追分道標から草津川沿いを三百メートルほど東へ行った草津川堤防上にある「横道道標」です。造りは追分道標と同じ石造り火袋付き道標で、日野の豪商中井氏の寄進によって文化13年(1816)に建てられたものだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/37/852d8c3be2d657bc6644d5f209b9e192.png)
総高3.9メートルで竿には「右金勝寺志がらき道」「左東海道いせ道」と刻まれかつては道を挟んだ北側にあったと言うことです。(金勝=こんぜ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/d7/86c65f3aaa42f2980c85f175cb8d7ab1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/4e/f7560cb0a98b8c98ec0f946580bf0eef.jpg)
そしてここで普段は水の無い草津川を渡っていたらしいですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/8b/8d9b309cb5c926869388c33f80934bcb.jpg)
この草津川、集中豪雨があるとすぐに濁流が流れ、雨が上がるとすぐに水かさが減る天井川でしたが、ここから五百メートルほど上流の金勝川合流地点で新草津川放水路に流れを変え今は全く水の流れない川になりました。
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総高3.9メートルで竿には「右金勝寺志がらき道」「左東海道いせ道」と刻まれかつては道を挟んだ北側にあったと言うことです。(金勝=こんぜ)
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そしてここで普段は水の無い草津川を渡っていたらしいですね。
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この草津川、集中豪雨があるとすぐに濁流が流れ、雨が上がるとすぐに水かさが減る天井川でしたが、ここから五百メートルほど上流の金勝川合流地点で新草津川放水路に流れを変え今は全く水の流れない川になりました。