教学:
教学なんてものは、釈迦が嫌った観念のおもちゃだ。
今溺れている人に必要なのは、浮き輪であって、水泳法の講義ではない。
そんなことは子供でもわかることだ。
教学。
人の脳みそを縛る縄だ。
大体、カルヴァン以前は懲罰だった労働が、なぜカルヴァン以降は救済の証になるのだ?
んな話は嫌って捨てよう。
イスラム教学では、ムハンマド以降は予言者は出ないはずだから、カルヴァンは予言者ではないのだ。
もっともキリスト教学とイスラム教学は違うが。
そんな案配で、大真面目に考えれば、突っ込みどころ満載なのが教学である。
安倍晋三氏国葬:
話は飛ぶが、安倍晋三さんの国葬。
やりたいやつがやって、悼みたい奴が悼めばいい。
日本は自由主義国家だ。
アベさんを悼む自由もあれば、それを拒む自由もある。
だいたい国葬令は勅令であり、1947年の12月31日に失効している。
つまり吉田茂さんの国葬も、今度閣議決定されたアベさんの国葬も、すべて法的に根拠のない、でたらめな祭典だ。
安倍晋三氏の法令蹂躙っぷりもすさまじかったが、後継者の岸田文雄氏もなかなかどうして。
それはさておき執行府とその長である、内閣と内閣総理大臣が、こんな遵法意識では、実に寒心する思いだ。
せめて政令かなんかで、国葬令に変わる国葬法令を定めるべきであろう。
せっかく国会で絶対多数を占めているのであるから。