押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

打ち水

2005-11-21 13:34:11 | おもいつき
ちょっと季節はずれだが、打ち水大作戦と言うイベントがある。浴衣を着て江戸情緒たっぷりに打ち水をして涼もう、と言うのが売りで、テレビ、新聞に喧伝している。

私はもうすこし真面目に考えているのだが、なかなか話は伝わらない。

昔は、4-50年前か、水冷式熱交換器というのが使われていた。空調機の室外機としてはこれが使われ、ビルの屋上には水冷式熱交換器が林立していた。私も当時の仕事柄、電子計算機のユーザー代表として、空調システムの管理を任されていた。水冷式熱交換器は上部に温水がフィン付の細いダクトを通り、その更に上から散水された水で冷される、というものである。散水される水は下の水盤に集められ、ポンプで上に上げて、また散水される。蒸発、飛散した水は補給される。冷却の基本は気化熱を温水から奪って、冷すのである。これは正に打ち水大作戦の根本原理である。

NPOに関っている知人にある折電話する事があって、用件が済んでから、この話とかエネルギー問題、燃料電池などなどの話を取りとめもなくした。

そうしたら、真面目に回答があり、恐れ入りました、二三の本を紹介して呉れた。それらがこれあれである。

空冷式熱交換器ではある熱量を冷媒によって室外へ運び出し、交換機によって、空気を暖めることでその熱をその場の空中に放出している。当然効率の悪い分元の熱い空気より温度も高く容量も増えている。これが都会のヒートアイランド現象の根本原因である。

水冷式では気化熱で熱を運ばせるので、水が水蒸気となり、別の場所で水蒸気が水となり、その時潜熱?が発生する。雲が出来る時に潜熱が発生してるのだろうか?気象学の本でも読んでみよう。

何故水冷式熱交換器が使われなくなったのだろう。私の素人考えは冷却水の温度が20数度になると藻が大発生する、と言う経験があり、毎年6月頃熱交換器のメンテをすると言うのが必要不可欠であった。空冷式ではメンテフリーである。

しかし、この素人考えは知人が問い合わせたプロは一笑に付して、冷却水を地下水の汲み上げでは賄いきれなくなったからだ、との説だった。これを打ち破るにはちょっと定量的な計算をしなければならない。ここに問題点だけ書いて、私の宿題としよう。

ある組織の解散

2005-03-07 07:25:17 | おもいつき
三月六日午後にある文学関係の組織の解散講演会とパーティがあり、直接も間接も関係ないのだが、強いて言えば、野次馬的な気持ちで参加した。

行ってみると、六十周年と言う文言も頭にあった。敗戦後の我々が普段なかなか聞けない話があり、それはそれで面白かった。五時からパーティとなり、あれこれの方々がそれぞれに発言され、これはまた、意見の違い、振幅の差が大きく、もっと早く解散すべきだの、改憲の動きのある中もっと持たせろだの、さもありなん、と言う風に受け取れた。

組織としては老齢化が目立ち、文系の名誉教授クラス(七十台)が矍鑠として意見を述べられているのが私には、失礼だが、奇異な感じがした。やはり、もっと早くに若者を運動に取り入れられなかったのは、長期戦略的に、誤りがあったのだろう。

それから文系の運動には、対立する意見・考えの正しさをどのように運動の中で証明するか、が日本のみならず、世界的にないので、技術的に主導権を握る者の意見・考えが正しいように見えてしまうらしい。誰も主導権をとらない、取れない、と言う状況もあるのだろう。

難しい。

月齢 2005/3/1 月齢 20.2 出2242 南中0309 入0834

2005-03-01 17:25:01 | おもいつき
月齢を知るには色々あるが、私は理科年表と言うデータブックを持っているので、月の暦を見ると月齢を知る事ができる。理科年表の暦の部分だけ取り出した暦象年表というのがあって、私はこれを使っている。厚さが3mmくらい。

本日の月齢、出入り、南中は 2005/3/1 月齢 20.2 出2242 南中0309 入0834 である。

出の2242に続づいて月を見ていたら、3月2日の0309に南中する、と言う意味かな?後で調べて見よう。

第三の男とカサブランカ

2005-02-27 21:05:39 | おもいつき
余丁町散人の隠居小屋に第三の男の面白い解釈があった。『「第三の男」……正義のために自分の親友を殺すのが人間の道なのか?』
  http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1310380191/E2104406103/index.html
と言うものである。

こういう見方もあるのか、と感心した。クリックすれば簡単に余丁町散人の考え方は読めるので引用はしない。

私はこの作品を映画で五回くらい、ビデオで二三回、DVDでも二三回見たと記憶する。後になる方が新しい発見があったりして、面白いなァ、と感じていた。DVDを見た時に感想をある演出家にしたら、ヨーロッパ向けとアメリカ向けがあるらしいよ、とのコメントを述べられた。

私が最後に面白いと思ったのは、ジョセフコットンの西部劇三流作家?がある文化サークルに招かれて、散々馬鹿にされる行があり、そのシーンに長々と時間を割いていたと感じた。ウイーンを管理する連合軍のイギリス将校、トレバー・ハワード、のアメリカ作家に対する苛立ちなども連合軍内での齟齬が感じられた。そうしたことが欧州文化とアメリカ文化とのある種の対立として捉えられ、最後に墓場からの長い道でのシーンに結実するのだと私はその時初めて感じた。

原作はグレアム・グリーンで結末は良く知られているようにハッピーエンドであるそうだ、読んでいない。しかし、脚色もグレアム・グリーンだそうな。キャロル・リード監督が撮影現場で結論を変え、グレアム。グリーンも説得され、納得したのだろうか。これはイギリス映画。

そんなことを思いながら、その後、カサブランカをDVDで借りて見た。バーグマンの亭主、ポール・ヘンリード、はクーデンホーフ・カレルギーがモデルだと聞いたことがある。また、彼こそ今日のEUの基礎となる欧州統合を初めて唱えた人物とも聞く。どちらも曖昧であるが、今は論旨とは直接関係はないので、ここままにしていおく。

これはアメリカ映画でやっぱり底が浅くて、ただただボギーを格好良い人物に仕立てているだけの映画なのである。年をとってから見たら、バーグマンの役なんて二人の男の間で悩んでいる風では全くなくて、ただアメリカ風に男の言いなりになっているだけなのである。ここにもアメリカ映画のアメリカ文化の浅さが如実に見えるのである。

暫くサボっている

2005-02-22 15:36:21 | おもいつき
その言い訳はあれこれの報告書の資料探しで時間を取られている。どういう訳かこの一二月に一度に二つ重なってしまった。並行してやろうとしたら、資料整理をしそこない、かえって仕舞い忘れが起ったりして、結局逐次方式でやるしかなくなった。

そこで今までのようにじっくり読んでから書くことは当分なかなか出来ないので、ちょっと思いついたら、とりあえず書き込んでおくことにする。詳しい考証は後でまとめてやる事にしよう。