押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

ハワード首相(豪州)落選決定

2007-11-26 18:20:26 | 気になる記事
オーストラリアのハワード首相が総選挙で落選したとの報道。これでブッシュ大統領がイラク戦争を始めた当時の首相は全て退任して、残るはブッシュ大統領のみとなったそうな。
次期首相はイラクから軍隊の撤兵を選挙公約に掲げている。日本の給油活動停止もタイムリーと言えるのではないだろうか?

戦後日本の社会運動ーその2 小熊英二 論座2007.11 80頁

2007-10-12 11:35:03 | 気になる記事
その1では1955年の転換が冷戦構造の顕在化に関係していると述べた。今回のその2では1970年の戦後第二の転換について解説する。

ここらの大熊さんの分析は優れていると思う。私は勿論不勉強なのだが、こうした捉え方をしている読物は私は初めてだ。だからご自分でこの記事を読むことを勧めます。60年安保のあと、中核、革マル、社青同、同解放派、再建ブント、・・・と沢山の新左翼セクトが出来ました、と大熊さん、ええ、私もこの辺りまではこの眼で見ました。これらセクトは既成左翼政党には飽き足らず、激しい街頭デモを繰り返し、消耗して行き、既成左翼政党も急速に影響力を失いました。

1970年7月には華青闘、華僑青年闘争委員会と言う在日華僑青年の団体、批判され新左翼諸派は大きな衝撃を受ける。戦争責任や在日、環境保護、ジェンダーと言った問題が出始めたのはこの事が切っ掛けで、それらが出揃ったのは70年後半の転換期から、と言うのが大熊さんの分析です。

更に分析を進めて、「新しい社会運動」の可能性と限界について外国の例、緑の党、も含めて、議論しています。そしてマジョリティーに訴える言葉を失った左派、塩辛い左翼、と述べています。

この項つづく・・・。

ノーベル化学賞

2007-10-10 22:20:16 | 気になる記事
ノーベル化学賞も発表があり、固体表面での気体との化学反応に関する研究で独のエルトゥル氏が受賞した。この人も92年に日本国際賞(国際科学技術財団)を受賞している。9日発表された物理学賞の2氏も今年、日本国際賞を受けたばかり。同賞の受賞者からノーベル賞が生まれたケースはこれで計6件(受賞者は7人)になった。

またまた目出度い。

ノーベル医学生理学賞/物理学賞

2007-10-10 00:01:11 | 気になる記事
毎年10月になると?ノーベル賞の発表が各分野である。これまでに医学生理学賞、物理学賞の発表があった。医学生理学賞は三氏に与えられ、朝日ドットコムによれば、その一人マリオ・カペッキ氏は、「 〈マリオ・カペッキ氏〉 37年イタリア生まれ。67年米ハーバード大で博士号取得。現在、米ユタ大教授。96年に京都賞。」とある。10年以上前に京都賞を貰っているそうな。京都賞の評価委員、必ずしも日本人ではないと思うが、はこの事を誇りに思って良いだろう。評価委員の選出者、選出委員会も喜んで良い。三氏の業績は「この手法で、がんや高血圧など500種以上のモデルマウスが作られ、様々な病気と遺伝子との関連を調べる研究が、世界中で飛躍的に進んだ。」とある。私の二種糖尿病も原因究明される日が近いのだろうか?

また、物理学賞は二氏に与えられ、授賞理由は「巨大磁気抵抗効果(GMR)の発見」。と言う事だった。二氏はこの業績で今年の日本国際賞(国際科学技術財団)を受賞した、とある。これも同様に目出度い。

十年ほど前だったか、何年以内に何十人だかのノーベル賞受賞者を輩出すうるようにしたいとか、するとか、いう議論があった、と記憶する。それには評価出来る人間が居なければ、と感じたが、今回の結果を見ると、評価できる人材を結集出来るようになったのかと思われる。

ノリック事故死

2007-10-08 14:56:58 | 気になる記事
中日スポーツの記事を引用すると、「 “ノリック”の愛称で親しまれてきた日本一の人気ライダー、阿部典史さん(32)が7日、川崎市内で起きた交通事故で死亡した。」「 関係者によれば、この日、ノリックは横浜市の友人を訪ねたあと、ほかに移動するため川崎市を走っていて事故に遭った。ノリックは日本ではレース以外で2輪車に乗ることはなかったが、今年大型スクーターを知人からもらってとても喜んでおり、今回もそのスクーターに乗っていたようだ。」

朝日ドットコムを引用すると「 7日午後6時20分ごろ、川崎市川崎区大島1丁目の市道で、川崎市幸区、レーシングライダー阿部典史(のりふみ)さん(32)のオートバイと、横浜市鶴見区東寺尾1丁目、運送会社員千野智彦さん(51)のトラックが衝突した。阿部さんは午後8時50分過ぎに死亡した。阿部さんは世界GPで過去3度優勝して「伝説のライダー」と呼ばれ、国内のオートバイファンの間で人気があった。」

バイクに乗った経験は殆んどないに等しいが、バイクとスクーターとは違う乗り物だと思う。バイクライダーがバイクに乗っていたら、この事故では死ぬような事にはならなかったのではないかと言う気がする。中日スポーツの記者は正確にスクーターを記述したのは、良かった。もう一歩突っ込んで、何故避け切れなかったのか、を、例えば、一般道を走る経験のあるライダーの意見を聞いて、加えてくれると、有難かった。

戦後日本の社会運動ーその1 小熊英二 論座2007.11 80頁

2007-10-05 16:39:00 | 気になる記事
副題はー歴史と現在 プレカリアート運動はどう位置づけられるか である。初めに「左翼」の定義が曖昧だそうで、そこらから教えてくれる。小林よしのりさんが作った「薄甘いサヨク」という呼称があるそうな。小熊さんは「塩辛い左翼」と言う呼び方をして昔の左翼に使って、整理してくれます。

話を戻して、小熊さんの解釈だと思いますが、戦後日本の社会運動には、大きく言って1955年と1970年の2回、転換点がありました。今も転換点かも知れません。

いま「サヨク」といえば、戦争責任、男女平等、環境保護、マイノリティーの人権などの問題を重視する人々が想定されるようですが『へーェ、そうなんですか!』、70年以前の「塩辛い左翼」は、こうした問題を重視しませんでした。それは手短に言うとマルクス主義の下部構造が上部構造を決定する、と言う荒っぽい理論に立脚していたからだそうです。

55年の転換点をもたらした原動力については小熊さんは述べていないようです。私の勝手な意見を申せば、第二次大戦後の冷戦構造が顕在化したからだ、ではないかと考えます。最も象徴的な出来事は朝鮮戦争、1950年、でした。日本の役割について米国は態度を鮮明にし始めたのでした。1952年の講和条約による占領体制の終結があり、55年には自民党の結成、統一社会党の結成、共産党の六全協での武闘路線の放棄、などなどがありました。自民党は自主憲法制定を掲げ、社会党、共産党は護憲論を唱えて守勢に立たされました。

70年の転換の前には60年安保闘争があり、安保改定は阻止出来ませんでしたが、岸信介内閣は倒れました。そして憲法改定の動きは弱められました。代わって登場した池田勇人内閣は所得倍増計画を打ち出し、経済成長を提唱しました。この所得倍増計画の評価はこれまできちんとはされていないように私は思っています。この経済発展の前段階に朝鮮戦争による「特需」があったとは思いますが、農村から安い労働力を駆りだして、工業生産の労働力に充当する、と言うやり方はその後のアジアでの市場経済国家発展のビジネスモデルとなっていることは、明らかです。そうした大事な正の側面が評価されずに、公害などの負の側面だけが大きく取り上げられるのは、物事の本質を見失うことになり兼ねないでしょう。
さて、60年代に入ると「改憲より金儲け」に転換した自民党と、「これ以上は議席が伸びない」と自覚した社会党の間で、なれあいの「国対政治」が定着する。『今、福田内閣が法案作成段階で野党とも良く話し合いましょう、と言っているのはこれだな』自社の国会対策委員長が裏交渉で筋書きを事前に決めてしまい、与野党が国会で激しくぶつかり合うようなことがほとんどなくなってしまった。

ーつづく

グリーンスパンのご託宣

2007-10-03 11:20:33 | 気になる記事
日経夕刊2007年10月2日二面に小さな記事。一日にロンドン市内で講演したそうな。見出しは「中国株はバブル」次は「米の金融緩和行き過ぎ批判に反論」。見出しだけでは論旨は判らないので、本紙を見られたし。
私が気になったのは、これに、この講演、先立つ別の講演では「日本の金融市場はサブプライムローンの影響は直接は受けなかったが、この影響を受けた欧州の投資家が日本株を売ったため、日本の株式相場が急落した(私の要約)」と指摘した。私の印象を解説してくれた。やっぱり!そういうことだったのか!と言う感じです。

国連気候問題ハイレベル会合に森喜朗元首相出席

2007-09-25 09:18:51 | 気になる記事
表記の会合はポスト京都議定書の行方を決める大切な会合で、各国とも首相レベルの代表を送り込んでいる。安倍首相は早々と欠席を連絡してしまった、そうの会議に日本の代表として森喜朗元首相が出席するしている、そうな。
何故森喜朗なの?と疑問を感じた。安倍首相の辞任発表に素早くフランスから、ラグビー国際大会?から、帰って来た。余りの早業に、辞任の発表を事前に知っていたかと疑ったくらいだ。そして福田康夫擁立、派閥を一夜でまとめたのが、森喜朗であった、と言う説、噂がある、そうな。その論功行賞が国連気候問題ハイレベル会合への出席だ、との穿った見方がその延長上にある。

安倍首相の病院からの記者会見

2007-09-25 09:01:37 | 気になる記事
9月24日夕方安倍首相が慶応病院から記者会見をした。私は真面目に見る気になれなかった。毎日新聞をよれば、『姿弱々しく会見 危機管理に明確な説明なし・・・』とあり、あれこれ、自分勝手な、無責任な言訳を述べている。
テレビで聞いた話だが、麻生クーデター説を否定するためにこの会見は側近が用意した、との説があるそうな。何をかいわんや、である。

映像を見るかぎり、生気なし、喉はからから、舌なめずりばかり、議員も辞めるしかない、と感じる。

ネット上の言論規制を断念 中国・アモイ市

2007-09-18 08:56:23 | 気になる記事
中国における言論統制が厳しい事は予てから指摘されている。西欧における冷戦構造崩壊の一つの大きな原因としてテレビ・ラジオの報道が上げられている。中国ではこれらは規制されていて、ネット通信が残された情報メディアとして注目されている。ここに示した朝日ドットコムの記事はネットメディア規制が大変難しい事を当局が自覚した、と言うことなのか?今後とも注目したい。

SIGHT 2007/autumnーその3 内田樹つづき

2007-09-15 23:27:34 | 気になる記事
内田樹(たつる)つづき、
<安倍首相の投げ出し辞任で邪魔が入ってしまった>
見出しーその4
「1946年の段階で日本人は属国であるという現実から目を逸らして、すべての矛盾を屋内に取り込むという道を選んだ。」 この見出しの前に書いてあるのだが、内田:だから安倍さんは「戦後レジーム」って言う言葉を使うけれど、そんな一枚岩のシステムなんか存在しないんですよ。戦後レジームっていうは、言ってしまうと、ある種の病っていうのかね、心理的葛藤のことなんてすよ。・・・『9条どうでしょう』(共著。毎日新聞社)を参照されたし? 私は読んでいない。ここらの話は面白そう。内田:葛藤にまぎれて現実から目を逸らしていたんですね。・・・直視した場合は、日本人はたぶん人格崩壊していた。
日米関係には何も問題がないことにして、9条と自衛隊、保守と革新・・・の葛藤という偽りの物語に全部流し込んで、スリカエテか?、ずーっとやってきた。・・・なるほど。

見出しーその5
「みんなのために「いいこと」をしたいっていう気持を持ってるやさしい日本人て、若い人の中にも沢山いるんです。それが政治に向かわないところが問題なんです。」
その通りですね。

見出しーその6
「一枚岩である政党がよい政党で、そうじゃない政党は悪い政党というんだったら、一枚岩である共産党とか公明党みたいな政党がとっくに第一等になっているはずじゃないですか。」 ・・・今回民主党が勝った理由があるとすれば、みんなあまり指摘しないけども、党内の世論がまとなっていないことでしょう。・・・なるほど。
・・・今の劇場が型政治だったら、注目を集めることが一番大事なわけだから。だから、加藤紘一さんが今、正しい。舛添さんには悪いけど、跡目相続をめぐって泥沼の党内闘争をやるのが、自民党の再生にとって最高の薬なわけです。・・・なるほど。

この内田樹(たつる)先生のお話、自民党のこの一週間程のドタバタを理解するのにとても役に立つと感じています。舛添先生は黙ってしまったけど、麻生太郎はもっと喚いたら、小泉チルドレンももっと右往左往して、もっと金切り声を上げた方が内田流に申せば、日本の将来にも役に立つ・・・か。

SIGHT 2007/autumnーその1

2007-09-10 00:25:04 | 気になる記事
これまでもSIGHT紹介してきたが、今回の特集「有権者動く!この流れを止めるな!」はとてもタイムリーで、インタヴューされている方々の舌鋒、歯切れはそれぞれにとても良い。しかもそれぞれの方々が持味を充分発揮している。これは毎度感じている事だが、インタヴューアーが優れているからだろう。
話者は田中秀征「本当の変革はこれからだ」、加藤紘一「わたしが自民党なんです」、菅直人「まだ民主党に任せると言う明確な意思表示ではない」、内田樹「小泉・安倍政治は何を失ったのか?」、佐高信「あの一票の意味を問う」、佐藤優「官僚・国家・日本その重層構造を斬る」、小野善康「自由・民主、その経済政策を検証する」、藤原帰一「いまこそ日本外交を総点検する」。これらが今回の特集の話者と見出しである。

ウイキペアディアの信頼性

2007-09-08 15:47:36 | 気になる記事
ウイキペディァは便利だからと、怪しみながらも、私も時々使っている。しかしこの記事を読んでやっぱりと思い、落胆した。ウイキスキャナーと言うソフトを使うとどのような組織が具体的事項の書き込みをしているかが、IPアドレスから判るそうだ。しかし、そういうソフトの存在が明らかになれば、もっと巧妙に解説内容の改変が行われるだろう。暫くは引用するのはやめようと思う。

ウィキスキャナーを動かして、長妻昭議員に関わる修正をなどを含む厚生労働省の部分を表示する。いつまで見られるか興味深い。

野党共闘/統一会派

2007-09-05 17:15:54 | 気になる記事
参議院は野党が共闘しないと自民公明連合には勝てない、と言う教育的な状況だが、やっと一組の共闘がアナウンスされた。新党日本は、田中康夫チャンは小沢一郎を師と仰いでいるとかの話が長野県知事の頃からあったから、新鮮味はない様に見える。しかし国会活動として統一会派を形成する事はあれこれの利点、拘束が双方、参加会派に生まれる。ウイキペディァの統一会派の説明はこんな風
日本共産党は、確かな野党から、選挙結果で確かな時代遅れと揶揄され、共闘反対と言った覚えはない、と方針転換したらしい。しかし、まだ大新聞各紙ではそうしたニュースはないようだ。私が気づいたのはこれ