と釣りに行く約束を1ヵ月前からしていました。最初は、何時も遊んでいるM君を誘って来たらと言っていましたがM君は行かないと、それで息子だけになっても行くか?と念押ししていたのに前日行かないと言い出し、息子「朝起きられへん」

 

父「あれだけ確認してんのに、今頃なんやお前のために行く約束したのに。」 息子「無理」 父「約束守らへんやつ最低や、男やったら前から言ってることや守れお前の顔なんか見たない出て行け

 

実は会社の釣り部で行く、毎年の恒例行事なのです。バスを借り切り目的地まで、みなさん子供連れか、ご家族の参加です。以前息子も行った事があります。ですので、息子が行かないからと言って父はキャンセルできないのです。

 

その日から父は、息子を無視し始めました。約束を破ったのは息子です。どちらも頑固です。何とかしなくては、母「あんたが、約束を破ったことは事実や。嫌やったらもっと早く言うべき違うか、

○○が悪いやろ、きちんとお父さんに誤りお母さんはこんな嫌な思いするのは、うんざりや。」息子「お父さんは怒ってるから許してくれへん」

 母「そんなん言って、このままでどうするのお母さんからも言ってあげるから謝り。」こうしてなんとか息子から謝り父も平常心に戻りました。ヤレヤレ

 

私は、市の教育相談の心療心理士の方に相談に行っていました。かなり気持ちがボロボロになり、息子のことを考えるだけで涙が出ていました。とにかく辛かったでも仕事も休むわけに行かず、、、。うつ状態だったと、気力が湧かなかった。

教育相談の方は、いつも話しをよく聞いて下さいました。不登校の息子の話など他ではできません。ここで気持ちを吐き出し、その時は前を向こうといつも思い帰ってきたものです。

 

息子は、学校へ行けた日は、帰宅すると必ずwiiをしていました。ストレスの発散と、まだゲームの頻度は低かったです。息子から「学校休んだら取り上げていい」とwiiを出しては、隠しての繰り返しです。

 

化学部に変わってから息子に変化が見られました。学校の話をするようになり、登校の日数も少し増えてきました。

息子の居場所ができたように見えました。中間テストは1日だけお休みしました。腹痛も少しは減ってきたのでしょうか?クラブを変わったお陰で友達もたくさん出来、クラブのある日は休みませんでした。休むと必ず「明日は来いよ!!」のメールが来ていました。少しずつ学校で楽しい事もでてきたのですね。母はこのまま学校に行く日が増えればと願うばかりでした。

 

12月に入りPSPを買って欲しいと言ってきました。「クラブのメンバーがもってるから一緒にしたいと。学校ちゃんと行くから、行かへんかったらPSP取り上げていいから。」

少し早いクリスマスプレゼントということで、モンスターハンターのソフトと一緒に。なんと12月はたった3日休んだだけでした。きっと治った、もう大丈夫

 

冬休みは6日間だけ個別の塾に行かせました。息子と相談し数Ⅰだけということで、勉強の遅れをやはり気にしていたようです。本当は英語も受けて欲しかったのですが、(10月に英会話を辞めてしまったので)

でも今思うと嫌だったのですね、母が仕事で塾まで送れないのは、たった2日だけなのに行けなくて振り替えしていましたね。

 

思春期外来の先生が言われていた通りに母は、黙ってみていたらこんな事には、ならなかったのでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中1 7月、8月 五月雨登校初期

2011-11-19 10:36:16 | 中1 五月雨登校

7月に入りました。息子の顔色は常に悪くなっています。生気が無いというか制服を着るのも嫌がりました。きっと学校に無理に連れて行かれると思うからでしょうか

 

やっと制服を着てくれた日は、姪っ子の結婚式。親戚も集まります。暗く物言わぬ息子を無理やり連れて行きました。みんなは、学校に行けていない事は知っていますので余計に居心地が悪いという感じです。

でも、お兄さん的な甥っ子は、何かと気にかけてくれてました。少し息子の気持ちも和らいだのでしょうか?

 

いよいよ期末テストが近づいてきました。勉強もしてるような雰囲気はありません。もうこのまま夏休みを迎えてしまうのか。夏休みのキャンプも行かないのか?益々みんなと離れてしまう。どうするの

 

親は、説得するというか、不安材料を並びたてました。父「学校辞めるんか」 息子「なんでやねん、明日からちゃんと行くやろ」

父「いっつも同じ事ばっかり言うてるやないか学校行くのは、お前の仕事や、当たり前の事ができひんねんやったら飯食うな 、中卒になるんか」 息子「絶対明日から行く」

 

期末テスト4日間のうち2日テストを受けました。終業式も行き、クラブまでして帰ってきました。 息子「夏休みクラブ行くから」 母「そう、頑張っといでね。」

夏休み中の補習は6日間のうち3日行きました。サマーキャンプも行け、楽しそうに話してくれました。

始めてのカヤックが面白かったこと、クラスメートがバランスを崩し湖に落ちたこと、食事の美味しかったこと、サイクリングが大変だったこと、なにより腹痛は起こらなかったこと、などなど。

 

3者面談の日、担任の先生は「まだ、充分取り返せるから夏休みの宿題をしっかりしてきなさい。クラブは、いつでも変われるよ」 息子は「はい」と返事しただけでした。

これで、2学期から学校にもう少し行けるかな?と勝手に思っていました。

 

 

8月 夏休み

息子の気持ちをリフレッシュする為にも旅行に行きました。蓼科の自然の中澄んだ空気がとても爽やかでした。ホテルのお料理もとても美味しくて

息子も父と仲良く会話していました。普通の何も問題の無い家庭のように、この時ばかりは、五月雨登校のことは忘れていました。

 

夏休み中、とても元気になっていました。 なにか心のつっかえが取れたようにご近所のM君と毎日のように遊んでいました。カードゲームやDS、Wii、ボーリングやプールに連れて行ってもらったりと。

 

息子が引き篭ることが無かったのは、この仲良しのM君のおかげです。息子には、まだ一緒に遊べる学校の友達はいませんでしたから、当然ですね。学校に行ってないのですから。

 

学校のある日は、土、日なるのを待ち構えていたように必ず誘いに行っていました。親は、少しでも外へ出る機会を作ってほしかった。引き篭りにならないためにも息子のストレスの発散になるのであればと。

 M君、いつもありがとうほんとうに、助かっています。

 

M君には、学校へ行けないことを少し話していたようでした。どんな風に話したのでしょうかお互いの学校の話をよくしていました。

M君は公立です。その話を母にしては、自分のいる学校が、どれだけ良いか自慢していたようです。

 

息子「帰り、マクドにも寄れるし、ボーリング、映画、カラオケも自分等だけで行ける、良かった。公立みたいに訳わからん先生い~ひんし、変なやつもおらへん。」

楽しいことしか言ってませんね。こう思うのであれば学校行ってよなんでなん。

 

M君は、共感してくれたようで「僕も学校行くの嫌になるときがある。玄関出ようと思うとそうなるで。」って言ってたで 

母「でも M君は学校に行ってる。違うよね、○○は嫌なことから逃げたらアカン。」

 

結局クラブには、一度も行きませんでした。でもクラブの連絡網は、回って来ます。辛いです。

嫌ならさっさと変わればいいのに、ユニホームも注文したのにどうするん

 

宙ぶらりんの状態です。

まだ親子の会話があるので、いろいろ話は聞けました。というより質問ぜめに息子が答えなくてはいけない状況を作っていたのですね。

 

 

  

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中1 6月 五月雨登校の始まり

2011-11-17 10:47:42 | 中1 五月雨登校

5月末から4日間続けて、腹痛と下痢で欠席しました。かかりつけの病院へ行くと「今、流行の胃腸炎やね。」と言われ治ったら大丈夫と思っていました。

次の週は、1日欠席。その次は、2時間の遅刻と1日欠席。4週目は、4日欠席と休みが増えていきました。

毎朝、時間には起きますが朝食後お腹が痛くなり、おトイレに篭もるようになります。出てきたら部屋に入って横になってしまう。

 

毎朝「6時45分、はよ起きよ。ご飯できたよ、まだ起きてないの、はよ起きな遅刻するよ。」おトイレに入ると「今○○分、早く出ておいで。まだ?学校に連絡する時間やけど、どうするの?」

こんな風に毎朝、母はイライラしながら息子に同じことを言っていました。パートに出ていた私は勤め先から休憩時間に必ず息子に電話やメールをしました。気になって仕事に集中できません。

 

休んだ日、息子は勉強が遅れることを気にして勉強していました。この頃は、学校を休んだ罪悪感が息子の中にあり、ゲームはしていませんでした。朝もきちんと起きますが行けません。

 

親も何度もしつこく休む理由を問いただしますが、

父「あれだけ勉強して入ったのに全部パーにするんか、何が嫌やねん。虐められてるんか?」どの親も何かあったのでは?と心配しますよね。

息子の答えはいつも「何にもない、お腹が痛くなるだけや。学校でトイレばっかり入ってられへんから。」

母「こんなに休むとついていかれへんよ。公立には、変わられへんよ。ちゃんと行かな。」 なんで「公立には、変わられへんよ。」と言ったのか親のプライド?

息子「わかってる、明日はもっと早く起きてトイレに入っても間に合うようにする。」 いつもこんなやり取りです。

 

精神的ストレスからくるものなのか?ネットで調べました。過敏性大腸炎、男の子に多い下痢型まさにこれだ

でも息子は病院に行ってくれません。昼過ぎには治るので「薬は、いらん。病気と違う。」 

 主人も心配して休みを取り、心療内科に連れて行こうとしましたが梃子でも動きません。

息子は、頑固です。何度説得しても駄目なので、うそを付いてでも連れて行こうとしましたが車に乗せようとすると何かを察し部屋に逃げられてしまいました。

 

 

母は、学校との連絡は怠りませんでした。何も手を尽くしてないと思われるのが嫌で、学校と何処かで繋がっていないと不安で

何しろ、こちらから連絡しないと学校からは時間割の変更等が無い限り連絡は有りません。公立ですと毎日のように担任から連絡があったり家庭訪問に来られたりと聞いています。

連絡が有りすぎてもても辛いですが、、、、

 

期末テスト1週間前になり学校にプリントやらロッカーに置いているサブ教材など取りに行きました。

担任は若いと~てもやさしい先生です。不登校の生徒さんを一度受け持ったことがあり、母を励まして下さいました。

担任「高校に上がる頃には目標もでき、きっと治りますよ。○○君にも言いましたが、中2まで来れない子がいて中3から頑張ってきちんと高校も卒業していったから大丈夫だよ。」と

「私も離れて様子を見ていますので、何時間目でもいいですから来てください。」 とっても嬉しくて涙が溢れました。

 

テストに行けるかわからない息子の為に授業のプリントもまとめてくれていました。頭が下がります。母は「ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。」と深深と頭を下げるのみでした。

帰り、通学路を歩く生徒を見て涙が止まりませんでした。  「なんでうちの息子だけ行けないんだろう」と