押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

景気回復?踊場脱出?

2005-09-29 18:25:43 | きのうきょうの話題
景気が回復したかどうか?の議論、予測などが色々あるが、銀行が金利を払わないうちは本格的回復とは言えないだろうと思っている。ここにそうした記事があった。
9月11日の総選挙の時もこうした視点は論争にもならなかった。超低金利とリストラで辛うじて景気が回復の兆しがあるというのは、成績の悪い学生に下駄をはかせているようなもので、実力のほどは疑わしい。更に将来に巨大なツケを回しているわけで、ここらをどうするかの議論をきちんとしないとどうにもならない。

小泉首相は自民党はぶっ壊し、道路・郵政資金還流システムを壊しつつあるとは思うが、その先は次の内閣、次の政権に任せるようである。外交も然り、アジア諸国との関係、イラク派遣問題、日米関係、などなど全てそうなりかねない。

民主党しっかりせい。

流動化するドイツ政界 過渡期に不可避の連立 朝日新聞 9/22/05

2005-09-22 18:56:06 | きのうきょうの話題
朝日新聞にヨーロッパ総局長外岡秀俊の署名入りの解説記事があった。不勉強なので、一つの見方として、なるほどと読むことにする。

シンボルカラーで説明するのがこの問題については流行のようである。シュレーダーの社会民主党が赤、緑の党が緑、これらがれこれまでの7年間連立を組んできたので、赤緑の連立だった。今年の5月に地方選挙でこの赤緑は惨敗した。一方、メルケルの率いるキリスト教民主・社会同盟は黒である。この他に米英型の自由主義経済に近い自由民主党が黄である。

この度の総選挙で、赤・緑と黒とも過半数は獲得出来ず、少数政党の黄が票を伸ばした。その原因についてはまだ定まった解釈はないようである。しかし、多数の政党があって、連立を組むというのが、欧州の多党制の本来のありかたで、議場の形もこれを反映して、半円形となっている、と言う。これに対して、英国では与野党が向き合う議場の形である。そうい言えばそうだ。

どういう連立構想が試みられているか、については今後も報道されると思う。色の組合せで表現されるだろう。その背景には冷戦が終り、東西ドイツの統一から15年経ち、極右の台頭を防ぎながら、EUへの加盟をどうするかを模索する過程の一つということらしい。そんなに簡単には答えは出ないように思う。

これより少し前にある意味ではっきりした答えを出した日本の選挙結果について筆者は少し懐疑的である。私はドイツの結果と単純な比較は出来ないと思う。だから、日本の結果が全て肯定的に捉えて良い、ということではない。この問題はまた別の機会に考えてみたい。

混迷の選挙後のドイツ政局

2005-09-20 21:23:45 | きのうきょうの話題
9月18日に行われたドイツ総選挙の結果は二大政党の与党、野党とも過半数は取れず、少数政党は獲得票を伸ばすと言う、結果に終った。その後の政局については日本ではなかなか報道されていないが、共同通信のニュースによると、第一党のメルケルCDU党首もシュレーダーSPD党首も政権樹立の意志が強く、大連立構想は難しく、政局の混迷は長期化しそう、との見方だ。
もし、そうなると、EUの牽引車たるドイツの混迷はEUへの影響は大きく、EU自体の弱体化にもつながる。

こうした報道が日本の大新聞に少ないのが気になる。

ちょっと毎日新聞から補足する。

ドイツの平均株価は選挙後下がった。日本の平均株価(日経平均)は選挙後上がった。主として機関投資家の動向によるとか。

選挙民の反応

2005-09-19 09:19:30 | きのうきょうの話題
選挙後の反応は週刊誌、テレビなどの速報性のあるメディアでは出始めた。テレビの街頭インタビューなどが目に付くが、これで見ると、自民党が議席を取り過ぎた、郵政改革を進めると言う視点が強調され過ぎた、というような意見が多いように見える。しかし、これはテレビ局でどうにでも調整出来るので、そうかな?でも、そう考える健全な人もやっぱり居たんだな、ぐらいに今のところ受け止めておこう。

小泉劇場と評判は悪いが、国政選挙で地域の利益誘導がこれだけ薄まったのは初めてだろう。そうでなければ落下傘候補などあり得ないし、当選もなかっただろう。政策が前面に出たことも新しい。週刊誌を見ると、玄人筋の嘆き節が多いが、世の中が変化する時はこうした現象はままある。

民主党は主体性をハッキリさせ、対立軸を明確に打ち出せば、次の選挙で挽回、勝利する可能性はあると考えられる。一層の奮起を期待したい。

プロの誤魔化し?

2005-09-15 11:46:58 | きのうきょうの話題
幾つかのプロの詐欺紛いの行為が報道されている。
1.東大教授多比良和誠教授の論文の信ぴょう性が疑われている。この記事の冒頭部分を引用すると、
東京大大学院工学系研究科は13日、「結果を裏付けるデータが確認されなかった」との調査結果を公表した。再実験をし詳細な結果を提出するよう、教授に要請したことも明らかにした。研究機関が再実験まで求めるのは、極めて異例。競争的資金の導入などで、研究の公正な評価が求められるようになってきたことを反映した動きだ。

このこと自体は私は異例だとは思わない。新聞沙汰になるのは異例だが、学会内部ではこうした話は様々なレベルであると思う。寧ろあるのが健全な学会、ソサエティーであると言えよう。

いずれこの件に関しては報告が出るだろう。忘れないで注目したい。

2.中央青山監査法人は西武鉄道、足利銀行などの粉飾決済に加担しているとの疑惑が報道されている。足利銀行は同監査法人を加担行為で告訴したそうな。

引用した記事は長くないので、クリックして読んで頂きたい。論旨も明快である。裁判でこうした疑惑が明らかになることを期待したい。

総選挙の結果

2005-09-13 22:05:54 | きのうきょうの話題
小泉首相の郵政民営化をするのかしないのか、賛成か反対か、と言う争点の絞り方が功を奏して、本人もびっくりする大勝となった。
いわゆる政治のプロ、選挙のプロが変人だ、ファッショだ、とさんざん悪口雑言を述べたが、全て吹き飛んでしまった。これには中国、韓国のあれこれの歴史認識の発言も一部含まれると思われる。但し、選挙後の小泉首相が選挙中沈黙していた外交問題、特にアジアとの隣善関係をどう構築するか、があるので、暫く様子を見たい。

総裁の任期が後一年となっているが、選挙後も任期通り辞めると言う発言は変わっていない。田勢康弘の記事について紹介したが、そこにも「ぶれない」と言う表現があり、ずーっとこれは変わっていない。小泉路線、改革路線、を推進する後継者を郵政改革法案の成立後の内閣改造で重要ポストに配置して、競わせたい、との考え方を示している。

民主党は思わぬ大敗でガタガタとなっているように見える。岡田代表が約束通り辞任して、その後を実力者、経験者を次期代表にしたはどうか、という考えと、若手の代表を立て、世代交代を図りたい、と言う考えがあるようである。私は、負けた原因を追求する意味でも次世代を育てる意味でも、後者が良いと思う。

この選挙はいままで選挙とは全く異なるものとなった。第一には小泉首相の個性、これまでの自民党内にあって、その欠点を熟知した上での大胆な発想、による所が大きい。小泉首相のやり方は劇場政治と言う表現にみられるように、知的と自ら思い込んでいる人間には、嫌われている。

自民党は今回は偶々巧く行ったが、これからどうなるかは、自明ではない。郵政改革以外の大問題を正しく遂行する上で、大敗した民主党の果たす役割は大きい。その事は忘れてはならない。

敗戦日記 高見順 中公文庫 ¥1190+税

2005-09-13 21:30:13 | 気になる本
本屋でパラパラ見て、面白そうで、文庫本だったので買った。通読して、面白かった。解説(木村一信)にあるとおり、この日記には三つのトピックスが書かれている。その1は戦時下、それも敗戦間近かという極限に追いつめられた日本とその国民の様子が、きわめて克明に記述されているでんである。これはまた敗戦直後の様子についても変わっていない。第2にカマクラと言う都心から離れた場所に生活を送ってはいたが。文学者(他の領域のいわゆる文化人も含む)がどのように戦時下という非常時を生き抜こうとしていたかについての稀有な記録という点である。中略。第3は、高見の自らの仕事への思いと内面を吐露している点である。

私は半藤一利の昭和史と重ねて読んで面白かった。あそこに書かれている話を補足する面が多々あった、と言う意味である。

昭和20年6月3日 ○聞いた話から。東京でははだしが多くなった。女でもはだしで歩いている。盗難頻々。憂うべき道義の退廃。ある目抜き通りで、焼け残った電柱に中年の男がしばられていて、上に貼紙がしていある。貼紙には、ーーこの男は焼跡で盗みを働いたものである、みせしめにこうしておくという意味のことが書いてあったという。

阪神淡路大震災の時はあの混乱の中で盗みがないと外国人が感心したという記事を読んだ事かある。

今回のハリケーン・カトリーナの後の混乱では盗みを初めとする犯罪が問題となった。

原爆についての記述が多く、正確だと思う。あの時期にこれだけ知り得たのか、と言う、驚きに近いものがある。

敗戦前後の日記はあれこれある。今まで読んだ中では山田風太郎の日記が一番面白かった。永井荷風の断腸亭日乗の面白さは別格である。

昭和史 1926-1945 半藤一利 平凡社 ¥1680-

2005-09-11 14:42:49 | 気になる本
さらさらと読めた。巻末に参考文献表があり、それを見ると主に当時の政府の要職にあった人物とその側近達の日記、回顧録と昭和史などである。少し変わったものとしては永井荷風の断腸亭日乗がある。これらの他に著者のこれまでの関連著書があるようだが、ここには挙げていない。

読み易い組み立てになっているので、是非多くの方々が手にとって読んで頂くのが良いと思います。

むすびの章に著者は、三百十万人の死者に報い、その歴史から学ぶこととして、五つの教訓を挙げています。この本を読んで成程と感じているので、ここに要約して、再掲します。

1.国民的熱狂をつくってはいけない。中略。それは理性的でなく、感情的で、それに押し流されて、前後の見境がなくなるからである。

2.日本人は最大の危機においても抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しない。ソ連が国境線に兵力を集中し、さらにシベリア鉄道を使ってどんどん兵力を増強していることはわかっていたはず。なのに、攻めて来られると、困るから、来ないのだ、と勝手に思い込む、と言う類。

3.日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害があるかと思う。陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力を持ち、他の部署の意見、情報を一切認めない。軍令部作戦課もまた然り。

4.ポツダム宣言の受諾が意思の表明でなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにはならないという国際常識を日本人(ではなく日本政府でしょう)はまったく理解していなかった。だから、8月9日に対日宣戦布告をしたソ連に対して、ミズーリ号での降伏文書調印は9月2日です。これまでソ連にはポ宣言受諾の外交通告をしていないのです。ここに満州での悲劇、残留孤児の発生した原因があるのだと私は思います。

5.対蹠的な発想はできるが、広い時空間を持つ大局観がまったくない。複眼的な発想がない。と著者は言っています。著者の言う主語は日本人ですが、私は日本人ではないと思います。

私が著者のまとめを恣意的に要約していますが、長々と引用したのは、現在の選挙に象徴される、失われた10年以後、二十一世紀をどうするか?を考えることが必要である事は多くに日本人には異論はないでしょう、その際、これらの反省、近くは昭和史の反省、アジアの近隣の諸国に多大の迷惑を掛けた事も含めて、が欠かせないものであると、思うからです。

あの戦争を遂行するために、兵力を確保するために、農村の基盤をある意味で整える制度的な保障がありました。野口悠紀雄氏が1940年体制と言う著書の中で最初に提唱した考え方です。その制度保障が高度経済成長を支えた一つの大きな側面だという考えです。経済のコミュニティーでは余り評価されていないようですが、これと似た考えを唱える人が出て来ているようです。別の機会に取り上げることがあると思います。

いずれにしても二十一世紀をどう生きるかは日本人が自分の頭で考えなければならない大切な問題です。日本が戦争をしないで、様々な制約を克服した、国の発展(成長では必ずしもない)モデルを世界に提示出来れば、それは素晴らしいことになるでしょう。

Hurricane Katrina の被害  CNNを見よう

2005-09-08 17:16:40 | きのうきょうの話題
ハリケーン・カトリーナの被害は何処まで広がるか判らない。どうして判らないかも判らない。その様子を見るにはCNNを見るのが最も手っ取り早い。普段はCNNは見ないが、今回はテレビを見て、チャンネルを回す時はCNNを見るようにしている。ニュースキャスターの突込みが凄い。日本のキャスターは残念ながら不勉強、連中は良く勉強している、そしてその学習に基づいて、鋭い突っ込みをする。これは学んで欲しい。

この混乱を見ると阪神淡路大震災を思い出す。あの時の村山富市首相は酷かった。GWBは持ち応えられるのだろうか。

台風14号は大きさ、降雨量の多さの割には被害が多くはなかった、と思う。いつも感ずるのだが、年寄りの犠牲者の割合が大きいのが何とかならないだろうか。広報車、有線放送、などなどでは通知出来ないだろう。また、知っても避難の交通手段がないだろう。地域社会が半分壊れていることが根底にあるのだろうか。Katrinaの場合もそうした要素があったことが指摘されているようだ。

小野小町 古閑 炯作

2005-09-07 09:53:02 | 読みちらし
小野小町 古閑 炯作著 新人物往来社 \2940- 新聞の書評で気付いて読んでみた。これもちょっと変わった本で、安本氏と同様異説論者らしい。その異説の大構想があり、目次だけが本書に示されている。それを見ると安本氏の話題、異説と重なる部分がある。
しかし、それらは目次だけで、本文にはその異説の一部である小野小町について書かれている。著者の思い入れは伝わるが、私の方が今のところ小町さんにはそれほど親しくないので、ちょっとパス。

卑弥呼と天照大御神伝承 安本美典 

2005-09-07 01:01:17 | 読みちらし
卑弥呼と天照大御神伝承 安本美典 勉誠出版 \3360- この本は立花隆の週刊文春の週間読書日記に紹介されていて、読む気になったもの。

読んだら、とても面白い、活目的な本であることが判った。少数サンプルをどう扱うか?は自然科学の世界では方法が確立している。例えば、小柴昌俊さんのノーベル賞はたった11個だかのニュートリーノを捕捉した観測がそもそもの始まりだった。これらのニュートリーノは大マゼラン星雲内の星が超新星爆発をして発生した訳だが、そのうちの10個余りのものが観測され、それがニセモノ(雑音)ではなくホンモノであることを少数統計サンプル処理を正しく適用して証明した。これは自然科学の世界では当り前の話で特記する事ではない。
しかし、人文科学の世界でも正しく少数サンプルを統計処理されている例があることをこの本を読んで私は初めて知った。これは私の驚きである。少し詳しく説明すると、統計処理を正しく適用した論文を書いたのは経済学を専門とする方のようで、これはある意味で当り前である。安本氏はその論文を正しく引用し、発展させている。ここが偉いところである。このことから安本氏は少数サンプルの統計処理法を正しく理解していると言える。

さて、前書きが長くなったが、古事記、日本書紀の記述内容は従来神話として荒唐無稽な話として一蹴されてきた。これの考え方はそもそも江戸時代の山片蟠桃に始まり、津田左右吉が唱え、一世を風靡したそうである。安本説はこれらの神話天皇を統計法を適用して、詳細は本書を読まれたし、遡ると天照大御神は卑弥呼と年代的に一致すること、それて天岩戸神話伝説が日食と卑弥呼の死とに対応すると説明する。この日食は皆既日食で、古天文学で証明されていて、日没直前に北九州で観測され、奈良、大和では日没で見えないことが判っている。つまり、安本説では卑弥呼、天照大御神政権は北九州に存在したことになり、その後東征して、大和で全国的制覇を終えたことになる。そもそも卑弥呼伝説と古事記、日本書紀の神話との類似性は白鳥庫吉が唱え、和辻哲郎が邪馬台国東遷説を唱えていた。
安本氏はその説を提唱する際に非科学的な諸説を容赦なく論破している。主要な論敵は津田左右吉である。この部分も読み応えのある個所である。一旦学会の主流となった説に対する批判が正しく提示・表現されない背景としては、査読論文誌システムがないことが挙げられよう。そうした論文誌のない世界では○○論文集とか○○全集とか言うシリーズものが出版社との連携で企画され、そこには異説、批判的論文は含まれず、排除されるという。また、主流に迎合する論文を書かないと業績が増えないともいう。全く恐ろしい村社会である。
最後に蛇足であるが、立花隆氏は本書を最大限の賛辞で推挙しているが、少数サンプル統計法については言及していなかったと記憶する。

韓国のデジタル・デモクラシー

2005-09-06 23:51:08 | 気になる本
暫く間が空いてしまったが・・・。韓国のデジタル・デモクラシー 玄武岩Hyun Mooam 集英社新書 \735-
カバー裏の広告的?紹介は次の通り、「韓国では現在、世界でも稀有なデジタル・デモクラシーの実践が試みられている。「オーマイニュース」をはじめとするインターネット新聞や「ソプライズ」のような政治批評サイトは、2003年の盧武鉉(ノムヒョン)政権の誕生や04年の大統領弾劾政局に多大の影響を与え、その勢いは、いまや主流メディアであるテレビや大手新聞にも劣らないといわれている。本書は、ネティズン(ネット市民)による電子民主主義文化が隣国で花開いた背景を解き明かしながら、民主化運動の歴史と現在を描いたものである。韓国政治とメディアの「今」を理解するための、コンパクトな一冊!」
長々と引用したが、本文を読んでも具体的な事例、事項を追うのが困難でなかなか読み通せない。このカバー裏の説明以上の内容のあるコメントは書けそうにもない。

従って、以下は私の全体から受けた漠然とした感想、印象である。
ノムヒョン政権がこの電子民主主義(DD)に依拠して成立している事は日本でもかなり知られていると思うが、日本のマスメディアは今舌視点を無視しているように私には見える。それは日本のあらゆる支配システムが韓国のこうした動きが日本におよぶことを恐れているのではないかと思われてならない。その根拠の一つが公職選挙法の規定を古いままにして、インターネットによる選挙運動、意思表示などなどを全く封じていることである。これではブロードバンドの意味は全くない。ただの針金、ガラス線である。
また、ノムヒョン政権が日本のマスコミからみて奇妙な動きをするように記述されるのはDDを理解していないからだと思う。歴史認識の学習問題はこの点を配慮しないと単なる教科書問題、靖国参拝問題に終わってしまう。