押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

政党離れ

2007-01-29 17:00:30 | 気になる記事
宮崎県知事に東国原(ひがしこくばる)英夫(ひでお)(そのまんま東)氏が当選した事をどう理解するかはまだ定まった解釈はないようである。ただ、単なるタレント候補者の当選と言う考え方はないようで、政党離れ、と言う考えからが強いらしい。たとえば、朝日新聞にはこんな報道がある。
政党離れが次の参議院選挙にどのような影響を及ぼすから自民、民主、公明、共産、社民共々判らないので不安というのが現状だろうか?
今後更にあれこれの要素、展開がありそうだ。注目したい。

雪国 川端康成 

2007-01-25 09:20:12 | 齧り書き
図書館で文庫本の雪国を借りて読んだ。吉本隆明の言う浸透力は駒子、葉子については判ったような気がしないでもないが、島村については私には殆んど理解出来ない。そう言えば、昔若い時に読んで、左の指が、人差し指が、覚えている、と言うくだりに妙にエロティックな感覚を覚えた事を思い出した。自分が読んだ時か、友達が読んで、そう指摘したのか、定かではない。
気になって、島村に関る個所をパラパラと読み返したが、判り難さは変わらなかった。むしろ、そう意識すると、もどかしさが体の中に湧いて来た。そしてこのもどかしさは何処かで味わったなァ、と思い返して、「されどわれらが日々」柴田 翔、「ノルウェイの森」村上春樹 などの主人公についてもそうしたもどかしさを感じた記憶がある。それで雪国を返したその場でされどわれらが日々と山の音を借りてきた。これらについてはまた書こう。

川端康成に絡む記事/瀬戸内寂聴日経01172007p33

2007-01-22 00:11:26 | 齧り書き
奇縁まんだら(3)にこんなことが書いてあった。
 その翌年(昭和37年)から、岡本かの子のことを「かの子繚乱」という題で、私は「婦人画報」に連載しはじめた。・・・
 かの子は歌人から小説家になろうと志した時、自分よりはるかに若い新進作家の川端康成の小説に感動し、小説の師と頼んだ。夫の一平は礼を尽くしてかの子をゆだね、高価な服や靴を次々康成に贈った。
「芸術家は上等な料理を食べ、いい衣装を身につけ、立派な家に住まなければ、豊かな作品は作れない」
 というのが、一平の信念であり、それは若い康成に強い影響を与えていった。一平の身体と厚遇を康成は生涯忘れず、一平、かの子の愛児太郎を、肉親のように扱い、面倒を見つづけた。

吉本隆明の日本近代文学の名作に川端康成と岡本かの子とを並べて記述していた項目があり、こうしたことを吉本隆明も承知して書いたのかなァ、と感じた。

日本列島の誕生 平 朝彦 岩波新書 ¥650- その2

2007-01-19 19:12:44 | 齧り書き
僅かだが身銭を切って買い求めて読んだ。とても面白かった。海底ボーリングを行い、色々な地層を掘り出し、様々な方法で地層の年代を推定し、プレート運動の理論と結合して、時間と場所の関係から、それぞれの地層がどこから運んで来られたか、を知ることが出来る。こうして何箇所もボーリングを行うとこうした推理の正しい事がどんどん分かって来る。そうした地質科学者の興奮が伝わって来る。

4億2千万年前から現在までの大陸の様子、その配置の中で日本列島の元構成部分の存在個所が14枚の概略図で示される(pp。197-209)。これは面白い!凄い!

そして最後に著者は4億年から現代までの変遷、変化、歴史を明らかにすることが出来たので、こうして得た知見を武器に、土台に、地球の全史、45億年を明らかにしたい、と抱負、野望、野心、希望を展開している。40億年前には地球の温度はもっと高く、プレートの沈み込みで起こる様々な現象は4億年前以後の現象とは全く異なるだろう。しかし、そこを推定出来れば、解くことが出来ることになる。・・・と抱負を述べている。楽しいね。

面白い本に出会う道筋/個人的体験

2007-01-18 11:31:31 | 齧り書き
日本近代文学の名作/吉本隆明は面白かった、自分の意見が率直に書いてあるからだ。これは文芸時評という感想/荒川洋治に面白いと率直な紹介があったので読んで見る気になったのだった。そして、この荒川洋治の本はSIGHT 2007冬 季刊誌の斉藤美奈子と高橋源一郎の対談の中で面白い、はっきり判断している、と褒めていた。

荒川洋治の感想には面白いと評価していた本がまだまだあったと記憶するので、また借りて、少しじっくり読んでみたい。


日本近代文学の名作 吉本隆明 毎日新聞社

2007-01-10 01:19:25 | 齧り書き
荒川洋治の本に刺激されて読んだ。面白い、面白い見方が書かれている。私がこれは面白いと感じた個所を主観的に拾い書きする。

川端康成『雪国』
 川端文学には作品の根本に揺れ動く浸透力があり、それが作品世界を動かしている。浸透力と言うのは、対象である物や人にしみ通っていく力のことだ。『雪国』にはドラマチックな起伏や葛藤はあまり存在しない。だから、浸透力が動いているのを読み取れないと、これほどつまらなく感じられる世界はないかも知れない。日本的な美や情緒しか残らないことになってしまう。
谷崎潤一郎の『細雪』との対比、徳田秋声との比較なども提示されている。『雪国』、『山の音』、『古都』と続く作品の流れ・・・、これらの作品は映画化されているが、映像化された時、吉本隆明の解釈とどのように沿っていて、どう違っているのだろうか?
・・・
 唯一神がいて、自然も人間もすべて造ったと考えるような自然理念では、とても『雪国』のような感受性は生まれてこない。川端康成の「美しい日本の私」は読んだ記憶があるが、そんなだったかな?ノーベル文学賞推薦委員会の推薦文を読んで見たい。
・・・

雪国も読みたくなって来た。映画作品も見直して見たくなった。

中野重治『歌のわかれ』
・・・
中野重治は本質的に抒情詩人だが、彼自身は、当時の風潮に従って、文学は社会性をもたなければいけないとか、叙情性を排せよといったことを自分の戒律とするようになっていった。そうした過程を『歌のわかれ』は、まとまった形で描いている。
・・・『歌のわかれ』と同じ系列の最後の作品が『むらぎも』だといえよう。それ以降は、あまり良い小説は書いていない気がする。後期に書いた『梨の花』などはごくありふれた小説、優れた作品だが左翼の小説家でなくても書くような作品に移って自己規制を解いている。
<<なかなか厳しい評価だ>>
 中野重治が本物の文学者、芸術家だと言えるのは、左翼文学の論争の中で「文学には政治的価値なんてない」とはっきり言っていたことだ。「芸術的価値の内容の中に社会性があることはあり得るが、それとは別に政治的価値があって、だから主題が積極的でなければならないといういうことは全然ない」と終始主張したのは中野重治だけだった。
・・・

太宰治『斜陽』
・・・
 優れた作家の作品の特徴だが、この人の作品には、読む者に「これが分かるのは自分だけだ」と思わせるところがある。しかも、多数にそう思わせるわけだ。つまり、そういう作品ほど名作であり、それが古典の条件だとも言える。漱石の小説もそうだが、作中人物の微妙な心の動きなどは「これは自分だけにしか分からないはずだ」と思わせるものがある。それは名作や古典のもつ普遍性だ。
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凄い褒め方だ。

柳田國男『海上の道』・・・岩波文庫版で読める。
・・・
 「海上の道」は柳田國男の主要な関心事でもあった国家の起源、日本人の起源について、その課題の周辺に長年積み重ねてきたさまざまな民俗学的な知見を集合させた講演だったが、その豊穣な語り口はさまざまな意味で彼の集大成といってよかった。
・・・敗戦後、何がいま大切かとこの老学者は考えて、日本人、日本国の起源と歴史的経緯について、それまで積み重ねてきた民俗学の知識や見聞を総合して述べようとしたのが「海上の道」のモチーフだち思う。
宝貝の分布から柳田は琉球諸島や南九州に中国から移って来た人間が農業に適した場所に移動したと考えた。しかし、これら移り住んだ先進技術を持った人間も豊後水道や関門海峡の荒い急流の海を越えるには操船技術の発達を待たねばならなかっただろうと想像する。
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折口信夫『日琉語族論』・・・中公文庫版『折口信夫全集』第十九巻国語編にある。
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日本語と琉球語では語順が違っているそうな。どうしてそうなったか。それは何故か。などなどを調べて、日本語も古代までさかのぼれば、琉球語と同じだった事を示した。
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特別対談:対テロ戦争に出口は見えたか F・フクヤマvs藤原帰一 アエラ 07/1/1-8 p.41

2007-01-04 00:10:44 | 齧り書き
フランシス・フクヤマは90年代に「歴史の終わり上・下」書き、読んだ記憶がある。とてもシャープな切り込み方が印象に残っている。彼の著作は次の通り、彼の評価についてWikipediaには殆んど書かれていない。ネオコン政治思想家の一人とだけ書いてある。

さて、対談だが、見出しは1.イラク戦争 2.北朝鮮 3.日米同盟 4.対テロ戦争 となっている。
対談の下敷きは「アメリカの終わり」と言う最新の著書であるようだ。この中でブッシュ政権の外交を批判していて、その事を藤原帰一先生が問い質す、と言う感じ。
例えば、
1.イラク戦争
FF:・・・政府はイラクの体制転換に伴う難しさを過小評価しているのではないか。ベトナムでも中南米でも、介入して泥沼化したら撤退し、事態をより悪化させるという経験を繰り返してきた。戦争が始まる頃には、政府には長期目標もなく、犠牲の規模も過小評価していると気づいた。イラクでも同じ失敗を繰り返すのではないかという予感がありました。
FK:イラク侵攻を止める方法はなかったんですか。
FF:なかったと思う。一度政府が決めて、議会の承認が得られたら、止めるのは難しい。・・・
FK:イラク戦争には国内の体制を変え、イラクを民主化するという側面がありました。この点について、ブッシュは第二次大戦後の日本占領を成功例として引き合いに出していますが、その退避には疑問があります。
FF:確かに多くの点で違いがます。日本は先進国だったし、敗戦後も国事態は壊滅しなかった。一方、イラクは国ではなかった。人工的で、様々な民族が集う共同体のようなものだった。
FK:本の中ではかなり米国外交を批判していますね。
FF:ネオコンの真の意図はラムズフェルト前国防長官に台無しにされた。そもそも9・11をイラクと結びつけたこと自体が詐欺です。もしブッシュ政権がはっきりと、「ならず者国家が核兵器を手にしようとしているから、イラク侵攻でそれを食い止めるのだ」と意思表示していれば、核拡散防止のためと考える余地はあった。・・・
2.北朝鮮
FK:イラク侵攻を進めるさなかに悪化したのが、北朝鮮の核問題です。これまでのブッシュの政策をどう評価しますか。
FF:ひどいもんです。
FK:そのコメントを聞きたかった(笑い)。どこが問題なのでしょうか。
FF:政権第一期目に彼らはイランで犯したのと同じ過ちを犯した。つまり軍事オプションも持たず、真剣な交渉もしなかった。どの選択肢がどこまで選択可能かを探るような、実質的な条件を何一つ交渉のテーブルにのせなかったのです。我々が手を下さなくても自然に国内で民主主義革命や体制転換が起きるだろうとという甘い幻想を抱いていた。
FK:本当にそれを信じていたのですか?
FF:現実的にありうると考えた人は多くないが、そいおう希望的観測はあった。最大の問題は現政権が机上の政策はあっても何一つ現実に決めなかったことです。二期目にようやく重い腰を上げたが、もはや交渉の余地はそれほど残されていない。無策の代償は非常に大きい。今の米国に、北朝鮮に核を放棄させるだけの十分な外交カードがあるとは思いません。
・・・

米国の北朝鮮外交の無策が問題と言うFFの指摘はFKのアジアの冷戦が終っていないと言う考え方の延長上で重なるだろうと私は思う。

長くなるので、ここで一旦打ち切ります。