湖国の住人

滋賀県に来て35年。まだまだ知らない湖国の自然、歳時記を日常の出来事、たまに生まれ故郷西条市、西条祭りの事も交え綴ります

芸術の秋?食欲の秋?

2005-10-31 23:58:22 | 日常の出来事
30日大阪なんば高島屋で開催されていた「二科黄金の時代展ー二科を彩った精鋭作家たちー」の特別展を観に行ってきました。
第一回から昭和前期までの二科展に出品された作家の日本近代洋画の歩みをたどる展覧会で、「創設期」「大正期」「昭和前期」にそれぞれの時代に活躍した作家45人の名作95点が展示してありました。美術の教科書などで見たことのあるような東郷青児氏、安井曽太郎氏、宮本三郎氏など作品も有り、写真では判らない筆のタッチや作品の大きさなどはやはり実物を見ないとだめだなと感じました。また写真で見るとわりと明るく見える作品が実物は全体的に暗さを感じました。しかし、最後に展示してあった岡本太郎氏の作品は原色がふんだんに使われて目立つそれまで見たものと違う物でした。
二科展は今年90回目で、展覧会は9月1日から開催されており大阪は11月1日から13日、京都では11月30日から12月11日に開催されるのでどちらかで観に行きたいです。


秋の芸術鑑賞の後は食欲の秋でもあるので相当久しぶりに道頓堀筋へ行ってきました。やはり日曜とあって人、人、人。有名なたこ焼き屋の前には長蛇の列。そして食べ物やさんは軒を並べて食欲をそそっています。さすが「食いだおれ」の大阪ですわ。おのぼりさんの様に写真を撮ってきました(笑い)



あっちにしようかこっちにしようか迷った挙句、づぼらやのふぐ一人鍋定食を頂きました。

あっ勿論、たこ焼きも食べましたよっ。
芸術の秋、食欲の秋満喫です。

花の金平糖

2005-10-29 11:41:58 | 自然、花
田圃の畦道など湿地にごく普通に見られる花。花塊がおいしそうな金平糖のように見えませんか?
タデ科イヌタデ属の一年草で葉が蕎麦の葉に似ていて田圃の溝の様な湿地を好むので「溝蕎麦(みぞそば)」と名づけられたそうです。また実も蕎麦の実に似ているからと言う説もあるそうです。

何処にでも見かけるような雑草ですが群生していると綺麗です。
こんな道端の小さい花に目を向けるのも良いもんですよ。

画像追加

近所でこんなに群生していました。

西条祭り「伊曾乃神社」例大祭

2005-10-19 23:02:39 | 西条市、西条祭り
17日の朝7時過ぎ我が家に帰宅したら、生け垣の金木犀は散ってしまってもう香りもしなくなっていました。

14日の夕方から16日夜まで愛媛県の西条市の「伊曾乃神社」例大祭に参加するため実家に帰省していました。
15日は0時を過ぎるとお宮出しのため、各氏子町内の80台に余るだんじり、御輿台(みこし)が動き始め、伊曾乃の杜に御神輿(ごしんよ)を出迎えるために集まり奉納します。

当初は一人で帰るつもりでしたが、長男が「玉津のおばぁちゃんと新居浜のおじぃちゃん、おばぁちゃんに会いたいし、祭りももう一度観てみたい」と言うので一緒に帰省しました。あと二つ目的は最近買った中古の車で走りたかったのと(一人で長距離は不安で)、私が無茶をしないための監視もあったようです(苦笑)
[祭りが観たい]が一番でないのはやはり此処で生まれ育った者でないので仕方がないのかもしれませんが、私にとってはちょっと寂しいですね。

石岡神社のログに書いたようにお宮出しはお参りだけして、参道を奉納に上がって来るだんじりを横目に、土砂降りの雨の中を旧イレブン跡の長男が待っている臨時駐車場まで後ろ髪を引かれる思いで戻りました。祭りに関しては息が合いません(寂し)

天気が良ければお宮出しを観て、七泰会や川人会のだんじり寄せや、御輿台とだんじりの練りあう場所を巡ったり岩岡さんのお宮入りを観て歩くつもりだったのですが、とりあえず実家の古い方の家で伯母の帰りを待つことにしました。
新しい方の家には従兄弟は勿論、嫁さんも子供達もお宮出しに出かけて居ないはずですから…西条人は老若男女皆挙ってだんじりの集まる場所に駆けつけるんですわ。
暫くして伯母が戻って来て「さぁさぁ新しい方の家へ行こ」と着くなり「カニじゃ、食べんかい!」と出された蟹は甲羅が大人の掌二つ分程もある「ワタリガニ」と言う茹で蟹で、西条祭りには欠かせないこの時期の祭り料理の一つです。しかし写真を撮り忘れたのは残念!

午後になっても雨は小康状態になったり、本降りになったり完全に上がる気配はなかったので、まず近藤泰山と言う彫り師が彫った七台のだんじりが集まる[七泰会]を観に行きました。
玉津だんじりもその中の一台で「玉津だんじりはよそのと彫りが違うなぁ」と子供心に思ってました。市塚はよく似ているし他にも有るなと思ったのが、やはりこの泰山屋台だったのかと近年「西条祭りホームページ」で知ったわけです。
その西条祭りHPの画像掲示板「楔」は写真を投稿できるので、いろいろな情報を画像付きで写真を持っている人がそのつど写真の欲しい人の要望に応えてあげています。
また「伊曾乃例大祭 西條祭り・西條」サイト(不二さんのサイト)では携帯電話からでも書き込みが出来る実況掲示板で、実況をしてくれ帰省出来ない人たちへ祭りの臨場感を配信してくれています。ほんとに便利な世の中になりましたね。
また西条祭りを研究している人も沢山居られてその文献なども沢山あるようです。

伊曾乃神社は成務天皇二十八年(158年)に創建、祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)が祀られ、昭和十五年には国幣中社に列格した由緒の有る神社です。また昭和57年には皇太子殿下浩宮様も御親拝されたそうです
祭りの発祥は定かではないのですが寛延3年(1750)と記されている文献もあり、江戸後期藩主松平候が江戸城中で仙台藩主伊達侯とお国自慢をされた際に贈ったとされる絵巻物が社宝として宝物館に納められています。
http://www.shikoku.ne.jp/isono/hyoshi/houmotsu/houmotsu-kan.html

15日に神様を還した御神與はお宮だし後、各氏子地区に渡御して神幸祭が執り行われます。そしてお旅所で一泊するので翌朝また各だんじり、御輿台がお迎えに行くのが16日のお旅所祭で再び堤燈に蝋燭の火を灯して集まり勇壮な練を展開、披露するのです。


御神輿 本町 お供だんじり
16日は15日の雨がうそのようあがり満月に近い月までも顔を見せていました。

出発前の玉津三屋台

下喜多川御輿台

中西 御輿台 本年新調 都町、昨年新調 西新町、富士見町だんじり(不二さんの実家の地区のだんじり)

上川原、都町 八丁そろそろ新調の話のある江戸さんの地区のだんじり
そして東の空が明るくなる頃だんじりは整然と並んで御殿前へ集結します。昔は藩主に挨拶とお披露目をするためだったのでしょうね。

伊曾乃の花形御輿台 中西、下喜多川、朔日市の御輿台 お堀端に集まっただんじり

七泰会 新町 今年新調 都町 七泰会 玉津

下喜多川御輿台 朔日市御輿台  中西御輿台
御輿台は伊曾乃祭礼の花形で4台あるのですが今年は喜多濱御輿台が奉納していなかったので寂しかったです。
そしてこの後16日は一日市内を巡行し自氏子地区を通る時はかき比べを披露します。
実家の近く玉津橋にも全屋台が集結し橋の上では玉津3屋台がかき比べをします。

 玉津地三屋台のかき比べ三台同時に差し上げです 右端横黒はさんとうこうさんの地区のだんじりです

神戸、大町地区のだんじり 神拝地区のだんじり

玉津地区だんじり  西条地区のだんじり

この後また順次市内を巡行して、お旅所を経て加茂川東岸を目指します。そして市内お神楽場で神幸祭を終えた御神與が加茂川を渡って伊曾乃神社に戻るのですが、加茂川を渡ってしまうと祭りが終わってしまうので、渡らせるのを遅らせようと神戸地区のだんじりが川の中に入り、御神與とだんじりが川の中で練りあうのが「川入り」と言う伊曾乃祭りのクライマックスシーンです。そして御神與が加茂川を渡りきり、西岸にあるお神楽場で最後の神幸祭を終えると二日間の伊曾乃例大祭は幕を閉じます。

しかし、まだまだ名残惜しい氏子はこの後堤燈に火を入れ、各地域に別れて後夜祭と称するかき比べを行います。また14日の夜にも前夜祭と称して集まる地区もあり少しでもだんじりを触って居たいのが西条人です。

玉津の家で従兄弟たちと話しに夢中で遅くなり川入りを観に出かけたのは良いのですが、着いた時は既に御神與が川から上がった後でまさにあとの祭りになってしまいました(苦笑)川入りで会う約束していた友人とも会えずすみまっせんm(_ _)mしかし、懐かしい人と沢山出会えて良かったです。
そして、伯母や従兄弟夫妻、地区の方々にもお世話になるだけで、やりっぱなしで帰ってきたので申し訳なく思っています。皆さん有難うございました。

西条祭り「石岡神社」例大祭

2005-10-19 07:17:23 | 西条市、西条祭り
私のブログにコメントをして頂いているマモタンさんの地区の氏神さんである「石岡神社」は14、15日に秋の例大祭が行われました。
15日の未明、西条に帰着後「伊曾乃神社」の例大祭のお宮出しがあったのでお参りをすませたらグッドタイミング、玉津だんじりが奉納をしていたので門の中から観て、その後を追いましたが何しろ14日の夜から降り始めた雨が凄かったので見物は諦めました。
その日の夕方石岡神社のお宮入を見に行きました。
到着したら既にだんじり、御輿台は本殿前、桜の馬場に上がり野々市の御輿台だけが参道に居ました。

暫くすると大鳥居まで下げ据えてしまいました。
雨はひっきりなしに降り続き桜の馬場は田植えが出来そうなくらいぬかるんでましたが、ちょうど竹ノ内の御輿台を主に上之浦、下町、朝日町、西田のだんじりが大きな透明のビニールシートをすっぽりと被せられ練っている最中で、上之浦のだんじりが近くに寄って来た時、マモタンさんが横に付いて居たので出会うことが出来ちょっと話をして戻って行きました。


しかし、この雨降る中全身びしょぬれになりながらでもこの[じるたんぼ]の中を練り回るほんとに西条人は[祭りバカ]です。因みにこの[祭りバカ]は西条人にとって最大級の褒め言葉なので誤解無く。(じるたんぼ=ぬかるみ)

また暫くすると御神輿が桜の馬場に入って来てそこに居ただんじり御輿台が総出で最後の練りを始めました。

そんな中上之浦だんじりが一番に参道を降り始めたので後を追って桜の馬場を後にしました。
そして撮った写真がこれです。

前を引っ張るマモタンさんと話をしながら氷見駅前で待っていた小さい頃にしか会って居なかった長男に会って貰い明日の約束を交わし別れました。

石岡神社の氏子の皆さん今年は本当に雨で最悪でしたがお疲れ様でした。初めて行った石岡さんで土砂振りに見舞われましたが西条人の心意気を見せて頂きました。来年は15日が日曜となるのでまた出来たら帰省したいなと思います。
来年は晴天になります様に!!!


金、銀?木犀

2005-10-14 01:05:02 | 自然、花
今、我が家の生垣の金木犀がいい香りを漂わせています。

家を建てた頃に近所のホームセンターで購入して自分で植えた金木犀です。
その中になかなか花を咲かせない木が3本あり、何でだろうと思っていたら近年になって白い花を少しだけ付けるようになってきました。調べてみると金木犀の母種の銀木犀は白い花を付けるとありました。

これかなと言う事で我が家には金銀の木犀が揃いました。しかし銀木犀の花付きは僅かでまるで何も咲いてないようで少し寂しい感があります。何とかもっと花芽を付ける方法はないものか、どなたかご存知でしょうかね。

因みに金木犀は草津市の木に指定されています。ですからある新興住宅へ行くと、どの家も生垣に金木犀が植わっていてこの時期、金木犀の香りがむせ返るほど匂います。


また金木犀の香りは故郷西条の祭りの香りでもあるのです。
明日から2日間その祭りのために帰省して二十数年ぶりに参加してきます。
どうか良い天気になりますように!!!

大津祭り

2005-10-10 07:07:47 | 歳時記
10月8日、9日は湖国三大祭の一つ「天孫(てんそん)神社」の祭礼「大津祭り」でした。
以前は体育の日が本祭りでその前日が宵宮でしたが、ハッピーマンディーの祭日変更に伴い体育の日の前々日が宵宮、前日の日曜日が本祭りとなりました。ですから年によって日が替ってしまう訳です。

「天孫神社」は「四宮大明神」「天孫第四宮大明神」等とも呼ばれ延暦年間に創建されたという事らしいのですが、これには確証は無いそうです。
通称「四宮さん」で通っている天孫神社は「彦火火出見尊」「国常立尊」「大己貴尊」「帯中津日子尊」の四柱が祭られ四宮の名は祭神が四柱であるからとか、主神の彦火火出見尊が天照大神の第四代目にあたるなど、その他いろいろな伝説があるそうですね。

大津祭りは江戸時代初め、鍛冶屋町塩売治兵衛が狸面で踊った事からはじまったとされ寛永15年(1636年)からは三輪の曳山をつくり、やがて元禄、安永年間に現在の曳山がととのえられたようです。

江戸時代の大津の経済力を象徴するゴブラン織りや、装飾金具に飾られた絢爛豪華な13基の曳山は、8日の宵宮では赤いちょうちんが飾り付けられ「コンコンチキチン」の祭囃子が夜空に響いていたそうですが宵宮は見ていません。

本祭りでは市内を巡行し曳山それぞれに中国の故事や、能・狂言からとりいれられた「からくり」が「所望」の場所で観られて、大津町衆の心意気がうかがえました。
(大津祭り観光パンフレット参照)

くじ取らず 西行桜狸山(さいぎょうざくらたぬきやま)寛永12年(1635)

1番 月宮殿山(げっきゅうでんざん)安永5年(1776)

2番 神功皇后山(じんぐうこうごうやま)寛延2年(1749)

3番 石橋山(しゃっきょうざん)宝永2年(1705)

4番 源氏山(げんじやま)享保3年(1718)

5番 西王母山(せいおうぼざん)明暦2年(1656)

6番 湯立山(ゆたてやま)寛文3年(1663)

7番 猩々山(しょうじょうやま)寛永14年(1637)

8番 西宮蛭子山(にしのみやえびすやま)万治元年(1658)

9番 孔明祈水山(こうめいきすいざん)元禄7年(1694)

10番 郭巨山(かっきょやま)元禄6年(1693)

11番 殺生石山(せっしょうせきざん)延宝元年(1673)

12番 龍門滝山(りゅうもんたきやま)享保2年(1717)

からくりの所望は折を見てパンフレットより説明したいなと思います。

大津祭りも京都にいる頃ですから28年ぶりに観に行ったのですが、祇園祭同様曳山は豪華絢爛、優雅で美しかったです。囃し方は午前中は黒羽二重の紋付から、午後は派手な長襦袢を引っ掛けてお囃子をし、山の上から厄除けの粽や手ぬぐいなど観客や町家の窓をめがけて放ったり、町全体が祭りを楽しんでいる光景に好感を持ちました。曳山の後を付いて歩くのもよし、所望の場所に先回りする事も出来たり西条祭りのように氏子主体の主催者、住民、観客一体の祭りのようでした。


蕎麦の花と昆虫たち

2005-10-05 07:09:58 | 自然、花
日本中央競馬会栗東トレーニングセンターの南側辺り、栗東市美の郷に蕎麦の畑を見つけました。

日本蕎麦の発祥地は滋賀県の伊吹町とされている(諸説あるが)ので、伊吹山の麓、湖北地方では沢山栽培されているかも知れませんが、湖南地域、草津、栗東辺りでは初めて見る光景です。

まぁ蕎麦どころ長野辺りの蕎麦畑には敵いませんが、それでも一反歩ほどの広さ一面に白く咲き誇って綺麗でしたよ。
そんな白い花に魅せられたのか蝶や蜂が沢山群がって来ていましたわ。
ツマグロヒョウモン
クマバチ
稲刈りも終わり夏の花も少なくなった今、蕎麦畑は虫たちのオアシスのようです。

栗東自然観察の森

2005-10-03 23:37:01 | 自然、花
日曜日、栗東ガイドに栗東自然観察の森で絶滅危惧種のミズアオイの花が咲いていると、新着アルバムに写真が出ていたので観てみたくてAM9時過ぎに出かけました。

ネイチャーセンターに入園の報告をして番号札を貰い、ミズアオイの植わっている所に案内して頂いたのですがもう花は咲き終わっていました。ホテイアオイに似た花でブルーの花だったそうです。また白色の彼岸花も写真にあったのですがこれも既に時遅し、花茎にしおれた黄色い花弁を残したプランターが置いてあり、確かに白い花だったことは覗えました。

森の中に入ると足元からハンミョウが飛び立ち数メートル先に着地して待ち構え、近づくとまた飛び立ち同じことを繰り返し、まるで道案内をしてくれているようでした。このことからハンミョウは「みちおしえ」とか「みちしるべ」と呼ばれ、見てのとおり美しい体色はまるで宝石のようです。この画像はゆっくりカメラを近づけ1メートル以内でやっと撮影できました。
       
その後案内図を見ながら山中を見て周りましたが、全部見て周ろうと山を登ったり降りたり、日頃の運動不足で息は切れ足は上がらず体力の無さを実感しました。その途中、所々にビニール紐で印しをしてある、秋の七草やその他咲いていた花を撮ってきたので見てください。

ツリフネソウ                             ヒヨドリバナ

ツユクサ                               ゲンノショウコ

キセルアザミ                             タデ
       
       フィトンチッドたっぷり森林浴が出来ました。