美術と無関係な専門職に就いた今でも、私は何者かと問われるといつも「美術屋です」と応える。
それは自身にとっての叱咤と啓蒙に他ならない。
好きな絵など、数知れない。
それぞれの絵からは別々のことを学んだから、それぞれに思い出がある。
だから、全てをここに記すことができない。
今回は、洋画に限ってここに並べる。幼い頃から好きだったものたちばかりを。
【Q1.PCもしくは本棚に入っている『絵もしくは画家』】
本棚といえばきりがないので、会社のPCの壁紙ローテーション頻度の高いものを以下に挙げる。(※畢竟、横長の絵が多くなる)
ピーテル・ブリューゲル(父)「反逆天使の墜落」
1562
Oil on oak, 117 x 162 cm
Musées Royaux des Beaux-Arts, Brussels
ピーテル・ブリューゲル(父)「バベルの塔」
1563
Oil on oak panel, 114 x 155 cm
Kunsthistorisches Museum, Vienna
カラヴァッジョ「洗礼者ヨハネ」
1603-04
Oil on canvas, 94 x 131 cm
Galleria Nazionale d'Arte Antica, Rome
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「燭台の前のマグダラのマリア」
c. 1640
Oil on canvas, 117 x 91,8 cm
County Museum of Art, Los Angeles
【Q2.今妄想している『絵もしくは画家』】
宗教画に迸る熱情が、エロスと極めて近いところにあると知った小学生の頃。
ソドマ「聖セバスティアヌス」
1525
Oil on canvas, 206 x 154 cm
Galleria Palatina (Palazzo Pitti), Florence
【Q3.最初に出会った『絵もしくは画家』】
ほんとうの意味での最初なんて知らない。
ただ、絵とはなにかを幼い私に教えてくれた人だ。
ベルナール・ビュフェ「酒瓶のある静物」
c.1962
Oil on Canvas 38 x 58 inches
【Q4.特別な思い入れのある『絵もしくは画家』】
聖母子や受胎告知に惹かれるのは、子供の頃から現在に至るまで変わっていない。
サンドロ・ボッティチェルリ「書物の聖母」
c. 1483
Tempera on panel, 58 x 39,5 cm
Museo Poldi Pezzoli, Milan
パルミジャニーノ「首の長い聖母」
1534-40
Oil on panel, 216 x 132 cm
Galleria degli Uffizi, Florence
アントネッロ・ダ・メッシーナ「受胎告知」
c. 1476
Oil on wood, 45 x 34,5 cm
Museo Nazionale, Palermo
カルロ・クリヴェッリ「受胎告知」
1486
Oil on wood transferred to canvas, 207 x 146,5 cm
National Gallery, London
【Q5.バトンを回す人】
絵に射抜かれたことがある人。
絵に泪したことがある人。
そして、絵に救われたことがあるあなた。
それは自身にとっての叱咤と啓蒙に他ならない。
好きな絵など、数知れない。
それぞれの絵からは別々のことを学んだから、それぞれに思い出がある。
だから、全てをここに記すことができない。
今回は、洋画に限ってここに並べる。幼い頃から好きだったものたちばかりを。
【Q1.PCもしくは本棚に入っている『絵もしくは画家』】
本棚といえばきりがないので、会社のPCの壁紙ローテーション頻度の高いものを以下に挙げる。(※畢竟、横長の絵が多くなる)
ピーテル・ブリューゲル(父)「反逆天使の墜落」
1562
Oil on oak, 117 x 162 cm
Musées Royaux des Beaux-Arts, Brussels
ピーテル・ブリューゲル(父)「バベルの塔」
1563
Oil on oak panel, 114 x 155 cm
Kunsthistorisches Museum, Vienna
カラヴァッジョ「洗礼者ヨハネ」
1603-04
Oil on canvas, 94 x 131 cm
Galleria Nazionale d'Arte Antica, Rome
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「燭台の前のマグダラのマリア」
c. 1640
Oil on canvas, 117 x 91,8 cm
County Museum of Art, Los Angeles
【Q2.今妄想している『絵もしくは画家』】
宗教画に迸る熱情が、エロスと極めて近いところにあると知った小学生の頃。
ソドマ「聖セバスティアヌス」
1525
Oil on canvas, 206 x 154 cm
Galleria Palatina (Palazzo Pitti), Florence
【Q3.最初に出会った『絵もしくは画家』】
ほんとうの意味での最初なんて知らない。
ただ、絵とはなにかを幼い私に教えてくれた人だ。
ベルナール・ビュフェ「酒瓶のある静物」
c.1962
Oil on Canvas 38 x 58 inches
【Q4.特別な思い入れのある『絵もしくは画家』】
聖母子や受胎告知に惹かれるのは、子供の頃から現在に至るまで変わっていない。
サンドロ・ボッティチェルリ「書物の聖母」
c. 1483
Tempera on panel, 58 x 39,5 cm
Museo Poldi Pezzoli, Milan
パルミジャニーノ「首の長い聖母」
1534-40
Oil on panel, 216 x 132 cm
Galleria degli Uffizi, Florence
アントネッロ・ダ・メッシーナ「受胎告知」
c. 1476
Oil on wood, 45 x 34,5 cm
Museo Nazionale, Palermo
カルロ・クリヴェッリ「受胎告知」
1486
Oil on wood transferred to canvas, 207 x 146,5 cm
National Gallery, London
【Q5.バトンを回す人】
絵に射抜かれたことがある人。
絵に泪したことがある人。
そして、絵に救われたことがあるあなた。
卒業旅行でイタリアに行き、ピッティ宮殿でラファエロの≪小椅子の聖母≫に「会った」とき、懐かしい人というか憧れの人にあったような感覚がして、無意識に涙出てました。
あの感動は忘れられない。
「ああ、やっと会えた」って。
導かれたことも、ぐちゃぐちゃにされたこともあるワタシです。
じつはマユと絵の話は殆どしたことがないんだよね・・・
少しだけですが、不思議に思います。
こんどゆっくりのときやってみようと思うよ。
なかでもブリューゲルとパルミジャニーノとクリヴェッリが、特に好きです。
クリヴェッリはこの作品、ブリューゲルは別のバベルの塔を見たことがありますが、パルミジャニーノの作品は、実物を見たことがありません。『首の長い聖母』や『凸面鏡の自画像』は、いつかこの眼で見てみたいものです。
どれも全く見たことがなかったので新鮮です。
なかなか人の絵を見るという習慣が無いせいか、どうも画家の名前が覚えられません。
絵を眺めるのは好きなんですが、絵を眺めるものだと知ったのは結構最近です。昔からため息をつくように、愚痴をこぼすようにラクガキしていましたので。
そんな自分は言うなれば"絵に縋った人"なのかもしれません。
「やっと逢えた。」
この感覚はとてもよく判ります。そうして、美術屋さんたちにとっては、至極アタリマエの感覚であるということも。
何年か前、「あの絵に逢いに行くために、あの展覧会にはどうしても行かなくてはならないの。」という話を何気なくしたら、その「逢う」という語彙に驚かれた記憶があります。好きな仏像に対して「円成寺のあの人がね」と云うのも同じ。仏像にバイバイと手を振るのも同じ。
想いが凝りすぎて、いつしか絵は物質を脱却する。
>ヨーコちゃん
ヨーコちゃんとだけではなくて、不思議と美術史の面々とは、美術の話を(授業の内容はさておき)殆どしなかったものです。それは無意識に定められたルールのような気がしていました。
絵がすきだからこそ、それぞれの人の絵への向き合い方はきっと様々で、好きな絵も、好きな理由も様々で。
自分がそれを侵されたくないから、きっと他人にもそういう話をしないのだ、と勝手に想像していたのです。
>lapis さま
実は、ヨーロッパ未踏の私は、ここにあるすべてを見たことがありません。
だけど、ここに挙げられない沢山の好きなものがあって、その好き加減は恐らく概ね平等で、自分がいつかその実物を見られるか否かは、仕組まれた「出逢い」に拠るところなのかなと思っています。
勿論これら全てを、そしてもっと多くの色々を見たいけれど、躍起になってもきっと無理なんだろうな、というそれは不思議な気分なのです。
追)上野の西洋美術館で、パルミジャニーノのルクレツィアを見ました。
素敵な肌と、とにかく素敵な頬と、画面そのものがパリンと音をたてて割れそうな緊張感が素晴らしかったです。
ピーテル・ブリューゲルの手によるバベルタワーは、これのほかに赤い画面のバベルがあって、そちらのほうがもう少し塔らしく尖っていて、少しおどろおどろしい不穏を感じさせます。
この緑のバベルのページをめくった次に現れるのが赤いバベル、みたいな感じ。
会社のPCでかなり登場頻度の高い絵のひとつです。
「高みに登りたい。けれど、奢ってはならない。」
>レン玉
画家の名前は、絵をいっぱい見たあとでついてくるものなので、安心してください。同じ人の絵に何度も出逢ってやっと、「あ、この絵、前に見たアレに似てる。」とかなんとかの感想があって、やっと定着するものなのです。勿論、私でも。
かつて、クロッキー帳や小さな画用紙を必ず身の回りに置いていたことがありました。けれど結局、描きたい想いが描けなくて、いつしか辞めてしまいました。
だから私は、諦めて文字を使って絵を描く試みを続けるのです。
やっぱりそうだったんだね。
わたしの感じ方は、お互いを精一杯尊重している感じ。
それとか、人が好きがっているものにあれこれ口出ししては失礼な感じ。
わたしにだけだったのかもしれないけど、
あれこれ口出しする誰かさんもいたからさー。
それがわたしにはやっぱりダメだったのかも。
意味不明ですみません。