雨の日にはJAZZを聴きながら

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American Clave / Anthology

2008年11月28日 05時39分34秒 | JAZZ
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一週間ほど前に、渋谷のジャズ・カフェ 『 メアリー・ジェーン 』 に立ち寄った際に店内で流れていた音楽、それが American Clave ( アメリカン・クラヴェ )の 2枚組コンピレーションCD 『 Anthology 』でした。

最近はこの種のオルタナティブというかアンダーグラウンド・ジャズを滅多に聴かなくなってしまったので、 段ボールに仕分けて物置部屋の奥の方に放置していたのですが、メアリー・ジェーンで聴いていたらムショウに懐かしくなり、一昨日、段ボールから探し出して聴いて、夜な夜な独り悦に浸っています。

アメリカン・クラーヴェなんて俺は知らん、という方もいらっしゃると思いますので、簡単に説明しておきます(と、言っても、僕もほとんど知りませんが)。

アメリカン・クラーヴェは、NY のアンダーグラウンド・シーンの鬼才、キップ・ハンラハンが1980年に創立したレーベルです。1954年NYラテンの中心地、ブロンクスで生まれたハンラハンは、幼い時からパーカッションに慣れ親しみ、のちにインド、ガーナ、バリなどを巡りながらその土地のリズムを吸収していきました。さらに70年代に入ると、ジャン=リュック・ゴダールやテオ・マセロに師事し、映画や音楽プロデュースについて多くを学んだといいます。70年代末には映画制作を企画しますが、予算不足のため断念。よりローバジェットで実現可能な音楽の制作に興味を抱くようになっていきます。そしてついに1980年にアメリカン・クラーヴェを創立しました。

アメリカン・クラーヴェが提示する音楽は、ラテン・パーカッションをベースとして、そこにジャズ、ファンク、R&B、ノイズ、ポエトリーなどの要素を取り入れた「脱ジャンル音楽」です。一応、キップ・ハンラハンの一連の作品は、レコード店ではジャズのコーナーに仕分けられていますが、この音楽をジャズと呼んでよいかどうかわかりません。ただ参加ミュージシャンを見渡すと素晴らしいジャズ・ミュージシャンが名を連ねています。ドン・ピューレン、カーラ・ブレイ、スティーブ・スワロウ、アート・リンゼイ、デヴィッド・マレイ、アラン・トゥーサン、レスター・ボウイ、エヴァン・パーカーなどなど (ロバート・ワイヤットやジャック・ブルースなんかも参加している作品もある)。

パーカッションを核にしたNYラテンと言ってしまえば簡単なのですが、ハンラハンの音楽には他の誰とも似ていない異質な輝きを放っています。しなやかで繊細な感性をもったハンラハンは、常に社会に対する不条理、音楽業界のマジョリティーに対する怒りなどを静かに内に秘め、そのエネルギーを自らの音楽に転換していったのです。NYの街の、しかし決してビジネスマンが行きかう昼間の表通りではなく、排水溝から立ちのぼる生臭い悪臭がただよう薄暗い路地裏に息づく耽美でクールなラテンの響。彼の音からはそんなイメージがリアルに思い描けます。

彼は多くのアーティストをプロデュースしてきましたが、その中でも最も評価されているのが、タンゴ界の巨人アストル・ピラソラの作品です。ハンラハンがプロデュースしたピラソラの作品には、『 Tango Zero Hour 』( 1986 ) 、『 The Rough Dancer and The Cyclical Night 』 ( 1988 ) 、『 La Camorra : The Solitude of Passionate Provocation 』 ( 1988 ) の3枚があります。この3枚によりヒラソラ自身の評価もより一層高まりました。一番人気はやはり最初の『 Tango Zero Hour 』でしょう。当初はアメリカン・クラーヴェからリリースされたこれらの作品も、のちにワーナーから発売されるようになり (ハンラハンがお金に困って、版権を譲渡したのでしょうか)、04年のワーナーのジャズ部門閉鎖に伴い、現在はノンサッチから発売されています。

そんなわけで、アメリカン・クラーヴェは決して多くのカタログを所有するレーベルではないのですが、何から聴いたらよいのか分からないという方には、この2枚組コンピレーションは最適です。サンプラーという体裁はとっていますが、実は80年代のハンラハンを短時間に俯瞰し、理解することのできる作品として貴重だと思います。

実を言うと、最近のハンラハンならびにアメリカン・クラーヴェの活動については全く知りません。僕がアメリカン・クラーヴェに興味を持ったのは2000年に発売された村井康司氏の著書『 ジャズの明日へ 』 ( 河出書房新社 )で紹介されていたのがきっかけで、その頃に熱病にかかったように夢中で聴き漁ったのですが、その熱もすぐに冷めて、最近はその存在すら忘れていました。結局、キップ・ハンラハンの扉は開けたものの、その中に奥深く入りこむことはできなかったです。今ならあの頃とはまた違った理解の仕方ができるかと、今回針を落としてみましたが、やっぱりある一定のところから先には惚れ込めない何かがあるのですね。40代半ばにして理解できないものが今後、理解できるようになるとは到底思えず、やっぱりこの種の音楽は僕にとっては永遠の越境音楽なんだろうなぁ、と溜息をついている次第です。


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