conparu blog

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今日という日

2024-03-10 21:25:30 | 随想

3月10日、毎年巡ってくる忌まわしい79年前の記憶、と言っても歴史上の記憶に他ならないのだが、東京大空襲のニュースが報じられている。B29の大編隊300機以上が来襲して10万人の民間人が死亡したこと、焼夷弾の絨毯爆撃により東京都の4分の1の家屋が破壊され焦土化したことなど、記録による知識しか持ち合わせていないが、現今のロシアによるウクライナ侵略やイスラエルのパレスチナ、ガザへの無差別攻撃に重なるところがある。多くの民間人が犠牲になっているところに、非情な戦争の酷たらしさを見せつけられるのだ。あれから79年が経っても人間の知性は地上に滞留し、理性は20世紀のガラスの天井に覆われている。どうしようも無く人間の我が儘が幅をきかせて、私という個も含めて世界の時流にブレーキをかけている感が否めない。
人は何かを信じて生きているけれど、信じる対象が今ほど希薄なときもない。三大宗教でさえ、混沌の時代であれば頼れるはずの心の安息地なのに、頼り切れない空疎感が漂う。本来の仏教を除けば、と一言を入れておこう。イスラーム教は信者にとって絶大な信奉の的であろうから、その信仰の力は認めなければならないが、信奉の外にいる我々には内的なところはわからない。ただ外で起きている争乱の激しさに宗教そのものが追いつけていないもどかしさを感じるのだが、どうだろうか。産業革命以来の物量主義に奔走して生活の豊かさを求め、それなりの発展があり便利な社会を構築してきた。さらに利便を追求して次世代の通信技術で革新的な新世界を、と思っているところで地球にオデキができた。いや、人倫の健忘症である。物量と金銭主義の先に幸せはあるか?今はその狂騒の中にある。

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