押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

3月10日の東京大空襲六十周年

2005-03-09 19:18:40 | 体験
3月10日の東京大空襲は六十周年は今晩なのだ。9日の晩から始まって、10日未明にまで及んだ。私も今は数少ない経験者の一人である。経験者と言うより正確には目撃者と言うべきだろう。

当日の夜、私は6才、たたき起こされて、家から防空壕へ向かった。家より防空壕がどの位安全だったかは判らない。寝ぼけ眼で、空を見たら、東の空が赤かった。東西の区別はついたらしい。昼間でない、朝でもない、のにどうして東の空が赤いの?と親に尋ねた記憶だけが残っている。

下町が爆撃されて、爆弾、焼夷弾、私は山の手にいたから、東の空がその下町の火の手で赤かったのだろう、は私の想像である。あるいは永井荷風が麻布市兵衛町でこの日焼け出されたので、断腸亭日乗に詳しい、方向から言うとこの火を見ていたのかも知れない。

私の経験、記憶はこれだけである。しかし、このことがあって、それまでは小学校三年生からの集団疎開が行われていたが、小学校一年生から集団疎開が、そして縁故疎開も、行われるようになった。私は四月から一年生だったから、疎開した。それは縁故疎開だった。

この項続く・・・。

ピカソの絵にゲルニカというドイツ空軍の無差別爆撃を糾弾するものがあるが、3月10日の東京大空襲についてこれに匹敵するような作品はない。このアメリカ空軍の無差別大量殺戮が如何に酷いものであったかは広島、長崎の原爆投下に匹敵するものとの認識に欠けているようである。例えば、
  http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050309k0000m040152000c.html
この記事を読むとそのことは歴然としている。

「東京大空襲」B29から見た三月十日の真実 E.バートレット・カー 大谷勲訳 光人社NF文庫 ¥590-外税 と言う本がある。これは副題の通りアメリカ側から見た第二次大戦の空爆戦略を具体的に記述している。B29の開発、原子爆弾の開発、高性能の焼夷弾(M69)、爆弾などの開発が行われた。M69は日本の家屋向けに開発され、そのためにユタ州に日本家屋が建てられ、これには長年日本にいたA.レイモンド(軽井沢などで教会、別荘を建てた!)が動員された。こうしたアメリカ側からの対日戦略の詳細について文庫本ながら良く書かれている。そして、こうした戦略はその後、朝鮮、ベトナム、イラン、イラクなど今日まで長く適用されているのである。是非一読を薦めたい。