この道標は神護景雲元年(767)の創建と伝えられる「立木神社」の境内に移築されたものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/6c/4184acc6db5d95a928e3f5dc4048b098.png)
やはり草津市指定の文化財で草津市教育委員会の説明板にによると、延宝8年(1680)に建立されたもので県内最古の石造り道標だそうです。
刻銘は
(南面) 伊勢太神宮 延宝八庚申年
(カーン)七ヶ年中履行月参詣願成就所 みぎハたうかいとういせミち 山城愛宕山 十一月吉日
(西面) ひだりは中せんたうをた加みち 京みぶ村 万宝院 あしだの行者
とあり、現在の追分道標の前身であったもので、建立の背景は、京都壬生村のあしだの行者万宝院と言う人物が、伊勢太神宮と山城愛宕山(愛宕神社)への七年間毎月の参詣成就を記念、感謝して建てられたものと推定されます。
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やはり草津市指定の文化財で草津市教育委員会の説明板にによると、延宝8年(1680)に建立されたもので県内最古の石造り道標だそうです。
刻銘は
(南面) 伊勢太神宮 延宝八庚申年
(カーン)七ヶ年中履行月参詣願成就所 みぎハたうかいとういせミち 山城愛宕山 十一月吉日
(西面) ひだりは中せんたうをた加みち 京みぶ村 万宝院 あしだの行者
とあり、現在の追分道標の前身であったもので、建立の背景は、京都壬生村のあしだの行者万宝院と言う人物が、伊勢太神宮と山城愛宕山(愛宕神社)への七年間毎月の参詣成就を記念、感謝して建てられたものと推定されます。
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