知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

小沢昭一氏、逝く

2012年12月11日 07時26分03秒 | 民俗学
 俳優の小沢昭一さんが亡くなりました。

俳優の小沢昭一さん死去 83歳、芸能研究も
(2012/12/10:日本経済新聞)
 味わい深い語り口で親しまれた俳優の小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。83歳だった。告別式の日取りなどは未定。
 東京都生まれ。家業は写真館で、蒲田で少年時代を送った。麻布中学から海軍兵学校予科に進学したが、終戦。復学した麻布中学、早稲田第一高等学院で俳優の加藤武氏らと演劇に熱中した。
 早稲田大文学部卒後、俳優座養成所に入り、1951年、初舞台。俳優小劇場結成にかかわった後、芸能座、しゃぼん玉座を主宰し、井上ひさし作品などで活躍。親友だった今村昌平監督「『エロ事師たち』より 人類学入門」などの映画をはじめラジオ、テレビでも活躍した。
 郡司正勝氏に師事し、民衆芸能の研究にも力を注いだ。芸能の原点をたどる「日本の放浪芸」シリーズの取材、録音の成果は学術的にも評価が高い。昭和の心を伝えるハーモニカ・コンサートが人気を呼び、TBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は73年に始まり放送1万回を超す人気長寿番組だった。変哲の俳号をもつ俳人としても知られていた。
 放送大学客員教授なども務めたが、今年秋からラジオ収録を休むなど体調不良が続いていた。


 俳優業もさることながら、私にとっては「民衆芸能の採集者」として心に残っています。歴史の表舞台に縁のない人々に惹かれる私にとって、小沢さんの存在は貴重でした。

 古くから日本には民衆芸能の担い手が存在しました。
 それは神の使いとして一目置かれる一方で、流浪の民として差別の対象にもなる二面性を有した微妙な存在。
 昭和時代の後半、ラジオやテレビの普及と共に密やかに姿を消していきました。
 その失われていく民衆芸能を音と映像に残すべく、全国を行脚して採録して回ったのが小沢さんです。

日本の放浪芸 壱 横手萬歳 解説
日本の放浪芸 壱 横手萬歳 御門萬歳

 彼の残した記録を聞いて、古くは民衆芸能の合間に時間つなぎ目的で行った「萬歳」を、大阪の芸人が洗練させて独立させたのが現在の「漫才」であることを知り、驚きました。

 Amazonで「小沢昭一 放浪芸」で検索すると購入可能な作品がわかります。
 これらの内、CDはだいたい手元にありますが、今は希少価値なのか中古品が高値で取引されている様子。

 その昔(20年くらい前?)に放送大学で放浪芸の講義を行っていたのも記憶に残っています。「バナナのたたき売り」が画面に出てきた時には「これも学問になるのか!?」と度肝を抜かれました。ビデオに録画したのですが、引っ越しを繰り返す中で紛失してしまい、残念でなりません。

 小沢さん、ご苦労様でした。合掌。