な~んにもない

もう、わけわからんわ。

太陽は内にあり

2020-08-17 08:43:31 | 日記

今日もジリジリと気温が上がってきている。

少し動けば汗がにじみ出てくる。

身体も使ってやらないと退化する。気にせず進め。





猛暑だから無理はするなという。

コロナ禍なのだから自粛すべきだという。

そして結果が残せなければ、同情されながら「一般論を言っただけ」と叩かれる。





弱い自分を抱えながら、駄目な自分を引き摺って、矛盾の刀の上を今日も歩く。

何度考え直しても、今の事すらわからない。

能力なんて言い出したなら、一歩たりとも動けなくなる。




生まれてきたことに絶対的な意味がない様に、明日も生き残っていける確固たる根拠なんてない。

それでもこんな私を信じてくれて、付き合ってくれる仲間への感謝を思えば、

誰がどんな失敗をしても続けることが出来るなら、もっともっと自分自身と対峙する空元気くらい出さなきゃって思うだけ。

六文銭すら持てずとも、どうせいつかは川を渡らねばならないのだから。
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青空に合掌

2020-08-16 11:34:56 | 日記


昨日から明日の仕事準備を開始した。

カレンダー上、仕方ないとの思いもあったけれど、

まだお盆も明けないうちから・・・

との思いは消えなかった。




そこで、昨日はやり残しがないようにと、
通常の仕事終わり時間までかけてやった。

そして今日は朝から予定していなかった義父・義母のお墓参りに行った。

花を買おうとスーパーへ行くと9時ではまだ開いていなかった。

やむを得ず、お布施込み価格の供花を購入し手を合わせた。




好天に恵まれたので、田舎へも戻った。

来週のどこかでやろうと考えていたのだが、御盆のお供え物を地中へ埋めた。

猪が掘り返すので、そこそこの重労働となる。

手を合わせ、お盆の船に乗せて川へ流していた時代が懐かしい。





きっとやり残しがあるだろうから会社へ戻ろうと考えたけれど、止めた。

当然明日はやってくる前提で過ごす日は、迎えに行かずともまた始まる。

メディアは「当たり前なんてない」と平和の尊さと危機を、今年も予定通りに伝えた。

ミサイルや核兵器に化学兵器に加えて、情報に包まれた弾や矢が飛び交う中へ
また身を置く事になるんだな。




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暑さを切る

2020-08-12 18:45:25 | 日記

汗をかく機会が増える季節。

短めに髪を切ってもらった。

見るからに暑苦しい入道雲の出っ張りも切ってやりたいと思ってみたが、
よくみると下部はもう既に綺麗に揃えてあった。




散髪に行く楽しみは、顔剃りにある。

大抵チェーン店に行くので、ほぼ同じ人に剃ってもらうことがない。

若干の不安からくる緊張、
刃が当てられていき、短く伝わってくる骨への振動、
熱過ぎの一歩手前な温度のタオル。




情報から解放され、虎ファンではあるけれど、俎板の鯉気分。

実にいいリセットになる。

散髪後はそぞろ歩く。




忘れてしまい事や祈るより他ない事。

人混みや情報を避けて歩いた筈が、汗と共にすぐにやってくる。

水風呂にでも入ろうかな。



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夏のため息

2020-08-11 08:37:20 | 日記
かる~い二日酔い。

昨夜は息子とテレビゲームに興じた。

アルコールもすすみ、布団に吸い込まれるように眠った。




腰痛と肩痛が目覚まし時計。

痛みくんに身体を起こされ、ぬるくなった湯に身を浸けて、
冷やしておいたいつものコーヒーを飲んだ。

あまりうまくない。

足りない時にと用意した水を飲むと、音を立てて染み込まれていくのがわかる。




窓を開け放つ。

熊蝉も近くで鳴いたり、遠くで鳴いたり。

野鳥の甲高い声も。

目を閉じれば立ち眩みのような感覚。

ハエやアブの羽音が侵入してきたが、痺れるような感覚に身を任せる。




すっかり黒ずんだ心の傷も、青木・伊丹だと思い込んで青春している。

お盆なのだから命を感じようとすると、
どうしても、自意識が邪魔に感じてくる。

夏の盛りも短いが、熱気は簡単には消えない。

今日は夏の草刈り最終日。






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人間の進歩?と調和?

2020-08-06 07:54:19 | 日記


あれから75年。

いつも戦争末期は一方的な暴力的殺戮が行われる。その象徴、原子力爆弾。

いつも歴史は勝者の正当化から始まる。その象徴、グローバリゼーションという名の米国的価値化政策。




8時15分。キノコ型暗雲ゴーストとともに眩いばかりの光を放ち、パンドラの箱は開けられた。

戦後の支配図を描き始めていた人達は、毒キノコのその威力に魅了された。

来るべき冷戦を知っていたのか、もう一種類の爆弾の最終確認が即座に行われていた。




多くの日本人の生命とそのあらゆる財産を奪っていった憎き核爆弾。

その抑止力と廃絶。未だこの矛盾に終止符は打てていない。

敗戦国のレッテルは容易には剥がれないが、時の経過とともに風化しつつはある。





時代は抑止力を原子力だけに求めるのではなくなっている。

新型コロナウィルスは、SARSの時にも言われてたことではあるが、生物化学兵器開発上の事故とも言われている。

戦争は人間の数を増えすぎないようにするための、神が仕組んだ調整弁か。

自然にやさしくする意識が高まるにつれて、人間社会は野生・自然・天然とは乖離していくし、小さな生態系は人間抜きにしないともう成り立たない。

人間は本当に進歩できるんだろうか。調和とは空気を読み合うなれ合いの事なのだろうか。
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