河出書房新社、2000年発行。写真:園部 澄(きよし)、文:神崎 宣武
園部さん(故人)は長らく「岩波写真文庫」を担当された写真家で、風景写真・民俗写真の第一人者と紹介されています。
神崎さんは宮本常一氏(故人)に師事した民俗学者です。現在の肩書きは「文化庁文化財保護審議会専門委員」「旅の文化研究所運営評議委員」等々。NHKの「日めくり万葉集」にも登場され、万葉集の歌を当時の民俗(庶民の生活)を推論しながら解釈する手法に唸って感心した私でした。
この写真集は今から約50年前(昭和20~40年代)の日本の地方の風景を収めた作品です。
「失われた」というタイトル通り、どうしてこれほど変わってしまったのか、と驚くことしきり。
中には「江戸時代の写真です」と云われてもわからないものもあります。
おそらく、過去の歴史の中でも密度の濃い激変の50年だったと思われます。
一方、ああ、子どもの頃こんな風景あったなあ、と回顧・郷愁をそそるものもありました。
人々は皆動いています。
子どもは遊び、大人は肉体労働(肥満体が皆無!)、老人は手仕事。
牛や馬も働いています。
しかも、機械に使われているのではなく、すべて自然のペースで行われているようです。
当時は現代より貧しく、娯楽の少ない生活だったと思われますが、そこにいる人々の目つきは今より生き生きしています。
子ども達の目はいたずらっぽい中に未来への夢が光っていますし、日々の労働に打ち込んでいる大人の目に迷いは微塵もありませんし、老人は全てを経験して次世代に託して余生を送る穏やかな表情をしています。
風景と共に、それに同化していた日本人の表情も失われてしまったのですね。
印象に残った箇所を抜き出してみます。
■ 働く子ども達
農山村にあっては、子ども達の働きが家族内の役割として決められていた。
例えば「子守」。
年長の娘達は、幼い弟や妹を背負ってあやしていた。学校へ行くのにも、兄姉が弟妹の手を引く。当たり前の光景だった。
体力がつく年頃になると、水くみ作業が割り当てられる。はじめはバケツ。やがて天秤棒で水桶を運ぶようになる。ピチャピチャと跳ねる水をこぼさないよう、その足運びを覚えるとあとは簡単。
買い物やお使い。峠を越えたり、川を渡ったりしたところには、決まってガキ大将が待ち受ける。恐いけれど、避けられない。へつらわず、けんかせず。むつかしいところだ。子ども達なりに、外の世界を知ることになった。
と、かように回顧すれば、子どもを労働に使うべきでない、と人権擁護の関係筋からお叱りを受けるかもしれない。が、それで子ども達が得るものがあった、そのことをあわせ考えて欲しい。
■ 夜なべ
冬の夜は、長い。寒くもあるので、家族が囲炉裏ばたに座している時間が長くなる。
囲炉裏は、暖をとる装置であると同時に、調理の装置でもあった。自在鉤と鉄輪がその道具。自在鉤に鍋を吊し、鉄輪に鍋を置く。その鍋を囲んで、家族が食事をした。
鍋の中には汁や雑炊、あるいは芋煮など。夕食の残りがまだある。それを夜食に回す。これが「夜なべ」。それまでの時間、なんやかやの手仕事に励むのが夜なべ仕事である。
■ 主婦の力
早朝から深夜まで、主婦達は気ぜわしく働いた。昼間の農作業に加えて家事労働の負担があった。毎日それをどう切り盛りするか、それが主婦達の力量というものだった。その後ろ姿を見て育つ子どもたちは、多分その力量に圧倒されたはずだ。畏敬の念さえ抱いたに違いない。そのあたりが、現代の母子関係と違うように思えるのである。
最近流行のジェンダー論の中で、主婦は不当に虐げられ過酷な労働を強いられてきた、と見る向きがある。たしかに、社会的に女性の地位が抑えられてはいた。しかし、家庭内の労働においては、必ずしもそうではない。主婦が家事にいそしんでいる時間、夫もまた屋外の作業に早出をしたり居残りをしたりで労働を分担していたのである。
そのことも、農村や漁村の子ども達は、よく見て知っていたはずなのだ。
・・・付け加えることは、ありません。
園部さん(故人)は長らく「岩波写真文庫」を担当された写真家で、風景写真・民俗写真の第一人者と紹介されています。
神崎さんは宮本常一氏(故人)に師事した民俗学者です。現在の肩書きは「文化庁文化財保護審議会専門委員」「旅の文化研究所運営評議委員」等々。NHKの「日めくり万葉集」にも登場され、万葉集の歌を当時の民俗(庶民の生活)を推論しながら解釈する手法に唸って感心した私でした。
この写真集は今から約50年前(昭和20~40年代)の日本の地方の風景を収めた作品です。
「失われた」というタイトル通り、どうしてこれほど変わってしまったのか、と驚くことしきり。
中には「江戸時代の写真です」と云われてもわからないものもあります。
おそらく、過去の歴史の中でも密度の濃い激変の50年だったと思われます。
一方、ああ、子どもの頃こんな風景あったなあ、と回顧・郷愁をそそるものもありました。
人々は皆動いています。
子どもは遊び、大人は肉体労働(肥満体が皆無!)、老人は手仕事。
牛や馬も働いています。
しかも、機械に使われているのではなく、すべて自然のペースで行われているようです。
当時は現代より貧しく、娯楽の少ない生活だったと思われますが、そこにいる人々の目つきは今より生き生きしています。
子ども達の目はいたずらっぽい中に未来への夢が光っていますし、日々の労働に打ち込んでいる大人の目に迷いは微塵もありませんし、老人は全てを経験して次世代に託して余生を送る穏やかな表情をしています。
風景と共に、それに同化していた日本人の表情も失われてしまったのですね。
印象に残った箇所を抜き出してみます。
■ 働く子ども達
農山村にあっては、子ども達の働きが家族内の役割として決められていた。
例えば「子守」。
年長の娘達は、幼い弟や妹を背負ってあやしていた。学校へ行くのにも、兄姉が弟妹の手を引く。当たり前の光景だった。
体力がつく年頃になると、水くみ作業が割り当てられる。はじめはバケツ。やがて天秤棒で水桶を運ぶようになる。ピチャピチャと跳ねる水をこぼさないよう、その足運びを覚えるとあとは簡単。
買い物やお使い。峠を越えたり、川を渡ったりしたところには、決まってガキ大将が待ち受ける。恐いけれど、避けられない。へつらわず、けんかせず。むつかしいところだ。子ども達なりに、外の世界を知ることになった。
と、かように回顧すれば、子どもを労働に使うべきでない、と人権擁護の関係筋からお叱りを受けるかもしれない。が、それで子ども達が得るものがあった、そのことをあわせ考えて欲しい。
■ 夜なべ
冬の夜は、長い。寒くもあるので、家族が囲炉裏ばたに座している時間が長くなる。
囲炉裏は、暖をとる装置であると同時に、調理の装置でもあった。自在鉤と鉄輪がその道具。自在鉤に鍋を吊し、鉄輪に鍋を置く。その鍋を囲んで、家族が食事をした。
鍋の中には汁や雑炊、あるいは芋煮など。夕食の残りがまだある。それを夜食に回す。これが「夜なべ」。それまでの時間、なんやかやの手仕事に励むのが夜なべ仕事である。
■ 主婦の力
早朝から深夜まで、主婦達は気ぜわしく働いた。昼間の農作業に加えて家事労働の負担があった。毎日それをどう切り盛りするか、それが主婦達の力量というものだった。その後ろ姿を見て育つ子どもたちは、多分その力量に圧倒されたはずだ。畏敬の念さえ抱いたに違いない。そのあたりが、現代の母子関係と違うように思えるのである。
最近流行のジェンダー論の中で、主婦は不当に虐げられ過酷な労働を強いられてきた、と見る向きがある。たしかに、社会的に女性の地位が抑えられてはいた。しかし、家庭内の労働においては、必ずしもそうではない。主婦が家事にいそしんでいる時間、夫もまた屋外の作業に早出をしたり居残りをしたりで労働を分担していたのである。
そのことも、農村や漁村の子ども達は、よく見て知っていたはずなのだ。
・・・付け加えることは、ありません。