障害のせいでどうしてもできないことはある。
それはどうしようもないことだ。
でも、だからといって、それで楽しい人生を諦めてほしくない。
右手が使えなくなったら左手がカバーしてくれるように、人間の体はそういう
ふうにカバーしてくれるものだし、それに周りの心ある人たちがカバーしてくれるものだ。
私も薬を飲まないと、変な考えが意識の中に乱入してきて、物事に集中できなくなるし、かといって薬を飲めば、一日中寝てしまう。
それでも家は回っている。
もちろんそんな自分に嫌気がさすこともある。
でも、だからといって私は障害でどうしてもできないこと以外は、人生を諦めたくない。
そうなのだ。自分ができなくても、ほかの人たちがカバーしてくれる。そして私は自分のできることで、家や団地、そして仲間をフォローすればいいのだ。
そんな風に思えるようになった。
こうやって仲間を鼓舞することだって、きっと仲間の役に立っているはずだ。
私はそう思うのだ。
こんな風になって、私は周囲の人間の優しさが身にしみてわかる。
できないことをカバーしてもらっても、周りの人たちは、してやったと恩着せがましいことはいわないし、私も素直にありがとうがいえるからだ。
だから障害があるから、自分は余計者だとか、人生を諦めたなんていってほしくない。
本当にそう思う。