雨の日にはJAZZを聴きながら

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Kim Pensyl  『 Pensyl Sketches #1 』

2006年11月25日 23時47分43秒 | JAZZ
Kim Pensyl (キム・ペンシル)というキーボーディストをご存知でしょうか。1980年代以降に頭角を現してきたフュージョン・キーボーディストの1人ですが,同年代のジェフ・ローバーやデビッド・ベノワらに比べて知名度が低く,知る人ぞ知る存在と言ってよいでしょう。

昔,僕の頭の中ではジェフ・ローバー,デヴィッド・ベノワ,キム・ペンシルの三人は横一線の同格扱いだったのですが,いつの間にかジェフ・ローバーはスムース・ジャズ系の大物プロデューサーに昇格してしまい,デヴィッド・ベノワも今やGRP Recordsの看板アーティストです。それに対してキム・ペンシルは「あの人は今」状態。僕も今回記事を書くにあたり彼のホームページを見て初めて近況を知った次第です。

僕が初めてペンシルを聴いたのは1989年か90年のことでした。当時はまだセゾングループのWAVE(現在はノジマ傘下)が西池袋の西武百貨店に入っていたのですが,そのWAVE店内で流れていたのを聴いて一目惚れ。打ち込みのリズムセクションにヒューマンで爽やかなヴィブラフォン系のシンセ。LA の香り漂う新鮮な音でした。

キム・ペンシルはオハイオ州コロンバスの生まれ。年齢の記述はありませんが,おそらくジェフ・ローバーらと世代的には同じでしょうから1950年代の生まれでしょう。幼少期にテレビ番組のバックで流れていたハープ・アルパートを聴いて音楽に開眼。始めは中学でトランペットやエレキベースを演奏していたようですが,両親がピアノを弾いていたこともあり高校からはピアニストとして活動を開始し,後にアレンジや作曲も手がけるようになったようです。

彼のデビューアルバムは1988年の 『 Pensyl Sketches #1 』で,ロサンジェルスのマイナー・レーベル Optimism Records からリリースされました。その後クリスマス・アルバムをはさんで1990年までに 『 Pensyl Sketches #2 』, 『 Pensyl Sketches #3 』の計4枚のカタログを同レーベルに残した後,1992年にはGRP Records に移籍を果たし1994年までに4枚のアルバムを制作しました。しかし1994年には GRPを離れ,Shanachie Recordsに移籍し2枚のアルバムを制作。1998年には Fahrenheit Records に移籍しそこでも2枚を制作。そしてその後はずっと録音の機会に恵まれず,2004年にやっと自主制作盤を1枚制作するに至っています。こうしてみるとGRP Records を離れてからはミュージシャンとしてあまり恵まれていたとは言い難い生活を送っていたことが想像されます。

彼の作品群の中で,最も彼の個性が際立っている作品は,初期のOptimism Records に記録された『 Pensyl Sketches #1 』,『 Pensyl Sketches #2 』,『 Pensyl Sketches #3 』であると思っています。その後のGRP Recordsからの作品は手が込んでいるけど,冴えない匿名的なライト・フュージョンに変貌していて聴くに耐えません。

1990年代前半はまさにフュージョン全盛期。GRP Records が最も隆盛を誇っていた時期でした。そんな時期にGRP Recordsと契約したペンシルへの同社の期待は大きかったと思います。同社は彼の個性的なサウンドを綺麗なドレスで覆い, いかにもGRP sound といったサウンドで売り込んだのです。しかし思ったほどのセールスが上げられずたった3年で契約打ち切り。GRPに使い捨てられたも同然でした。解雇された1994年といえばちょうどデイブ・グルーシンとラリー・ローゼンがGRP Recordsを去って,代わりにトミー・リピューマが社長に就任した年でもあります。もしかするとリピューマとの確執もあったのかもしれません。

僕がペンシルをフォローしたのは1994年の『 When You Were Mine 』までです。それ以後のアルバムは聴いていないのであまり参考にはならないかもしれませんが,彼の音楽をこれから聴くなら,まずは 『 Pensyl Sketches #1 』 か 『 Pensyl Sketches #2 』 が最適です。と言うか,この2枚で十分かもしれません。中古店やネット・オークションでかなり安く手に入ると思います。打ち込み系の音楽で僕が感激したのは,ペット・ショップ・ボーイズとこのキム・ペンシルだけです。