押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

法人資本主義の形態-1

2005-01-29 06:45:32 | 奥村宏関連
NHKの海老沢体制は、内部告発をきっかけとして、本人の辞職で一旦納まるかと見えた。しかし、橋本新体制が、旧幹部三名を顧問に委嘱するという、トンデモないことが起こり、膿の深さを見せ始めている。この一連の茶番劇を見ていて、奇妙な、表面的な類似性に気づいた。

奥村 宏の法人資本主義の構造の簡単な紹介をした折の文章を再度引用する。

中略
「・・・いわんや会社のために命を捧げるようなことは人間にはできない。会社本位主義はそれを徹底させれば必ずそれに反逆する人、そっぽを向く人がでてくる。
 会社人間からの離脱はまず転職と言う形であらわれ、そして若者が契約社員や、あるいはフリーターなどという形で会社にしばられるのを嫌うようになる。そして不況のために、終身雇用をタテマエにしていた会社が希望退職や出向などという形で事実上の首切りをする。これに対して労働組合は有効な対策がとれない。そこで従業員の組合離れが起こり、労働組合の組織率が低下する。企業別組合は形の上では残っているが、空洞化していく。
 そういうなかでは従業員による内部告発がつぎつぎと出てくる。会社の不正行為を外部に告発するなどということは会社本位主義のもとでは考えられなかったことだが、それが続発することになり、社会もそれを歓迎するようになった。
 バブル崩壊後、銀行の不正融資、証券スキャンダル、総会屋スキャンダル、欠陥車かくし、原子力発電所の事故かくし、牛肉偽装事件などつぎつぎと企業不祥事が起ったが、そのかなりのものは従業員や関係者による内部告発で表面化したものであった。」

株式会社が陥る崩壊の初期現象との奇妙な類似性に気づいたのである。内部告発に端を発して、会社の不正行為を外部に告発する。しかし、会社側はその本質が理解できずにその場のごまかしを積み重ねる。

NHKは株式会社ではない。しかし、組織形態としては、株式会社が陥る崩壊過程を同じように追尾しているように見える。私がこのサイトで基調テーマとしている非線型現象論に引き戻して考えると、それは自己形成過程のように見える。私の直感であるが、奥村宏が株式会社に見出した法人資本主義という概念は意外にに普遍的で、別の組織にも同じような現象が起っているのかも知れない。

更に想像を逞しくすると、政党組織、国家組織にもこうした概念が当てはまるのではないか、が私の妄想である。政党組織で言えば、社会主義運動、共産主義運動等などには内部告発から、内部抗争、派閥抗争などなど幾らでも見られる。しかし、組織の崩壊まではなかなか進まない場合が多い。
国家について考えると、明治以来の日本帝国は形態として法人資本主義だったのではないか、と思いついた。これは奥村宏の本をもっと読み続けなければいけないし、なぜ日本があのような無謀な戦争に突き進み、国内で何百万人、アジアでも何百万人、こちらのほうが多い、の軍人非軍人を殺すようなことをしたかを学習しなければならない。

次には、米国も中国も似たような法人資本主義の悪弊に陥る可能性があることも指摘しておきたい。詳しくは今後の学習の課題である。

しかし、一部のアラブ、古くからのアラブ、石油資本による近代化されていないアラブ、はこうした法人資本主義原理とは違った概念で運動しているようだ。これも学習課題。

こうした類似性を見出すには単語相関調査をすればまず手っ取り早くは見つかるような気がする。もっと賢くやるには、デジタルデータ―をつかまえて、計算機で相関を取ると言うやり方だろう。これを大規模にやっているのが、エシュロンである。


「法人資本主義の構造」奥村 宏著 岩波現代文庫 ¥1260-

2005-01-27 10:03:34 | 奥村宏関連
先週の日曜の新聞だかにこの本の書評が掲載されていた。ニ三日前に散歩の途中本屋の書棚で見付け、買い求めた。日本の株式会社が英米のそれらとどう違い、独逸のそれらとどう似て、どう違うか、を分析しているようだ。

長くなるが、序論の五の一部を引用すると、
「会社がこれほど人間を取り込んだ社会はほかにはない。戦後日本、それも一九五五年ころからの日本社会はそのような社会であったが、その構造である法人資本主義社会は資本主義のある一面を極度に徹底したものであり、その原理は会社本位主義であった。それは日本経済の強さの秘密であるとともに、大きな矛盾をはらんでいた。そこで一九九〇年代になってバブルが崩壊するとともにその矛盾が爆発した。」
中略
「・・・いわんや会社のために命を捧げるようなことは人間にはできない。会社本位主義はそれを徹底させれば必ずそれに反逆する人、そっぽを向く人がでてくる。
 会社人間からの離脱はまず転職と言う形であらわれ、そして若者が契約社員や、あるいはフリーターなどという形で会社にしばられるのを嫌うようになる。そして不況のために、終身雇用をタテマエにしていた会社が希望退職や出向などという形で事実上の首切りをする。これに対して労働組合は有効な対策がとれない。そこで従業員の組合離れが起こり、労働組合の組織率が低下する。企業別組合は形の上では残っているが、空洞化していく。
 そういうなかでは従業員による内部告発がつぎつぎと出てくる。会社の不正行為を外部に告発するなどということは会社本位主義のもとでは考えられなかったことだが、それが続発することになり、社会もそれを歓迎するようになった。
 バブル崩壊後、銀行の不正融資、証券スキャンダル、総会屋スキャンダル、欠陥車かくし、原子力発電所の事故かくし、牛肉偽装事件などつぎつぎと企業不祥事が起ったが、そのかなりのものは従業員や関係者による内部告発で表面化したものであった。」

ここで言う会社のために命を捧げる人間はいわゆる会社人間であり、更には、「社畜」であろう。こうした歪んだ人間性をもたらした法人資本主義を実証的に分析するのが本書であろう。引き続き読んで行きたい。

ここまででチョット感想を、
>会社人間からの離脱はまず転職と言う形であらわれ、そして若者が契約社員や、あるいはフリーターなどという形で会社にしばられるのを嫌うようになる。

これは序の部分だから本文の該当個所にはもっと細かく書かれているかも知れない。そこを気にしつつ敢えて書いておこう。会社人間の親を見て、「ああはなりたくない」と考えている若者が沢山居るだろう。こうした事が背景で、金属バット事件、閉じこもり、・・・、そして最近のニートを生み出しているのだろう。様々な理解に苦しむ性犯罪なども背景が同じ部分があると、私は考える。高名な心理学者がマスコミで解説をされるのを聞いていると、こうした背景を無視しているように感じられる。

こうした面をもっと掘り下げた研究、分析があるのかどうか、更に調べてみたい。

チョット元気の出る話

2005-01-25 19:21:53 | 読みちらし
古い記事だが、2004年11月20日の朝日新聞に「水泳ニッポンなぜ躍進」生島淳 が面白かった。まだサイトが残っているので、掲げておく。http://www.be.asahi.com/20041120/W12/0024.html 私の理解ではスイミングクラブが要で、優れた指導者が各地に配置され、幼時から水に慣れさせ、才能あるものを見出し、更に育てる、事が巧く回転している原動力らしい。才能を見出す事が出来る指導者が居なければ、国内でメダルを取った事もない選手がオリンピックで金メダルを取る事は起らないだろう。岩崎恭子、鈴木大地もこうした地道な努力の線上にあったらしい。

かつては運動競技は大学の運動部が席巻していた。そこでは上下関係、先輩後輩の関係が全てであった。こうした世界からどうやってクラブシステムは抜け出る事が出来たのだろうか。そこを鈴木陽二氏に尋ねてみたい。彼がキーパーソンであるらしい。

世界に飛躍できないスポーツはこうした観点から見直されるのだろうか。メダルの取れない競技は国からの補助金が少なくなり、経済的に締め付けられるのだろうか。

スポーツ以外の分野でもこのような仕組み、思考方法等を当てはめる事が出来ると思われる。例えば、企業を例にとっても良い。元気の出る組織、企業体、運動体はどの様な成長過程、生活行動をしているのだろうか?と言うことは研究対象にはならないのだろうか。



事始め

2005-01-24 01:07:20 | Weblog
近頃世の中閉塞状況と思われている。何をやっても旨く行かない。儲からない。会社は不景気。税金は上がるが、生活保障費は下がる、健康保険も然り。云々。

これらは全て非線型現象の現れであろう。そこのところを自己流で解釈、解き明かしてみたい。
参考書の一つは「複雑系」とは何か 吉永良正 講談社現代新書 1328 ¥641-(税別)である。この本は簡明な説明を試みていて、ある程度成功していると思われる。しかし、複雑系をこの程度の厚さの本で理解出来るか、と言えば、所詮無理である。こんなものかなァ。判ったような気になる。但し、私は用語の解説書として意識的に利用する事にする。この本で説明出来ない時は、ネットで調べて、自己流の解説を試みる。読者のレベルは高校生程度と考えている。

さて、どのように解き明かすか。非線型現象は解析的には解けないことは良く知られている。そこで試みられるのが、1.数値計算、2.コンピューター・シミュレーション、3.数値実験などである。2は最近専ら使われている言葉であるが、どのような式、初期値、境界値、コードを使ったかが大切で、その道の専門家でないと出来ない、あるいは参加できない。1,3は内容としては同じであるが、やや古い言葉で、特に3はシミュレーションは理論家が携わっているが、理論ではなく実験の要素が極めて強い、大きいと言う事を強調して、用いられた用語である。

これらを私は使える環境にはない。しかし、別の方法があるだろう。それらを試みて見たい。それはこれからの楽しみである。今回はここでお仕舞。

後から読み直すと、結構オリジナルな事を書いているので、と本人は思っている、このBlogサイトの著作権は本人に帰属します。・・・と、書いておこう。