山の音を読んだ。雪国の主人公稲村だったか、よりはこの主人公尾形信吾の方が生き様がハッキリしている。息子の修一も戦争へ出掛けて、その後遺症を受けている。その妻も然り、修一の愛人も然り。信吾は初老の域に入り、人生の終りが近づくのを肌で感じている節がある。妻の姉に描く思慕、息子の嫁に対する想い。吉本隆明の言う浸透力なのだろう。この小説の方が遥かに各登場人物の浸透力を巧みに書き分けている、と思う。
補足1
雪国と山の音との表現の差は時代背景の違いが大きいのだろう、と後で思った。雪国1937年?で中国で戦火が激しくなる前、山の音は1952年?で敗戦後。山の音新潮文庫版には山本健吉の解説があったが、この小説は私はある意味で川端の反戦思想が込められていると思う、山本健吉はそんなことは解説していないが・・・。
続いて「されど我らが日々」柴田翔を読むことにする。
補足1
雪国と山の音との表現の差は時代背景の違いが大きいのだろう、と後で思った。雪国1937年?で中国で戦火が激しくなる前、山の音は1952年?で敗戦後。山の音新潮文庫版には山本健吉の解説があったが、この小説は私はある意味で川端の反戦思想が込められていると思う、山本健吉はそんなことは解説していないが・・・。
続いて「されど我らが日々」柴田翔を読むことにする。