Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

調和手帖。

2005-12-27 | 徒然雑記
 12月も半ばを過ぎてクリスマスやらお正月やらのどさくさに街が浮き足立つ頃になると、僕は必ず銀座の人波の中に飛び込む。ITO-YAで来年の手帖を買うのが毎年の儀式のようになっているからだ。そして毎年、決まってQUO VADISの手帳を買う。

もう何年続けているのだろう。周囲の奴らは大概システム手帳というでっかい本のような手帳を持ち歩いている。だからコンパクトな手帳を愛用する僕を見て、女の子みたいだと笑われることもしばしばだ。だけど起きている時間の8割は会社に居るわけだし、大切な予定の8割は仕事絡みのものであるのだから、大概の予定は社内PCの中に入れておけば事足りる。手荷物は身軽であるに越したことはないのだから、今年も僕はいつも通りに小さいほうからふたつめのサイズの手帳を買った。

今年ようやく休みが取れた日はクリスマスで、阿呆のように混雑しているITO-YAの中でぐるぐるともつれながら、なんとか手帳を購入した。そして購入したことに満足してしまって、その袋を2日も放ったらかしにしておいた。

真新しい手帳を最初に開いて、最初の予定を書き込むのは気持ちいい。
今日になってやっと、さぁ年末の予定でも書き込もうかと思って封を開いた。
だけど、今年の手帳はどこか様子が違っていた。
クリスマスの日のところに【手帳購入】と書いてある。
新品のはずなのにおかしいな、と思って他の日付をぱらぱらとめくってみる。すると、翌日の日付のところには【届けもの】とあり、1月には6日から9日まで矢印が引っ張ってあり【旅行】だと。確かに僕は年明けにスノボにでも行こうかなぁと漠然と考えたりしていたけれど。3月の24日には【桜の開花】とある。ご丁寧だ。

なんだか調子が狂うなぁ。誰かの悪戯書きオプション込みのものを買ってしまうなんて僕の年末はアンラッキーだ。いやもしかしたら、来年までまとめてアンラッキーかもしれない。はあぁと大きな溜息をついたままベッドにうつ伏せになり、そのままその日は眠ってしまった。


 翌日は大変だった。忘年会で愉しんでいたところに上司から電話があり、「年末に目を通しておきたいから、報告書の草稿を持って来い」とのことだ。うへぇと思ったが渋々タクシーを飛ばして会社に戻り、未完成の報告書のコピーを渡した。
そのせいで、なのかそのお陰で、なのか。
いつもはあまり直接的な個人指導をしない上司が、僕の報告書の作成癖や言葉遣いなど事細かに指摘してくれた。それは大層有難く有益なアドバイスで、他の社員が居ない席で僕だけがその貴重な指示を受けることができたという嬉しさがあった反面、手元にある未完成の報告書に大幅な手直しを加えなくてはいけないことでもあって、これはスノボどころではないかも・・と心の中で苦笑せざるを得なかった。

深夜2時に帰宅し、報告書作成のノルマを組み直さないといけないぞ、と思って真新しい手帳を開いた。すると、ある意味では至極当たり前な状態である空白のページが僕の目を釘付けにした。

あれ、1月第一週の予定がなくなってる。昨日見たときは、誰かさんの落書きによると僕は旅行のはずじゃなかったっけ?
1枚戻して、今日の日付の所にはやっぱりある、【届けもの】。
あ、そうか。もしや。

今日の出来事によって直近の予定が狂って、報告書作成に邁進しなくてはならなくなった僕は旅行に行っている場合ではなくなったということか。じゃぁこれって、書かれっぱなしじゃなくて、日々の暮らしぶりによって変化するということ?
確かめてみたいところだが、まだ僕は自らこの手帳に予定を書き込んでいないし、さすがに殆どのページが空白だからそうもいかない。取りあえず、1月6日に【報告書提出】と自分の手でひとつめの予定を書き込んでみた。
自分が書き込む予定が勝手に延長されて締め切りを破ってしまうことのないように、今後とも心して監視を続けなければならない。予定の監視だなんて、何だか愉しいことになってきたぞ。

一応、と開いた【桜の開花】は26日になっている。寒波が厳しくて遅れたのだろうか。更に2枚めくると、4月5日には【桜見】とある。
平日ど真ん中なのに、僕はどこかで桜を見るつもりでいるらしい。