知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「ソメイヨシノ すべては1本の木から始まった」

2010年05月17日 06時08分54秒 | 日本の美
 サクラの季節は終わりつつある中、NHK-BSの「いのちドラマチック」シリーズでタイトル名の番組を見ました。以前、TVでこのような意味の解説を聞いたものの、残っていた「?」が解決されました。

 サクラと云えばソメイヨシノ。
 実は全国に分布するソメイヨシノはすべて一本の元木のコピー(あるいはクローン)なんだそうです。「子孫」ではなく「コピー」ってどういうこと?

 ソメイヨシノは江戸時代末期に東京は駒込の「染井」という土地の植木職人が「オオシマザクラ」と「エドヒガンザクラ」を掛け合わせて造った品種だそうです。つまり歴史はまだ浅い新顔なのです。
 オオシマザクラは大きい花が特徴、エドヒガンは葉が出る前に花が咲くのが特徴、そしてできたソメイヨシノはその両者の特徴を兼ね備えた観賞用サクラとなりました。
 いや、「観賞用に特化した」と言い換えた方がよいかもしれません。ソメイヨシノは受粉してタネを作る能力が無いのです!

 ではどうやって増やしてきたか?
 答えは「接ぎ木」。
 ソメイヨシノの枝を数十センチに切り先をとがらせ、それをオオシマザクラの幹に切り込みを入れて差し込めば生着して新たなソメイヨシノが出来上がり、数年後には花を咲かせるそうです。1本の木から接ぎ木用の枝は約1000本取れるので、この方法でネズミ算式に増やしてきました。

 驚きました。
 生物は「免疫システム」で自分以外の異物を排除するのでこのようなことは不可能ですが、植物は他の植物を取り込んでしまうのですね。

 接ぎ木で増えたソメイヨシノは、戦後焼け野原となった学校や公園中心に植えられました。
 そして60年以上経った今、異常事態発生!
 接ぎ木の限界なのか、各地でソメイヨシノが枯れ始めたのです。
 分析の結果、「過密な植林」と「花見で根元が荒らされる」ためとわかりました。
 つまり寿命ではなく「人為的」な原因ということ。
 木と木の間が狭いと1本1本の木に十分な栄養が行き渡らない。
 根元を人が歩いて踏み固めてしまうと根が水分を十分吸い上げられなくなってしまうらしい。
 すると、花見はサクラの木の下ではなくちょっと離れた場所から愛でる方がサクラにとっては有り難いことになります。
 う~ん、難しい。

 青森県の弘前城~弘前公園はサクラで有名ですが、なんと1500本のソメイヨシノがあります。最長寿は128年のもの。
 弘前でも例に漏れず一時枯れ木問題に悩まされましたが、うまく克服したそうです。その地元の枯れ木対策が紹介されました。
 それは「剪定」と「土起こし」。
 サクラは剪定に向かないと云われてきた常識を覆し、同じバラ科のリンゴを参考に剪定に踏み切りよい成績を残してきました。また、年に一回、観光客に踏み固められて根元の土を掘り起こして柔らかくする手当も行いました。
 すると、またソメイヨシノが元気に・・・今では全国からその手法を学ぶべく見学者が後を絶たないそうです。

 弘前市は私が学生時代を過ごした地でもあります。実は弘前城の桜祭りの裏方バイト(リヤカーを引いてイベントの準備など・・・時給350円!)もやっていました。
 サクラのピーク時は、「きれいだなあ」というより「幽玄な別世界」でしたね。
 でも、一斉の開花&散り際の美学は植木職人の作品だったのかあ・・・ちょっと複雑な気分。