押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

原発臨界事故ーその2

2007-03-19 23:35:03 | 読みちらし
事故隠しが続々明らかになってきた。水力発電の取水量の誤魔化しが既に報じられているが、原発の事故隠しは質的にその影響の大きさは比較にならない。直ちに第三者を入れた、主導する、事故調査委員会を発足させるべきである。

増税が日本を破壊する 菊池英博 ダイヤモンド社 ¥1680-

2006-11-05 00:20:33 | 読みちらし
年次計画要望書関連で図書館から借りて読み始めたが、途中で頓挫。理由は「租債務」と「純債務」の定義というか理解の仕方が問題であるということに私が気づかされたからである。租債務とは負債で純債務=租債務ー金融資産である。金融資産に米国債が入るかどうか、は少し議論の余地があるらしい。
租債務と純債務の理解の仕方、定義が正しければ、その後の歯切れの良い議論は正しい事になるらしい。私の理解では1.負債は純債務で考える。2.そうすれば負債/国民総生産(GDP)はEU諸国並みの60%台になり、債務過剰国ではない。4.だから財政均衡至上主義による増税は間違い。5.経済活性化を考えた財政政策を考えよう。
国内では彼の説は少数派である。彼が引用している米国のDavid E. Weisteinの論文を見つけた。
http://www.columbia.edu/~dew35/PDF/happynews.pdf
50ページで読むにはちょっと時間が掛るだろうが、あれこれの専門用語も出て来る事だろう。そうすればまたそれらをググルってあれこれの論文、諸説を探す事が出来そうだ。

新幹線新駅「凍結」をめぐる話題の進展?

2006-09-28 01:34:12 | 読みちらし
大津地裁判決が9月25日にあり、「新幹線新駅の仮線工事、市道拡張の起債認めず」と言う結果だった。このことを受けて、駅設置促進協議会で建設の凍結も含めて議論する事を合意した。嘉田知事は総会後、「これまで凍結を含めた議論の場がなく、話し合いの舞台ができたのは大事な一歩。(県が)JR東海などに求めてきた工事の一時中断について議論したい」と語った。
 一方、地元・栗東市の国松正一市長は凍結を含めた協議には応じるものの、「県から、新駅の経済波及効果や利用者予測の見直しに関するデータが示されないと、凍結の是非は話し合えない」と建設推進の姿勢を崩していない。

 地裁判決が事態の進展に少なからず影響を与えたように見える。目が離せない状況になってきた。

NTT東日本のIP電話通信傷害の当面の最終結論?

2006-09-27 13:59:26 | 読みちらし
NTTのこの件の最終発表はこの通り。1.不具合は三日間でこの間の基本料は取らない。 2.不具合の原因は1秒間に100件の通話に対応出来るように設計したが、ミスがあり、10件程度しか対応出来なかった。ソフトウエアの設計製作はNTTが行ったので、NTTに責任がある。今後の事については明確な記述、意思表明はなかった。

これではまた起りそうだなア、と私は危惧する。アナログ通信には100年の実績があるが、デジタル通信は経験が浅いので一旦不具合が起ると被害が波及する事が多い。被害を一箇所に留めるような工夫もされていないように思うのだが・・・。

第三の道 アンソニー・ギデンス著 佐和隆光訳 ¥1500-

2006-04-02 15:51:12 | 読みちらし
田中康夫さんのお話にあった本の一つだが、ぱらぱらと読んで、中身へ入り込めず。どうしてそうなんだか、分からない。イギリスの事を知らないからなのか。
もう貸し出し期間が迫ってきたので、これだけ書いてお仕舞い。また、なにかで読む必要が生じた時に探し出せるように記録するのみ。

プロの誤魔化しーその3

2005-11-19 00:31:19 | 読みちらし
以前に二回同じ表題を使った。初めは論文の盗作、二回目は会計監査であった。
今回は耐震構造計算書の偽造である。毎日新聞の姉歯一級建築士との一問一答を掲載している。そのままここにコピーすると、

耐震偽造:姉歯1級建築士と一問一答

 建築物の構造計算書を偽造していた千葉県市川市の姉歯秀次・1級建築士(48)が18日、毎日新聞などの取材に応じ、「仕事に追われてやった。改ざんすれば仕事が簡略化できた」と偽造を始めた理由を語った。また「正規の書類と偽造書類を交ぜていたので、見ればすぐ分かるが、(民間検査機関の)イーホームズの検査には通った」と、検査が甘かったと主張した。【山本太一、神足俊輔】

 ■主な一問一答は以下の通り。

 --初めて改ざんした時期と理由は。

 02年。仕事を抱え込んだのが大きな要因。バブル崩壊後、「早くて低コスト」という業界の雰囲気はプレッシャーだった。改ざんすると約1週間の時間短縮になる。

 --「コストを安く」と直接言われたことは。

 それはない。独断でやっていた。1週間くらいの期限で仕事が来た。期限を守れないと信用がなくなる。

 --仕事が増えるという思いでの改ざんは。

 なかったとは言えない。途中から感覚がマヒして、悪いことをしているという気もなくなったかもしれない。

 --利益は上がったか。

 極端に上がったということはない。今は年商で2000万円ぐらい。

 --検査に通ると思ったか。

 通常であれば、おかしいと気付くと思う。初めて改ざんし、イーホームズの検査を通ったときは驚いた。最初は分かりにくい数値を出したが、そのうちおかしな数値でも大丈夫と分かった。

 --手口は。

 正規の国土交通省の計算プログラムを使って、構造計算書にある「地震荷重による応力」を改ざんした。

 --今の気持ちは。

 重大なことをしてしまった。後悔している。

 --損害賠償を請求されたら。

 私個人では賠償できない。イーホームズや国も責任を負うべきだ。

 --国交省が発表した21件以外に改ざんは。

 やっていない。

インチキ書類を見抜けなかった検査会社イーホームズは落度はないと主張しているそうな。
検査会社は国の認定を経ているそうな。さて、どこに責任があるのか?
お金が絡んでいるように思うのだが、これらの記事を読むとそうした気配、追求は全く見られない。賢明なる新聞記者は秘かに取材しているのだろうか?

日本語の中の「私」 宇津木愛子 創元社

2005-10-21 23:17:39 | 読みちらし
新聞の書評だかを読んで面白そうと思い、図書館で借りた。貸し出し期限が二週間で、締切が迫っているので、読みきれていないが、気付いた事を書き記す。

「はじめに」に動機付けがある。「日本語を論ずるに当っては様々なアプローチの仕方があり、これまでにも日本語の特徴を紹介する書物が数多く出版されている。特に、日本語が必ずしも主語を必要としない構造を持つ事に関しては三上卓の「主語廃止論」(1972年)をはじめ、多くの書物および論文が発表され続けている。
本書は日本語が主語を伴わなくてとも文法的に認められる構造をもつことと、言表主体である「私」の自己表出のあり方がどのように関っているかという問題に焦点をあて、これまでに成されなかった方法で日本語を眺め考察することを目的とする。」

以下に私が主観的に面白かった個所、気になった個所などを列挙する。

第三章 日本語における主客融合
「長いトンネルを抜けた」のは「汽車」か「私」か---と言う表題。
一段落省略。
 例えば、川端康成の作品の中の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の主語は何かという問題は、この小説を翻訳したコロンビア大学教授のエドワード・G・サイデンステッカーが頭をかしげたところであり、翻訳本が出版された後にも多くの人々によって多くの場で論じられている。結局、サイデンステッカーが立てた主語は「汽車」である。しかし、日本語の原文ではトンネルを抜けたのが誰なのか、また、「雪国であった」と認識したのは誰なのかは、特定化されていないのであるのだから、主語に「汽車」を立てるのは苦労のすえとはいえ、川端が意図したものを適格に(的確に)著わしている(表わしている)とは言いきれない。
 この『雪国』の名文は、いまだに多くの学者によって取り上げられ論じられているが、言語学者である、池上嘉彦によるものが特に興味深い。まず彼は英訳とよび独訳されたものを示し、次のように述べている。

    The train came out to the long tunnel into the snow country. (ES)
    Als der Zug aus dem langen Grenzutunnel herauskroch, lag das   
    Schneeland.(O. Benl)

     訳文から得られる印象は、川端の原文の与える印象とはかなり違うと言う    のが直感的なかんじであろう。(以下省略)

 さらに池上は次のようなちょっとした実験を行った。NHKの番組で、国際部勤務の英語の話し手に数人にこの英訳を見せて、そこから読みとれる状況を絵に描いてもらった。その結果は、向こうの山の端から姿を現わしてきた汽車という構図であったという。
 
池上の解釈、説明は次の通り。

 英語、ドイツ語の文章では、語り手は見る<主体>、汽車を中心とする状況は見られる<客体>であり。見る者と見られる者という関係で<主体>と<客体>との対立は鮮明である。日本語の原文から受ける印象は、これとは明らかに違う。主人公は、薄暗くて狭い車内にいて黒く煤けたトンネルを通ってきたーそれが突然明るく視野の拡がった雪の銀世界に出たー多分、日本語の平均的な話し手が読みとるイメージというのはそのようなものであろう。しかも、このように読み取りながら、いつの間にか、読者は自分自身もまるで主人公と同じ車内でーあるいは、もう一歩進んで、自分自身が主人公と一体化してしまってー主人公と同じ経験をしているかのような想いを抱くようになる。(『日本語論への招待』2000年)

主客合体と言う言葉は池上が言い出したらしいが、なかなか面白い表現である。主体、客体が分化して明示されない例を宇津木は更に取り上げている。川端の雪国を読むと意図的に主客を融合させているとしか私には思えないのだが・・・。

ずーーっと飛ばして、第八章 実例の考察

「欲しがりません 勝つまでは」

安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから

主語を明示せずに「私」もしくは「私達」を世界と一体化したように用いる。

柳田国男の指摘。北九州では文末に「バイ」を置くが、これは「ワイ」から変化したものであり、「ワレ」つまり「我」であるという。
以下継続

小野小町 古閑 炯作

2005-09-07 09:53:02 | 読みちらし
小野小町 古閑 炯作著 新人物往来社 \2940- 新聞の書評で気付いて読んでみた。これもちょっと変わった本で、安本氏と同様異説論者らしい。その異説の大構想があり、目次だけが本書に示されている。それを見ると安本氏の話題、異説と重なる部分がある。
しかし、それらは目次だけで、本文にはその異説の一部である小野小町について書かれている。著者の思い入れは伝わるが、私の方が今のところ小町さんにはそれほど親しくないので、ちょっとパス。

卑弥呼と天照大御神伝承 安本美典 

2005-09-07 01:01:17 | 読みちらし
卑弥呼と天照大御神伝承 安本美典 勉誠出版 \3360- この本は立花隆の週刊文春の週間読書日記に紹介されていて、読む気になったもの。

読んだら、とても面白い、活目的な本であることが判った。少数サンプルをどう扱うか?は自然科学の世界では方法が確立している。例えば、小柴昌俊さんのノーベル賞はたった11個だかのニュートリーノを捕捉した観測がそもそもの始まりだった。これらのニュートリーノは大マゼラン星雲内の星が超新星爆発をして発生した訳だが、そのうちの10個余りのものが観測され、それがニセモノ(雑音)ではなくホンモノであることを少数統計サンプル処理を正しく適用して証明した。これは自然科学の世界では当り前の話で特記する事ではない。
しかし、人文科学の世界でも正しく少数サンプルを統計処理されている例があることをこの本を読んで私は初めて知った。これは私の驚きである。少し詳しく説明すると、統計処理を正しく適用した論文を書いたのは経済学を専門とする方のようで、これはある意味で当り前である。安本氏はその論文を正しく引用し、発展させている。ここが偉いところである。このことから安本氏は少数サンプルの統計処理法を正しく理解していると言える。

さて、前書きが長くなったが、古事記、日本書紀の記述内容は従来神話として荒唐無稽な話として一蹴されてきた。これの考え方はそもそも江戸時代の山片蟠桃に始まり、津田左右吉が唱え、一世を風靡したそうである。安本説はこれらの神話天皇を統計法を適用して、詳細は本書を読まれたし、遡ると天照大御神は卑弥呼と年代的に一致すること、それて天岩戸神話伝説が日食と卑弥呼の死とに対応すると説明する。この日食は皆既日食で、古天文学で証明されていて、日没直前に北九州で観測され、奈良、大和では日没で見えないことが判っている。つまり、安本説では卑弥呼、天照大御神政権は北九州に存在したことになり、その後東征して、大和で全国的制覇を終えたことになる。そもそも卑弥呼伝説と古事記、日本書紀の神話との類似性は白鳥庫吉が唱え、和辻哲郎が邪馬台国東遷説を唱えていた。
安本氏はその説を提唱する際に非科学的な諸説を容赦なく論破している。主要な論敵は津田左右吉である。この部分も読み応えのある個所である。一旦学会の主流となった説に対する批判が正しく提示・表現されない背景としては、査読論文誌システムがないことが挙げられよう。そうした論文誌のない世界では○○論文集とか○○全集とか言うシリーズものが出版社との連携で企画され、そこには異説、批判的論文は含まれず、排除されるという。また、主流に迎合する論文を書かないと業績が増えないともいう。全く恐ろしい村社会である。
最後に蛇足であるが、立花隆氏は本書を最大限の賛辞で推挙しているが、少数サンプル統計法については言及していなかったと記憶する。

石綿 アスベスト 中皮腫 asbestos mesothelioma

2005-07-15 00:01:57 | 読みちらし
石綿の被害が暴露されつつある。この問題はILOで取り上げられたのが1970年代、WHOが1980年代と言う。担当省庁は当時では労働省と厚生省だろう。しかし、どちらも適切、迅速な対応はしなかったのだろう。それが今日の惨状を招いた可能性がある。

もしそうだとすると、これは近くは非加熱血液凝固因子製剤による非血友病HIV感染、古くはカネミ油症、森永砒素ミルクなどの事件と同じ厚生行政の怠慢と同類の人災の可能性がある。

タイトルに上げたキーワードをググルすると、日本語、英語でも沢山のヒットがある。スティーブ・マッキーンも出て来る。彼はバイク愛好家で当時の革ジャンの断熱材がアスベストだったとか、ブレーキパッドが石綿だったとか、の説明、推測がある。

また、イギリスでは毎年3000人余りが死んでいる、との記事もあった。日本ではまだ禁止できないらしい。恐ろしい事だ。

巨額粉飾の米ワールドコム元CEO、求刑は禁固85年

2005-07-14 09:32:51 | 読みちらし
日経の記事である。まだ連邦地裁の求刑の段階であるが、こうした重い刑罰を科することが出来るのは法体系が企業犯罪そしてその責任者に罪を問う事が出来るようになっているからではないか、と思う。このことは個人的には今後も調べたい。

談合などについても天下り、官業癒着などの側面もあるが、談合を企業犯罪ときちんと位置付けてその責任を問う事にすることがまず大切だと思うが、駄目なのだろうか?

インビテーション クリント・イーストウッド特集?

2005-05-13 00:13:37 | 読みちらし
本屋でクリント・イーストウッドの顔を大写しにした雑誌があり、パラパラと見て、買い求めた。インビテーションと言う名前の月刊誌だった。

その前に、ケーブルテレビで「ホワイトハンター ブラックハート」と言うのを婆が見ていて、つい吊られて爺もちらちら見た。婆はじーっと見ていたので後で話し、筋書きを聞いた。CEって変わった人ねえが第一声。「アフリカの女王」(H.ボガード、C.ヘボン主演)の監督だか製作者だかの話。イギリス植民地でのロケであれこれの話らしい。イギリス人、イギリス文化とアメリカ人、アメリカ文化の軋轢が描かれているとか。

おや、それなら「第三の男」をCEは見ていたのか?もう一度腰を落ち着けて頭書の映画を見ることにしよう。

さて、その雑誌のClint Eastwood Filmographyを読むと結構CEの孤高の歴史について入れあげて書かれている。まあいいでしょう。