仮宿 451のミニベロ

OCNブログ人の終了に伴い、一旦こちらに退避しました。

ある日の通勤路(167)

2013年02月01日 | 12: ある日の通勤路

今日も寒さが緩んだ日でありました。明日はもっと緩むとかであります。

帰り道も、かじかんだりしない程度にほどよく寒い感じでありました。

それにしても早いもので、もう2月であります。うーみゅ。

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■なんとなくゆるくなってきたので、そろそろオーバーホールしたいと思うちょります。

 

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■面白くて一気に読んでしまいました。あじこぼさん感謝。

 前半は「路傍の石」か「あすなろ物語」といった感じで、

 (※あらすじを覚えていないのでイメージ)

 後半はスピードを増して、発掘まっしぐら、そして虚脱であります。

 当時の熱気、ドロッとした人間関係、権威との距離感、

 そして、風土とそこに暮らした人々の息吹。

 是非とも現地に行ってみたいと思うのでありました。 

   

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■赤線は本を読む以前に作ったルート。

 読んでからは、もっとグルグルしたい場所であります。

 三つのピーク、特に筆者が良く登ったという山寺山も登ってみたいし。

 以下抜粋であります。

 

 「....通りがかった農夫のおじさんに、この付近の地名を聞いてみた。

 丘陵は南から、金比羅山、山寺山、稲荷山と呼び......

 .....私は....中央の山寺山にのぼった。....この山頂は、地図には196.2mと記入されていて、

 水田からの比高は50mほどなのだが、扇状地のせいか、じつに展望がいい。....」

 

 「...両毛線の岩宿駅前から西に進むと間もなく右手に、

 岩石が切り立ったように露頭する丘陵の突端があった。ここは金比羅山と呼ばれていた。

 そのすそを通り、少し行って右に曲がって丘陵のすそをまわるようにして進むと、

 ケヤキの大木が繁る森があった。.....

 沼越しに遠く黒檜山を中心とした赤城山の一部が、稲荷山と鹿田山の間から、

 まるで額ぶちの絵のように見えていた。いつきてもここは静寂なところであった。...」

  

 蜂の巣をつついたような発掘作業が終了後、再び訪れた静寂のなか、

 筆者が、また山寺山に登るのが印象的でありました。

   

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■写真の年代がわからないのだけれど、昭和の後半でいいのじゃろか。

 戦後すぐに比べれば、樹木も密になって展望はあまりないかもでありますが、

 今の時期ならまだ良いじゃろと思うのであります。

 

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■納豆などの行商に使っていた自転車。 写真は「相澤忠洋記念館」から。

 これで赤城の南麓をグルグルしていたのでありますね。

 桐生から東京までの往復も。 記念館に展示されているとのことなので、

 これも見てみたい。

 

■覚書  

 1月:483km
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2013年計:483km