Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

人体の廃墟。

2004-10-23 | 徒然雑記
 廃墟から感じるもの。それは破壊。刷新。時間。生命の痕跡。死の痕跡。
同じような感覚を、自分の身体で感じたことがある。

4年ほど前だと思う。かなり逼迫した生活をしていた時期に栄養失調気味になったことがあって、とはいえ痩せてくのではなくて、口内炎が悪化して血が止まらなくなったりしたくらいだ。
だけども食事をするのも痛くてままならなくて困っていたところ、知人がお勧めのサプリメントを私にくれた。そして日々の適正摂取量を教えてくれた。普段は頑固な私もこういうときは大人しいもので、素直に友人の言に従いその場で封を開けて飲み始めたものだ。

 それから2日後のことだった。
朝目覚めると、脇腹と胸のあたりに、小さな紅い斑点が浮いていた。

アレルギー体質の私は、すぐに気付いた。
 ・・・薬疹だ。まずい。
すぐに皮膚科に駆けつけてサプリメントの実物を見せたところ、まずは摂取を取りやめて代謝をよくし、老廃物をなるたけ早く排出させてしまいましょうということで、肝臓機能をアップさせる飲み薬を貰った。こういうときは素直なので(もういいか)病院で水を貰って、早速飲んだ。

家に帰って15分。
激烈な嘔吐感が襲った。すぐに気付いた。
 ・・・薬への拒否反応だ。やられた。
指を喉に突っ込んで薬を全て胃から吐き出し、水をがぶ飲みして再度指を喉の奥へ。胃を洗浄する。
怒涛のような一日であった。
病院には明日また行くこととして、とにかく代謝を早めるためにできる限りの水分を摂取して眠りについた。

 翌日。
朝風呂に入ろうと服を脱いで、愕然とした。紅い斑が背中から二の腕にまで広がっている。
溜息をつくしか、なかった。

それから一夜明け、また一夜明けるごとに紅い斑は身体のすみずみを侵食していった。腕から手の甲、掌まで。背中から腰、足を覆って足の甲まで。
まるで、夜を越えて紅い雪が私の身体にしんしんと降り積もってゆくように・・
朝を迎える度、私は鏡台に向かって立ち、自らの裸を眺めた。この紅い雪に日々じわじわと冒されてゆく自分の肉体。自らの生命と全く別の意思を持つ紅い雪が私を取り囲み、覆い、もしかしたら私はこの紅い雪に埋もれて爛れ腐れてゆくのではないだろうかと。
果物が腐ってゆく経過、今際の際にこの上なく豊かに香り立つ一瞬を自らに重ね合わせ、自らが爛れ腐れるその経過を一瞬でも見逃したくなくて、嬉々として私は鏡の前に立ち続けた。

 自らの身体を廃墟に見立て、生きている完全な形が崩れ溶けてゆくさまを物凄い早回しで見ている錯覚。
その想いは恐怖であり、同時にまぎれもなく甘美な陶酔であった。


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3 コメント

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疑問 (nagaikin)
2004-10-26 03:14:59
果物が腐ってゆく経過、今際の際にこの上なく豊かに香り立つ一瞬を自らに重ね合わせ、>自らが爛れ腐れるその経過を一瞬でも見逃したくなくて、嬉々として私は鏡の前に立ち続けた。

>自らの身体を廃墟に見立て、生きている完全な形が崩れ溶けてゆくさまを物凄い早回しで見ている錯覚。

その想いは恐怖であり、同時にまぎれもなく甘美な陶酔であった。



僕は薬とかには比較的強いようで、こういった薬疹経験はあまりなく、全身に疹というものも記憶にないので、気持ちは理解しにくいのが前提です。



この心境は、真性のMなんでしょうか。それとも、その自らの体を見つめる非常な客観的視線からすると、極端なSの発露なんでしょうか。いずれにせよ、なんかじっとりしたものが、底の方から湧いて出てるような感じに見えるのですが。
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お目のつけどころが (マユ)
2004-10-26 03:34:47
いつもいつもなかなかに素敵で、嬉しゅうございます。



もともと私は身体が弱くて、アレルギーとか自律神経失調とか障害者手帳ギリの視力とか偏頭痛とか・・売るほどあります。

なのでまず、「元気」という感覚をあまり持っていません。朝起きて「今日は具合のおかしいところがないかな。」という確認です。妙に身が軽いと、逆に不自然さを感じてしまうくらい。



ですから「病は気から」とかいうのがなく、身体の痛みや具合悪さに対して結構な我慢はききます。

あくまで、それは心の我慢であって、きっちり倒れることは倒れるんですけどね。



そういう前提のもと、自分の肉体の感覚というものには通常の人々より敏感だと思います。物質的自意識とでも名づけておきましょうか。肉体の具合悪さや不調を感じながら、客観して眺めていることができる。しかも、それがときに楽しかったりいとおしかったりする余裕がある。以前も書いたことがあるけれど、痛かったり不愉快だったりする感覚こそが「生」であるから。



ならば、「生」は「性」でもあって、「生」があるなら「死」を想う。それは、畢竟世界の全てではなくて?

それを哲学や思想の中でなくて、自分のカラダが体現してくれているという不思議な悦び・・

私は真性の自虐系Mですから(笑)

真性だから、あくまで行為でなくて、精神構造が、ね。

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僕はSですから (nagaikin)
2004-11-02 00:42:59
精神も行為もね・・・爆



自分の体の痛み、変調等に対しては、実は無自覚、というか痛覚が鈍いんではないかなと思うこともあるくらいです。が、食が細っていることや不規則な生活のため、他人には不健康そうに見えるらしいです。



カッター等で手を切ってしまったとき、昨年、4針縫う程度の軽度の切り傷つけちゃったんですが、血が噴き出しながら、時折、真っ白ともいえそうな肉が見えてるのを眺めるのに、秘かな快感を覚えはしましがね。不思議と痛みは感じなかったんです。これは“手”のことですから、“目”の立場からすると、ある意味客観的視点なわけです、元来。そういったことで、物質的自意識とは言えないなと思います。

難しいもんで、痛みを感じる時、人には客観的になれる余裕は普通はないんでは、と思うんです。それはやはり独特の世界にいるということなんだろうと思います。
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