知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「100分de名著 万葉集」

2014年08月13日 18時10分06秒 | 古典文学
「100分de名著 万葉集」 NHK 2014年4月放送
講師:佐佐木幸綱

以前から興味のあった『万葉集』。
しばらく前にやはりNHKで「日めくり万葉集」という番組がありました。
各界の著名人が思い入れのある万葉集内の短歌を自分の解釈で語るのです。
ふ~ん、教科書的な“正しい解釈”に固執せず、こんな自由に捉えてもいいんだ、と目から鱗が落ちました。
なんというか、仏教思想で染まる前の日本人の心情がそこに感じられ、今を生きる自分とも波長が合うことに驚いたのでした。

それから、「SONGS OF LIFE―Contemporary Remix“万葉集”」という写真と現代語訳(意訳)がコラボした本も、それまでの万葉集のイメージを覆す衝撃的な内容でした。

ただ、私は『万葉集』系統的な書物を読んだことはなく、その全体像を知りません。
この番組ではわかりやすく解説してもらえそうなので、録画しておきまとめて視聴しました。



<番組説明>
現存する中では日本最古の和歌集「万葉集」。2014年度最初の「100 分de名著」では、日本人の心の原点を探るために、この万葉集を取りあげます。
万葉集の中で最も多いのが57577の短歌です。中には5と7を長く繰り返す長歌もありますが、全てが57調です。和歌は宴などで声に出して披露されるものでした。そのため声の出しやすさから、自然に57調が定まったと考えられています。
万葉集は、様々な時代に詠まれた歌を、後になって集めて編集したものです。そのため時代によって、歌の作風が大きく変わります。そこで今回は、万葉集の歌を、時代ごとに4期に分類して解説することにしました。歌の変化を明らかにすることで、古代の日本が、どのように移り変わっていったかを知ることが出来るからです。
番組では、額田王、柿本人麻呂、大友家持など、万葉集の代表的な歌人にスポットをあてながら、古代の人々の“心の歴史”を読み解いていきます。


まず、万葉集の成り立ちに起承転結があることを知りました。

初期は「言霊の宿る歌」ではじまり、
次に形式を重視した「宮廷歌人の時代」となり、
さらに展開して自由度が増し「個性が開花」し、
そして最後には「独りを見つめる」内省的な面も併せ持つようになるに至りました。

その経緯を司会の伊集院光さんが「写真」に例えたのが上手いと思いました。

幕末に入ってきた“写真”なるものは、
当初「魂を抜かれる」と恐れられ、
初期はかしこまったポーズで撮影し、あるいはカチッとした集合写真。
その後、自由度が増していろんな表現・作品が現れるようになります。

ホント、似てますねえ。

万葉集に収められている歌を大まかに分けると以下の3種類になるそうです。
雑歌(ぞうか):『万葉集』では,相聞,挽歌以外のすべてを雑歌としているため,行幸,遷都,宮廷の宴会など,公的な,晴れがましい場の作が多数含まれる。
相聞(そうもん):男女・親子・兄弟姉妹・友人など親しい間柄で贈答された歌が含まれるが、特に恋の歌が多い。
挽歌(ばんか):辞世や人の死に関するものなどを含む。古今集以後の哀傷歌にあたる。

また、現在の様な形に整理したのは江戸時代の国学者、賀茂真淵だそうです。
では番組に出てきた「万葉集の時代」と代表的な歌人を紹介します;

【第1期】629年(舒明天皇即位)「言霊の宿る歌
 悔しい思いで死んだ魂を“荒魂”(あらたま)と呼ぶ。それを歌を読むことによって“鎮魂”し、平和な魂である“和魂”(にぎたま)に落ち着かせる。
 勝ったものは歴史を作り、負けた者は文学を作る。

【第2期】672年(壬申の乱)「宮廷歌人の登場
柿本人麻呂:“歌聖”と呼ばれる初めてのプロの歌人。
 その形式美のスキルは絶品で、枕詞、擬人法、対句、造語などを自由に操り、天皇をたたえる歌をたくさん作った。
高市黒人:旅を読んだ歌人。
 当時の役人は都と赴任先を馬で行き来した。その際に歌を読んだ。土地の名前を入れることにより土地の神様の守護を得るという習慣があった。

【第3期】710年(平城遷都)「個性の開花
山部赤人:柿本人麻呂を次ぐ宮廷歌人。宮廷における人気は和歌から漢詩へ移り、和歌は宮廷賛歌から自然の美そのものを歌う性質に変わっていった。
大伴旅人:生きることの深みを歌い、人生のつらいことも真正面から見る哲学的・宗教的な世界を詠んだ。亡妻挽歌が有名。
山上憶良:他者に思いを寄せる歌を詠んだインテリ。筑紫国へ赴任し、その地方を見て歩きルポルタージュ的な「貧窮問答歌」を詠った、万葉集の中では別格の孤高の存在。

【第四期】733年(山上憶良没)「独りを見つめる」
大伴家持:大伴旅人の子。歌人であるとともに万葉集の編纂者でもある。「山柿の門に至らず」というコメントが有名で、山上憶良(あるいは山部赤人とも)・柿本人麻呂の足下にも及ばないという意味。“愁い”を詠み、光や音のかすかな揺れにどうしても心が向かってしまう性格。採取・編集した「防人の歌」「東歌」も有名。
※ 「東歌」(第十四巻)投獄の素朴な心を詠った作品で、一人も作者がわからない。方言・訛りがたくさん出てくる。


 以上、万葉集の成り立ちが少し俯瞰できたような気がしてきました。
 興味をかき立てられたのは、山上憶良と東歌かな。
 さて、昔録画した「日めくり万葉集」の残りを見てみよう・・・。
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