荒川洋治の本に刺激されて読んだ。面白い、面白い見方が書かれている。私がこれは面白いと感じた個所を主観的に拾い書きする。
川端康成『雪国』
川端文学には作品の根本に揺れ動く浸透力があり、それが作品世界を動かしている。浸透力と言うのは、対象である物や人にしみ通っていく力のことだ。『雪国』にはドラマチックな起伏や葛藤はあまり存在しない。だから、浸透力が動いているのを読み取れないと、これほどつまらなく感じられる世界はないかも知れない。日本的な美や情緒しか残らないことになってしまう。
谷崎潤一郎の『細雪』との対比、徳田秋声との比較なども提示されている。『雪国』、『山の音』、『古都』と続く作品の流れ・・・、これらの作品は映画化されているが、映像化された時、吉本隆明の解釈とどのように沿っていて、どう違っているのだろうか?
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唯一神がいて、自然も人間もすべて造ったと考えるような自然理念では、とても『雪国』のような感受性は生まれてこない。川端康成の
「美しい日本の私」は読んだ記憶があるが、そんなだったかな?ノーベル文学賞推薦委員会の推薦文を読んで見たい。
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雪国も読みたくなって来た。映画作品も見直して見たくなった。
中野重治『歌のわかれ』
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中野重治は本質的に抒情詩人だが、彼自身は、当時の風潮に従って、文学は社会性をもたなければいけないとか、叙情性を排せよといったことを自分の戒律とするようになっていった。そうした過程を『歌のわかれ』は、まとまった形で描いている。
・・・『歌のわかれ』と同じ系列の最後の作品が『むらぎも』だといえよう。それ以降は、あまり良い小説は書いていない気がする。後期に書いた『梨の花』などはごくありふれた小説、優れた作品だが左翼の小説家でなくても書くような作品に移って自己規制を解いている。
<<なかなか厳しい評価だ>>
中野重治が本物の文学者、芸術家だと言えるのは、左翼文学の論争の中で「文学には政治的価値なんてない」とはっきり言っていたことだ。「芸術的価値の内容の中に社会性があることはあり得るが、それとは別に政治的価値があって、だから主題が積極的でなければならないといういうことは全然ない」と終始主張したのは中野重治だけだった。
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太宰治『斜陽』
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優れた作家の作品の特徴だが、この人の作品には、読む者に「これが分かるのは自分だけだ」と思わせるところがある。しかも、多数にそう思わせるわけだ。つまり、そういう作品ほど名作であり、それが古典の条件だとも言える。漱石の小説もそうだが、作中人物の微妙な心の動きなどは「これは自分だけにしか分からないはずだ」と思わせるものがある。それは名作や古典のもつ普遍性だ。
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凄い褒め方だ。
柳田國男『海上の道』・・・岩波文庫版で読める。
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「海上の道」は柳田國男の主要な関心事でもあった国家の起源、日本人の起源について、その課題の周辺に長年積み重ねてきたさまざまな民俗学的な知見を集合させた講演だったが、その豊穣な語り口はさまざまな意味で彼の集大成といってよかった。
・・・敗戦後、何がいま大切かとこの老学者は考えて、日本人、日本国の起源と歴史的経緯について、それまで積み重ねてきた民俗学の知識や見聞を総合して述べようとしたのが「海上の道」のモチーフだち思う。
宝貝の分布から柳田は琉球諸島や南九州に中国から移って来た人間が農業に適した場所に移動したと考えた。しかし、これら移り住んだ先進技術を持った人間も豊後水道や関門海峡の荒い急流の海を越えるには操船技術の発達を待たねばならなかっただろうと想像する。
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折口信夫『日琉語族論』・・・中公文庫版『折口信夫全集』第十九巻国語編にある。
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日本語と琉球語では語順が違っているそうな。どうしてそうなったか。それは何故か。などなどを調べて、日本語も古代までさかのぼれば、琉球語と同じだった事を示した。
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