知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「相撲」はスポーツではなく「神事」です。

2012年01月09日 08時26分42秒 | 神社・神道
 相撲は神事であることを「ブラタモリ~両国編」で再認識しました。

 隅田川東側の土地はもともと江戸郊外で田んぼが広がっていた土地。
 そこに江戸を焼き尽くした「明暦の大火(1657年)」で出た約10万人の死者を弔うために「回向院」というお寺が造られました。お寺とはいうものの、郊外のため幕府の取り締まりがゆるく、繁華街と化してアミューズメントパーク的性格を帯びていたそうです。実際、一時は境内にサーカスとかスケートリンクがあったと住職さんが説明していました。

 さて、江戸時代に寺社仏閣を建立する費用を捻出する目的で行われたのが「勧進相撲」。
 各地で行われていましたが、回向院近くでは仮設の建物が造られるほど盛んで、明治時代末、ついに常設されるに至りました。これが「両国国技館」です。

 「相撲はスポーツではなく神事です」と元大関栃東の玉ノ井親方がコメントされていました。
 土俵の上にぶら下がっている屋根は神社本殿の屋根と同じ形をしています。
 千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)に注目。千木が外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)で、堅魚木が5本と奇数ですから男神を表しています。

 土俵は毎場所、新たに造られます。
 呼び出しの方々が総出で、場所の6日前から3日間かけて造り直します。崩して盛って形を整え、踏み固めて叩き固めて・・・すべて手作り。
 完成後に「土俵祭」が行われます。宮司立会いのもと、土俵中央に縁起を担ぐ意味で勝栗や昆布・米・スルメ・塩・榧の実が神への供物として埋められるのです。
 相撲の古来の性格として「健康と力に恵まれた男性が神前にてその力を尽くし、神々に敬意と感謝を示す行為である。そのため礼儀作法が非常に重視されている。」とWikipedia にもあります。かつての朝青龍のような不作法は他のスポーツ以上に咎められる所以です。土俵入りの際、力士が手をたたくのも神社参拝の「柏手(かしわで)」ですし、しめ縄も神社由来です。
 
 私は「鎮守の森巡り」と称して、近隣地域の小さな神社を訪ねる趣味がありますが、時々境内に土俵を見つけることがあります。「奉納相撲」(※)の名残ですね。今でもやっているのかなあ。

※ 祭の際には、天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣・大漁等を願い、相撲を行なう神社も多い(Wikipedia より)。