俵万智の古今新古今の歌に関する記事に引用されていた高田祐彦氏の論文を岩波書店「文学」で見つけて読んだ。
素人が読むとなかなか難しい。専門用語が幾つか分らない。それらがキーワードになっていると読み飛ばせない。そうしたことがあり得るとの前提での話。
そもそもの話は西下経一氏の見解らしい。これは岩波書店『日本古典文学大系』第二十八巻『新古今和歌集』付録の月報一〇「万葉と古今」、1958年2月に掲載されている。この本はたまたま私は所有していた。月報もちゃんと入っている。読むと、古今集は万葉集に圧倒されていて、影が薄く、詰まらない歌ばかり、と多くの人が思っているらしい、と遠慮している。古今集をつまらない歌集ときめつけたのは正岡子規であり、その後多くの人がそう思うようになり、歌人、学者の間でもその考えは浸透して、定説のようになっている。私の高校の先生もそう教えた。西下先生は古今集の多くの歌が技巧に走ったのはそれなりの理由があったのではないか、と優しく考えを巡らしている。平安時代の人々の心情は、自分が周囲から孤立することを極度にきらい、どうかして周囲の人々の気持ちにつながり、融けあいたいと思い、山川の心にもつながり、融けあいたいと思い、雪と梅、雲と桜、露と涙、紅葉と錦も無縁のものとは思われない、同様の気持ちから張ると春、逢ふと近江、塵と散り、眺めと長雨、経ると降る、時と常磐山、床と床夏の花、忍ぶと忍草、露とつゆのま、・・・と更に多数の懸詞の例を挙げ、その技巧が生まれてきたと考えてはどうだろうか、と結んでいる。
長々と引用したのは「自分が周囲から孤立することを極度にきらい」と言う部分が気になったからである。この心情は現代にも一脈通じるのではないだろうか、と思ったからである。古今集の読み直し、詩情豊かな解釈などがこれから期待できるのだろう。あるいは俵万智さんがやってくれるのかも知れない。
西下先生の解釈はそれぞれの歌集はその時代を反映しているのだ、と言う所にある。解釈も流行り廃りがあるのだろうか。正岡子規が歌よみに与うる書を書いたその時代背景が気になってきた。子規も少し勉強してみたい。
素人が読むとなかなか難しい。専門用語が幾つか分らない。それらがキーワードになっていると読み飛ばせない。そうしたことがあり得るとの前提での話。
そもそもの話は西下経一氏の見解らしい。これは岩波書店『日本古典文学大系』第二十八巻『新古今和歌集』付録の月報一〇「万葉と古今」、1958年2月に掲載されている。この本はたまたま私は所有していた。月報もちゃんと入っている。読むと、古今集は万葉集に圧倒されていて、影が薄く、詰まらない歌ばかり、と多くの人が思っているらしい、と遠慮している。古今集をつまらない歌集ときめつけたのは正岡子規であり、その後多くの人がそう思うようになり、歌人、学者の間でもその考えは浸透して、定説のようになっている。私の高校の先生もそう教えた。西下先生は古今集の多くの歌が技巧に走ったのはそれなりの理由があったのではないか、と優しく考えを巡らしている。平安時代の人々の心情は、自分が周囲から孤立することを極度にきらい、どうかして周囲の人々の気持ちにつながり、融けあいたいと思い、山川の心にもつながり、融けあいたいと思い、雪と梅、雲と桜、露と涙、紅葉と錦も無縁のものとは思われない、同様の気持ちから張ると春、逢ふと近江、塵と散り、眺めと長雨、経ると降る、時と常磐山、床と床夏の花、忍ぶと忍草、露とつゆのま、・・・と更に多数の懸詞の例を挙げ、その技巧が生まれてきたと考えてはどうだろうか、と結んでいる。
長々と引用したのは「自分が周囲から孤立することを極度にきらい」と言う部分が気になったからである。この心情は現代にも一脈通じるのではないだろうか、と思ったからである。古今集の読み直し、詩情豊かな解釈などがこれから期待できるのだろう。あるいは俵万智さんがやってくれるのかも知れない。
西下先生の解釈はそれぞれの歌集はその時代を反映しているのだ、と言う所にある。解釈も流行り廃りがあるのだろうか。正岡子規が歌よみに与うる書を書いたその時代背景が気になってきた。子規も少し勉強してみたい。