今日も寒さが緩んだ日でありました。明日はもっと緩むとかであります。
帰り道も、かじかんだりしない程度にほどよく寒い感じでありました。
それにしても早いもので、もう2月であります。うーみゅ。
■なんとなくゆるくなってきたので、そろそろオーバーホールしたいと思うちょります。
■面白くて一気に読んでしまいました。あじこぼさん感謝。
前半は「路傍の石」か「あすなろ物語」といった感じで、
(※あらすじを覚えていないのでイメージ)
後半はスピードを増して、発掘まっしぐら、そして虚脱であります。
当時の熱気、ドロッとした人間関係、権威との距離感、
そして、風土とそこに暮らした人々の息吹。
是非とも現地に行ってみたいと思うのでありました。
■赤線は本を読む以前に作ったルート。
読んでからは、もっとグルグルしたい場所であります。
三つのピーク、特に筆者が良く登ったという山寺山も登ってみたいし。
以下抜粋であります。
「....通りがかった農夫のおじさんに、この付近の地名を聞いてみた。
丘陵は南から、金比羅山、山寺山、稲荷山と呼び......
.....私は....中央の山寺山にのぼった。....この山頂は、地図には196.2mと記入されていて、
水田からの比高は50mほどなのだが、扇状地のせいか、じつに展望がいい。....」
「...両毛線の岩宿駅前から西に進むと間もなく右手に、
岩石が切り立ったように露頭する丘陵の突端があった。ここは金比羅山と呼ばれていた。
そのすそを通り、少し行って右に曲がって丘陵のすそをまわるようにして進むと、
ケヤキの大木が繁る森があった。.....
沼越しに遠く黒檜山を中心とした赤城山の一部が、稲荷山と鹿田山の間から、
まるで額ぶちの絵のように見えていた。いつきてもここは静寂なところであった。...」
蜂の巣をつついたような発掘作業が終了後、再び訪れた静寂のなか、
筆者が、また山寺山に登るのが印象的でありました。
■写真の年代がわからないのだけれど、昭和の後半でいいのじゃろか。
戦後すぐに比べれば、樹木も密になって展望はあまりないかもでありますが、
今の時期ならまだ良いじゃろと思うのであります。
■納豆などの行商に使っていた自転車。 写真は「相澤忠洋記念館」から。
これで赤城の南麓をグルグルしていたのでありますね。
桐生から東京までの往復も。 記念館に展示されているとのことなので、
これも見てみたい。
■覚書
1月:483km
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2013年計:483km