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目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

人の思いつきに命をかける。 本当に酔狂なことですねえ。

2022-07-26 05:21:05 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
おはようございます。
今日のお江戸はレイニーデー☔
七月の雨ですね。

これが九月なら、九月の雨なのですが。
(本当に九月の雨は優しいのかな?)

人間の認識対象は六つ。
それぞれ六つの認識能力を使ってこの世を楽しんでいるのです。
思考にも認識対象があるんですよ。
これを仏教では法(ダルマ)と言います。

いくらダルマと言ったところで、それは暇人の思いつき。
そんな暇人の思いつきを大金を払って聞きに行く。
本当に酔狂なことだと思います。

それで救われれば救いの種になるんですがね。
いつしか暇人たちに食い物にされるんですから、何だかなあと思います。

私らの世代は、ちょうど物心がついた頃に、浅間山荘事件とか第四次中東戦争とかがあったので、ダルマを信じてろくでもないことをしでかす大人たちをみてきましたから、なんかそういうイデオロギー云々の話を聞くと、アレルギーが出てくるのでございます。

人の思いつきをお金を払って聞きに行って、それで救われればいいのですが、家庭不和の原因になっちゃあたまらないのであります。

さてと、今日は何をしようかな?
そうだ。
近所の病院に行くんだった。

死なない病気でだらだらと病院に行って、毒を飲まされるのもおかしな話。

うつみんさんだっけ?
彼の言うように、死なない病気なら、医者にかからず気を楽にして、のんびり生きた方が長生きするのかもしれませんね。

とにかく世界一幸せでおっかない連中が信者。
人の思いつきに命をかける。
本当に酔狂なことですねえ。

そんなわけこんな訳で、今日もいい日になりますように。
以上IKMT。

しんぶんクロハタ、夏休み前半特別号!

2022-07-25 17:26:04 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
内閣人事局の屈辱に震える日本官僚機構が、そう易々と内閣予算局なんて作らせるはずがありません。

安倍一味に高級官僚の人事権をとられたあげく、解釈改憲、公文書改ざんなどで失墜した官僚機構の信用。そのあげくに予算編成権まで政治家にとられてたまるものかとの、霞ヶ関の怨嗟の声が私の耳に聞こえるような気がしてなりません。

私は山上容疑者が母親の献金問題のいざこざで、安倍さんをテロったなんていう大本営発表警察発表は信用していません。

奈良県警本部長の鬼塚さんは、警備公安警察畑を歩いてきた人だと聞きます。

その彼が、いつも安倍さんの演説に来ていた山上容疑者の警備情報を知らないはずがありません。

火事の時ですら、放火犯がいるかもしれないという理由で警察が野次馬の写真を撮っているのですから、ましてや大物政治家の演説をや。

となると、日本官僚機構の政治判断と警察人事の利害関係が一致したから、あの雑踏ざる警備で安倍さんを消したという筋の方が、私にはしっくりくるのです。

そもそも、山上容疑者は統一教会分派信者で元自衛官。
それだけで政治臭がプンプンします。

それに、安倍さんという大物に、ロシアウクライナ問題の仲裁役の白羽の矢がたたないはずはありません。

トランプに顔が利き、プーチンに顔が利き、ゼレンスキーなんて小物は赤子の手をひねるように扱える安倍さん。

となると、ロシアとウクライナを戦わせて喜ぶ勢力が、プーチンとゼレンスキーの仲介役である安倍さんを消した。

そしてロシアに顔が利く、森義朗さんを威嚇したという筋も!

そんな筋はスパイ小説筋ですがね(笑)。

まあ、妄想にしか過ぎないので、この妄想はこのぐらいにしておきます。

以上、ああ、腹が減った。
ご飯でも食べるかのIKMT。

セミが鳴いたら梅雨明けでございます。

2022-07-25 08:14:21 | いけてつ独り言
おはようございます。
今日のお江戸はファインデー☀
いいお天気でございます。

先週の土曜日、親を病院に送迎するときにセミをみました。
昨日は多摩中央公園でセミの鳴き声を聞きました。

セミが鳴いたらもう梅雨明けですね。

話は変わりますが、大体東京は太陽が獅子座に入る頃、セミが鳴いて梅雨が明けます。

毎年そうです。

あるお坊さんが、セミとかそういう生き物は神通力があると本に書いていますが、本当なんですね。

さて、人間の神通力はなんなんだか(笑)。

犬猫や昆虫にさえ神通力があるんですから、人間にないのはおかしいです。

さてと、目覚めのコーヒーでも飲んで、頭を起こしましょう

そんな案配のIKMTでした。


生まれてきてすみません。(これまた太宰治じゃないよ)

2022-07-23 23:51:02 | いけてつ独り言
私の目から見て、私の母は私の父を軽蔑し拒絶しているかのように見えた。
そして私の母が私の父を虐待してるかのように見えた。

もしそれが事実なら、私が生まれることなく、私の妹が生まれるはずがないのであるが。

このことはかつて私と遊んでくれたお姉さんが言っていた。
「もし夫婦が不仲なら、お姉ちゃんだけ産んで、私やお兄ちゃんを産まなければいいのに。」という言葉である。

さて、このような家庭環境の元に育った私にとって、私の出生は決して周囲、いやさ親に祝福されたものではなく、呪われたものであるという考え。

これに行き着くことはたやすい。

なぜならもし私が生まれていなければ、親は簡単に離婚でき、第二の人生を歩むことができるからである。

絶えず親の幸せのために自分の出生を呪う。
これが意識化できない心の奥底の自己呪詛として存在すれば、生きるのが楽しいわけがない。

なぜなら、親の犠牲の下に、自分の生があるからである。

これは自己中心的な人、あるいは自分の罪を直視しない人にとっては理解不能であろう。

まあ、無用な争いは避けるが、私の周りにおける統合失調症患者の主張を聞けば、自分の出生に対する呪詛があったことは書いておこう。

それだけ子供にとって、両親の不仲、あるいは片親のずるさというのは、子供の心にとって致命的なとげになることをここに書いておこう。

以上、IKMT。