湖国の住人

滋賀県に来て35年。まだまだ知らない湖国の自然、歳時記を日常の出来事、たまに生まれ故郷西条市、西条祭りの事も交え綴ります

自分の修学旅行では・・・

2009-05-25 23:11:15 | 建築物
先日、所用で京都に行った時、ちょっと時間が空いたので自分が中学校の時の修学旅行では行かなかった『慈照寺』へ行ってみました。



しかし、人影が疎らな様子?そうか、観音殿(銀閣)の修復工事の真っ最中と、新型インフルエンザの影響で修学旅行のキャンセルが相次いで居るのがその原因か?



修学旅行キャンセルは10万人にも達し損失額が20億円にものぼり、観光都市京都にとっては死活問題の旅館も・・・



京都市の門川大作市長の舛添要一厚労相への嘆願が実ることと、このインフルエンザの猛威の終息を祈りたいものです。





で、二年間もの期間をかけての観音殿の修復は、逆に言えば滅多に見られない風景なのでラッキーなことと、ちょっとだけ撮って来ました。





なんともまあ!ハンチングも和のテイスト・・・



哲学の道では人力車の車夫さんが暇そうでしたわ。

中止相次ぐ

2009-05-24 23:40:39 | 滋賀県内の情報
新型インフルエンザが滋賀県内でも発症者が出て、ことごとくいろいろな催しが中止されてます。



その中の一つ守山市では『第6回守山ほたるパーク& ウォーク』も中止になりました。
せっかく楽しみにしていた『真依子さん』の『overflow SPECIAL 「ほたるを呼ぶコンサート」』を見られなくなったのが残念です。



栗東市では旧和中散本舗をはじめとする「梅ノ木立場」一帯をあかりで演出する『東海道ほっこり灯路 ~梅ノ木立場あかりの演出2009~』が23日と24日に開催される予定だったのが中止されたのです。



嗚呼~!予定が狂ってしまったので家で大人しく我が家の花を撮ったのを載せときますわ。
昨年末に『花ハウスさん』の所で購入した、ビオラ、パンジーがまだまだ咲き続けてますのでペチュニアの購入を躊躇ってます(汗)



新型インフルエンザ騒動、はよう収まってクデイ!来週末は『2009年 八日市大凧まつり』が有るんやぞ~!

湖国は春祭りが目白押し~近江八幡の火まつり~篠田の花火

2009-05-23 17:39:13 | 歳時記
もう一丁!

近江八幡市上田町にある『篠田神社』で5月4日に行われる『篠田の花火』は、「左義長まつり」、「八幡まつり」とともに「近江八幡の火祭り」として国の選択無形民俗文化財に指定されています。
江戸時代に雨ごいの返礼として、硝石で花火を作り奉納したことに始まる、と伝えられる篠田の花火は、今では珍しい硫黄・硝石・桐灰を調合して作る和火薬を板に描いた絵柄に塗りこむ仕掛花火です。





夜7時頃、太鼓につづいて大松明が宮入し、篠田神社の境内にたてられますが、その前に全国から奉納されたその年の新作花火や手筒花火などが披露されメインイベントを盛り上げてくれました。













午後9時過ぎに高さ約15メートル・幅約25メートルの大きさの、毎年、違った題材の絵柄が描かれた、仕掛け花火は奉火され、その瞬間、周囲はものすごい爆音と炎、そして煙に包まれます。



その時私は境内の外に居たのでこんなんしか撮れませんでしたが煙がおさまったあとに浮かび上がる蛍火のような幻想的な花火絵柄は、まさに夜空に輝く芸術品と呼ぶにふさわしいものでしたわ。



仕掛花火が消えると、最後に大松明が奉火され、夜空を赤々と焦がし祭りもクライマックスを迎えるのです。



大松明の火も収まるとその後は厳かに神事が始まり、華やかで豪快な火祭りも終焉となりました。

何処の祭りを見に行っても思うこと・・・アア参加してみたい・・・

湖国は春祭りが目白押し~厳粛かつ勇壮~日野曳山祭り

2009-05-23 17:20:43 | 歳時記
嗚呼五月ももう後半、早くアップしとかなっと!

蒲生郡日野町馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)』春季例大祭『日野祭り』は、3月の中旬頃から何らかの準備が行われているそうですが、5月2日から4日にかけて2日(宵山)・3日(本祭)4日(後宴祭)がメインイベントのようです。





早朝午前7時30分頃、日野祭の一切の運営を取り締まる「神調社(通称:芝田楽)」が神子三人を警固しつつ、上野田にある五社神社を出発し本通りを進み午前8時30分頃に大宮に宮入をします。



宮入後、本殿において「本殿の祭典」 「渡御の儀」が行われ、これが済むと拝殿神輿前で 宮司と三人の神子との間で「御幸の杯の儀」が 行われます。





その間、馬見岡綿向神社境内には曳山が宮入し今年は十六基曳山の内、七基が宮入したのが見られました。
四輪構造の曳山車は彫刻や幕類は豪華で歴史を感じるものばかりで、近江日野商人の繁栄を垣間見た気がします。
面白いのは曳山車の上にいろいろと飾り物がしてあるんですが、「だし」と呼ばれ毎年趣向をこらして作られるそうです。
今年は『オバマ大統領』と『天地人』が2台づつと被ってしまってましたわ(笑)





神事が終わると神子を先頭に午前中に「ひばり野」と呼ばれる旅所に渡御行列が出発します。



また、綿向神社の三柱の御祭神を乗せる神輿は三基あり渡御行列に続き出発します。
今回は午後の様子を見ずして帰ってきましたが、湖東、最大の日野祭は厳粛かつ勇壮であり、八百年の歴史をひしひしと感じさせるものでありました。

2006年に見に行ったのは午後からだったので次回は宵宮を見てみたいものです。

藤の雨~藤の寺・正法寺

2009-05-15 23:49:42 | 史跡、句碑、道標、社寺
蒲生郡日野町鎌掛(かいがけ)にある『正法寺』(しょうほうじ)(臨済宗妙心寺派)は、近江鉄道日野駅の南東約5.3km、正法寺山(361.8m)の麓にある寺院です。



一般には、鎌掛の藤寺として広く親しまれています。



本尊の十一面観世音菩薩は、33年に一度の開帳がある秘仏であり、鎌掛(かいがけ)の里では昔から安産の守護仏として深く信仰されています。



また、本堂横のすぐ山手には、国の重要文化財に指定されている石造宝塔もありますが、生憎の雨の中の藤見でその辺りの見学は出来ず仕舞いでした。



藤の花と見物客の傘がうまくマッチングして、まるで藤の雨が降っているようでした。





この画像は5月6日の物ですのでもう見れないと思いますが、ここの下にある『日野ダリア園』の牡丹・芍薬はまだ見ることが出来るんじゃないかしら?

湖国は春祭りが目白押し~海津力士祭り

2009-05-13 22:07:22 | 歳時記
高島市マキノ町海津にある『海津天神社』の御祭神は菅原道真公で、1191年の勧請と伝えられています。正面には3社が祀られ、中央が天神社向かって右の大鍬社(祭神大己貴命)、左の小野社(祭神天押足彦命)と鎮座しています。



その海津天神社で4月29日に行われる春の例大祭は『海津力士祭り』と呼ばれて居て、海津港が北陸から京都への塩や米の輸送基地として賑わった約300年前から始まったといわれています。



その当時、回船問屋で働く若者たちが神社境内の草相撲で豪華な化粧まわしをつけて力を競い合ったのが起源とされ、それで今も若者たちが化粧まわしをつけてみこしを担ぐのが慣例になっているのだそうです。



海津力士祭りでは2基の神輿のが午後1時頃神社を出て、それぞれの神輿は色とりどりの化粧回しを身につけた若者たちにより海津、西浜の各地区をまわるのですが、私が海津天神社に着いた時には既に出た後。



この日は快晴に恵まれ青い空、新緑の山々に神輿と化粧回しが映えて絶好の祭り日和でした。 
私も結構晴れ男かしらね(笑)



海津力士祭りは夜の宮入が見ものだそうで、『おねり』と称して神社の境内を何度も何度も回り、神輿を一気に持ち上げてその後は肩に乗せて腰を落とす様子はさながら力士が土俵入りで四股を踏む姿に似ています。



祭りのクライマックスは『おねり』を何度も繰り返した後、神輿を二基とも社殿前に担ぎ上げて終了となりました。 





普段は静かなこの界隈も、この日ばかりは、祭りばやしのかねや太鼓が元気よく響き、人出とともに賑わいを見せた一日でした。


『こんぜ鳴谷 棚田の明かり2009』

2009-05-11 00:05:47 | 写真、カメラ
今日は急いでアップしましたので見てやってください。





金勝山県民の森に至るまでの棚田で、一日限りの催し『こんぜ鳴谷 棚田の明かり2009』を撮ってきましたよ。





栗東市荒張地区のご有志の方々のご尽力で、代かきを終え水を張った棚田の畦道に、蝋燭を灯した行灯が並べられ、棚田が幽玄世界を醸し出して居ましたわ。





さてフィルムの方はどんなもんに撮れてるか・・・RITTOフォトコンはフィルムオンリーですからねぇ。

湖国は春祭りが目白押し~水口曳山まつり

2009-05-10 08:29:35 | 歳時記
甲賀市(こうかし)水口町の『水口神社』の例大祭は毎年4月19、20日に行われます。



その『水口曳山祭り』は江戸時代中期に町人の力によって創り出された祭だそうです。





『水口神社』の祭礼行事として享保20年(1735年)初めて曳山が曳き出され、町内に現存する山鉾は16基と県下では最多で(日野祭りと同じ数)、県の無形民俗文化財に指定されているそうです。



そして曳山の中で囃される水口 ばやしは変化に富み、力強く祭を一層盛り上げます。





4月19日は「宵宮祭」で、水口神社では御輿が神楽殿に掲げられ、各町内では曳山に提灯を飾り付けて宵宮ばやしを奏で、祭気分を盛り上げます。



4月20日の「例大祭」は、朝に各町内を出発した曳山が弟殿に集まり一同が打ちそろって水口神社への巡行が行われろそうです。
午後からは「御輿」の渡御が行われ、夕刻には曳山は提灯に火をともして各町内へ帰っていく「帰り山」が美しいそうですが、20日は平日だったので見られなかったのが残念です。

湖国は春祭りが目白押し~近江八幡 左義長まつり

2009-05-09 23:35:07 | 歳時記
湖国は春祭りが目白押しです。
特に黄金週間に集中して開催されるので何年か越しに見に行くしか有りませんわ(苦笑)
今年見に行った湖国の春祭りを順次アップして行きたいと思います。



まずは湖国の春を告げる近江八幡市の『日牟禮八幡宮 左義長まつり』は3月14、15日に執り行われる滋賀県の奇祭の一つです。



全国的には1月に左義長を行っている地域が多く、近江八幡の左義長まつりも江戸時代には1月の14日・15日に執り行われていたようですが、明治時代に入ってからは、太陽暦の採用に伴い3月に変更され、昭和40年代からは3月14・15日に近い土日曜日に開催されるようになったそうです。



近江八幡の左義長は元来、安土城下で行われていたもので、城主であった織田信長自らも踊り出たと伝えられているそうです。
 織田信長亡き後、八幡城下に移住してきた人々は、既に4月に行われていた八幡まつりに参加を申し入れましたが、松明の奉火場所が無く、また新参とのことで断られたため、これに対して、安土で行われていた左義長まつりを始めたことが起源とされているとも伝えられているそうですね。



左義長は松明、だし、十二月(赤紙)の3つの部分を一本(基)にし、前後に棒を通し、つり縄で括り固め御輿のように担ぐように作り上げます(これ全体を左義長と呼びます)。前方となる正面に「だし」と呼ぶ作り物は意匠を凝らし、時間をかけ経費を惜しまず各町の誇りをかけて制作されるそうで、この素材が、穀物「大豆、黒豆、小豆、胡麻 等)や海産物(鰹節、昆布、するめ、干魚 等)の食物を使って、その素材の色を活かして作り上げることが大きな特徴です。



左義長を担ぐ人々は口々に「チョウヤレ・チョウヤレ」と「マッセ・マッセ」と声を発しています。前者は「左義長さしあげ」後者は「左義長めしませ」からこのような掛け声になったものだそうで、15日の夕方、宮入する左義長山車は白雲館前で制限時間いっぱいまで観客に見せるため「マッセ!マッセ!」の掛声と共にへとへとになりながらも廻し続けてました。



その後5基の左義長山車が境内に揃うと、午後8時一斉奉火をして五穀豊穣、無病息災を祈願し、観客と共に二日間の左義長祭のクライマックスを迎えるのでした。
残りの左義長山車も順次奉火され、深夜まで名残を惜しみながら祭りは幕を閉じるそうです。



また、近江八幡には4月14、15日に『八幡まつり』、5月4日に『篠田の花火』が開催され『近江八幡の火祭り』と称し、国の無形民俗文化財に選択され春の3大火祭りはまだまだ続きが有りますよ。



祭りは、その地域の伝統や歴史を表すだけでなく、世代交流や文化の伝承という大切な役割を果たしていますねぇ。
それがここの祭りでも感じ取られ、参加するもの、見物するもの、いずれの立場であっても忘れている大切なものが見つかるのでは無いかと思いました。

皆様お待たせしましたね。(待ってへん!待ってへん!)一部(大分)社団法人 近江八幡観光物産協会さんの情報をお借りしました事をお断りしておきます。