知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「日本人の心と建築の歴史」

2010年09月19日 03時11分40秒 | 民俗学
上田 篤 著、鹿島出版会(2005年発行)

 久しぶりに知的好奇心をくすぐられる本に出会い、楽しいひとときを過ごすことができました。思索する喜びを教えてくれる良書だと思います。

 日本の建築を「生活」「祈り」の場という視点から歴史的に紐解いていく様は、ミステリー文学に似てスリリングでさえあります。学術論文ではないので、真偽の受け止め方は読者次第ですが・・・。

 印象に残った箇所;

 ほんの50年前まで、農家の家は竈のある土間と畳のある高床式の併存する住居が普通でした。
 当たり前のことで疑問を持つことさえありませんでしたが、なぜこの造りなのかと聞かれても説明できませんね(笑)。
 著者はこの造りを「縄文時代の生活空間」と「弥生時代の生活空間」が合体したものと説きます。

 狩猟採集が生業(なりわい)である縄文時代の食物保存法は火を使った煮込みであり、竪穴式住居では火を絶やさぬよう外からの風雨を避ける大きな屋根が特徴でした。そして「火」は信仰対象でもありました。

 一方、弥生時代には農耕が始まり、イネモミを保存する為に有利な高床式倉庫を造り、時代が下るとそこにも人が住むようにもなりました。高床式倉庫は神社の本殿の元でもあり、これも信仰の対象でした。

 しばらくの間は竪穴式住居(土間)と高床式住居の併存状態が続きましたが、やがて一つの住居にまとまる時が到来し近代の住居の形に落ち着いた、と推論しています。

 なるほど。

 その他にも、舟を操る天照大神一族が日本を支配することにより舟の材料である巨木信仰が始まり、日本建築の随所にその影が色濃く残っていることを論証しています。
 例えば、お寺の五重塔は仏教本場のインドや中国ではほとんど残っておらず、日本にのみ残されてきた背景には、心柱となる巨木信仰が根底にある、等々。

 目からウロコがぽろぽろ落ちました。
 やはり日本は「木」を大切にしてきた民族なんだなあ、と頷きながら読み終えました。

☆ 著者のデータ:
1930(昭和5)年大阪市生まれ。建築学者、建築家。建設省技官を経て、京都大学。大阪大学・京都精華大学の教授をつとめる。著作多数。
コメント
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