記事と言うより正確には対談である。佐木隆三はご存知の通りこの事件を最初の犠牲者が出た1988年から関わっている。現場取材、公判傍聴、容疑者との文通などなどである。この対談の中では、私には、流石それだけやってきただけのことはある!と思わせる重みのある発言をしている、と感じられました。
私個人としてはこの事件に関心があり、最高裁判決の時メモを書きました。死刑にしても何も解決されていない、と言うような事でした。この対談で佐木隆三の発言は私の不満、疑問に少し答えてくるれものでした。
恣意的に、勝手気ままに、気づいたことを書き留めることにする。
「四人目の被害者の両手首、両手足を山林内に捨てたと起訴状に書いてあるのは間違いで、両手首は自分で食べた」と発言したことに驚いたからです。
・・・検察官がこう述べています「被告人はずいぶん言葉遣いに神経質で、供述調書にクレームをつけた。1989年9月17日付の印面調書で、性器について『大人は汚いが、子供はきれい』と録取したのを、『大人の女性の生きている性器を見るのは難しいが、子供は恥じらいがない』と訂正させています」。非常に興味深い部分です。
詐病という専門用語があるらしい。ネットサーフィンするとこんな説明がある。仮病に似ているが、寂しさだどで病気を装っているうちに本当に病気になってしまうものらしい。宮崎勤は詐病と言われているらしい。佐木隆三はそう思っている一人らしい。麻原彰晃もそう思われているらしい。
アスペルガー症候群と言う言葉も出て来る。これは別項で述べる積もりだが、自閉症の一種と考えられているようだが、知能指数は高いことが多く、高機能自閉症と言う言葉も用いられ、重複する部分が大きいようだ。しかし、宮崎勤はアスペルガー症候群ではないらしい。
この対談では裁判に対する不満が述べられているが、それは裁判で全てが解決すると言うことではなく、矯正プログラムを充実させる必要があるのではないか、と言うことに行き着くようである。刑務所生活は矯正、更正とは何の関係もなく、犯罪者は刑務所にぶち込んでおけば良い、と言う極めて古い考え方が未だに蔓延っていて、再犯が絶えないのはこうした事も背景にあるそうだ。
この事件はその後の様々な事件、酒鬼薔薇聖斗事件、池田小学校の宅間守死刑囚、奈良の小林薫被告などなど、の嚆矢となった訳で、死刑を執行しても社会の病理は解決、解明出来ない。
私個人としてはこの事件に関心があり、最高裁判決の時メモを書きました。死刑にしても何も解決されていない、と言うような事でした。この対談で佐木隆三の発言は私の不満、疑問に少し答えてくるれものでした。
恣意的に、勝手気ままに、気づいたことを書き留めることにする。
「四人目の被害者の両手首、両手足を山林内に捨てたと起訴状に書いてあるのは間違いで、両手首は自分で食べた」と発言したことに驚いたからです。
・・・検察官がこう述べています「被告人はずいぶん言葉遣いに神経質で、供述調書にクレームをつけた。1989年9月17日付の印面調書で、性器について『大人は汚いが、子供はきれい』と録取したのを、『大人の女性の生きている性器を見るのは難しいが、子供は恥じらいがない』と訂正させています」。非常に興味深い部分です。
詐病という専門用語があるらしい。ネットサーフィンするとこんな説明がある。仮病に似ているが、寂しさだどで病気を装っているうちに本当に病気になってしまうものらしい。宮崎勤は詐病と言われているらしい。佐木隆三はそう思っている一人らしい。麻原彰晃もそう思われているらしい。
アスペルガー症候群と言う言葉も出て来る。これは別項で述べる積もりだが、自閉症の一種と考えられているようだが、知能指数は高いことが多く、高機能自閉症と言う言葉も用いられ、重複する部分が大きいようだ。しかし、宮崎勤はアスペルガー症候群ではないらしい。
この対談では裁判に対する不満が述べられているが、それは裁判で全てが解決すると言うことではなく、矯正プログラムを充実させる必要があるのではないか、と言うことに行き着くようである。刑務所生活は矯正、更正とは何の関係もなく、犯罪者は刑務所にぶち込んでおけば良い、と言う極めて古い考え方が未だに蔓延っていて、再犯が絶えないのはこうした事も背景にあるそうだ。
この事件はその後の様々な事件、酒鬼薔薇聖斗事件、池田小学校の宅間守死刑囚、奈良の小林薫被告などなど、の嚆矢となった訳で、死刑を執行しても社会の病理は解決、解明出来ない。