conparu blog

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命の軽重は

2011-05-11 23:17:00 | 日記
津波がもたらした膨大な残骸処理の長びく中で、残骸に埋もれながらも事業の再開に希望を托した人もいる。被災地を助けようと、被災地の物産展を催す首都圏の協力団体もある。原発の立地と受益の関係があるにしても、ここには他者を思いやる心があります。

福島第一原発の復旧作業が長期化する中で、放射能の飛散が深刻さを増してきました。生活圏から弾き出されるように、20~30キロ圏内の住人が他所へ避難しなければならなくなった。

他所へ行っても避難者として無為に過ごす苦痛は耐えがたい。避難者としても何か役務を見つけて、と言っても当事者にしか分からない事情もあるだろう。非常事態にあって、充足した生活は望めない。

昨日だったか、のニュースで、飼っていた牛を野に放って避難した人が、久々に一時帰宅してみると庭は糞だらけ、牛は何処かで悠々自適の草を食んだ跡があったと言っていた。

自由の身と云うには辛い環境だが、牛にとっては仲間と共生している喜びもあろう。
一方で保護する対象と殺処分にする不合理な区分けもある。肉牛は保護して乳牛はなぜ殺処分なのか、殺処分のあと肉牛として処理すると言うのだから支離滅裂で牛権を無視している。

一時帰宅のある人は、飼い犬の死体に火をつけない線香を手向けていた。避難している間に餓死したその犬は、家族にとって家族同様の存在であるはず。単なるペットではない。

役所では野犬化を避けるために、鎖に繋ぐか檻に入れて避難しろと言ったらしいが、あまりにも知恵が無いではないか。
少なくとも集団で預かり世話をして、事態の終息時に帰すくらいのことはやって欲しかった。

ペットの問題ではあるけれど、基本的には命の問題であるから、人間に向ける視線にも軽重の差別が起きないか、ちょっと心配になった。

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