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神社祭祀・祭祀形式の変遷

2018年01月07日 15時32分07秒 | 神社・神道
氏神さまと鎮守さま〜神社の民俗史〜」(新谷尚紀著、講談社選書、2017年発行)第一章より。

 古代日本の神社祭祀が始まった頃の形態を扱った項目です。
 自然物(巨岩・巨石)そのものを神として祀ったものが最古とされ、神域の設定、臨時の祭祀場設置から常設建築へと長い時間をかけて変遷してきました。

日本の神祇祭祀の基本
・文献資料からは「祠」「社」「宮」などの建造物
・考古資料からは「磐座(※1)祭祀」「禁足地(※2)祭祀」
ーが古態であった。

※1) 磐座(いわくら):社殿が建てられる以前の古代の神社は「巨石(=磐座)などの自然物を祀る祭祀施設」であった。
※2)禁足地:足を踏み入れることを禁じた神域


祭祀方式の変遷
1.磐座祭祀
2.禁足地祭祀
3.祭地への神籬(※3)設置
4.祭地への臨時的な社殿設置
5.常設の宮殿設営

※3)神籬(ひもろぎ):神道において神社や神棚以外の場所において祭祀を行う場合、 臨時に神を迎えるための依り代となるもの。

□ 古文献上の“神社”
(659年)『日本書紀』に「神の宮」という単語(現在の出雲大社を指す)
(684年)『日本書紀』に「寺塔神社」という単語

□ 飛鳥時代の神社祭祀
 天皇と国家の祭祀として、五穀豊穣と風水害を避ける祭祀が整備された。孟夏4月の広瀬大忌神祭と孟秋7月の龍田風神祭が、毎年2回定期的に制度的に行われるようになり、その際、各地の「諸社」(もろもろのやしろ)にも使いを遣わして幣帛をまつるのが慣例とされた。

□ 「祠」「社」「宮」
 これらの言葉は、『日本書紀』や『古事記』において古代の神々を祀るための装置として使われている。そしてそれらは、いずれも建築物を表す語であった。

□ 古い神社の形態〜「磐座祭祀」(いわくらさいし)から「禁足地祭祀」へ
 三輪山祭祀遺跡、宗像沖ノ島遺跡などに認められる。4世紀後半には巨石の磐座、6世紀前半から禁足地祭祀へと転換している。


<参考>
日本における古代祭祀研究と沖ノ島祭祀 (笹生衛)

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