孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

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自然豊かな“薩摩硫黄島の旅” Part 2(11月13,14日)

2021年11月19日 10時17分22秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

自然豊かな“薩摩硫黄島の旅” Part 2(11月13,14日)

 

11月13日、三島航路のフェリーの出航は9:30なのでホテルを8時過ぎにチェックアウトしてタクシーで南ふ頭に向かう。南ふ頭に到着し、乗船の手続きを行う。新型コロナの影響で観光客の渡航が解禁されたのは、ごく最近の事。それでも乗船するためには、2週間の体温・体調の管理表、新型コロナの2回の接種済みの証明書が必要。

これらの書類を提示して無事にチケットを購入してフェリーに乗りこんだ。フェリーは定刻に出向し、桜島を横に見てフェリーは南下した。 硫黄島まで鹿児島から約100km。

桜島から噴煙が見えます。

やがて開聞岳(924m)が見えてきました。 写真では見て知っていたけど開聞岳ってきれいな三角形の山なんですね。

フェリーのラウンジです。 行きはガラガラでした。

外洋に出ても海は穏やかで、竹島に停泊した後、薩摩硫黄島に向けて船が進み、硫黄岳が大きく見えてきた。

そして13;30頃に薩摩硫黄島の港に入港し、港では子供たちが太鼓と“ジャンベの踊り”で出迎えてくれた。

港の中は温泉の色で赤茶色に変色していて、硫黄岳の噴煙と対比すると、とっても神秘的な雰囲気。

“ジャンベの踊り”

宿(キャンピングカー)に到着し、夕方に周囲を散策した。14日は、アマチュア無線でのコンデションが低下する昼間の時間帯に3時間ほど島を観光した。以下は13日と14日の観光の写真です。 平家にまつわるものが多いのにはビックリしました。

 

流刑された俊寛の像

Wikipediaによると、

『平家物語』によると、鬼界ヶ島に流された後の俊寛ら三人は望郷の日々を過ごし、成経と康頼は千本の卒塔婆を作り海に流すことを発心するが、俊寛はこれに加わらなかった。やがて、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着く。 これに心を打たれた平清盛は、高倉天皇の中宮となっている娘の徳子の安産祈願の恩赦を行う。

翌治承2年(1178年)に船が鬼界ヶ島にやって来るが成経と康頼のみが赦されており、俊寛は謀議の張本人という理由から赦されず島に一人とり残された[4]。俊寛は絶望して悲嘆に暮れる。 翌治承3年(1179年)、俊寛の侍童だった有王が鬼界ヶ島を訪れ、変わり果てた姿の俊寛と再会した[6]。有王から娘の手紙を受け取った俊寛は死を決意して、食を断ち自害した。有王は鬼界ヶ島より俊寛の灰骨を京へ持ち帰った。

 

俊寛堂

山の中、琉球竹のトンネルの中を進むと俊寛堂があります。

この琉球竹のトンネルの地面は、きれいな緑の苔の道です。フワフワした道を歩き、とっても不思議な場所でした。

安徳天皇の墓所

平家が滅びた壇ノ浦の戦いで,入水し崩御したとされる安徳天皇が実は硫黄島へ逃げ落ちて余生を送ったと言われる「平家の落人(おちゅうど)伝説」があり、その墓石群がありました。

東温泉

大海原を眺めながら入ることができる東温泉。 波が高い時は危険でしょうが、今日は波も静かで他に観光客も来なかったので、この東温泉に入ることにしました。

山から海に温泉の源泉が流れ込んでいる場所もあります

東温泉の風景です。 いいお湯でした。 3つの浴槽があり、一番温度が低い場所で大自然を眺めながら入浴しました。

ここが温泉の着替える場所です

 

平家城展望台

島の北東側の高台です。景色が良く、海岸の海の色が変化している(温泉の影響)が良く分かります。隣の島(竹島)が見えました。

この竹島が鬼界カルデラの反対側です。 そして竹島の手前に小さな島が見えますが、旅行後に調べたら、この島の名称は昭和硫黄島(無人島)。

昭和硫黄島は1934年にできた新島で300mの深さの海から火山活動によって島が出来たので、自然のすごさを感じる。

当時は戦前の時代だったので、現在の時代なら、海底火山で島が出来たという話はトップニュースでの報道で大騒ぎになっていたことでしょう。 小笠原の方でも新島活動活発ですよね。

見晴らし展望台からの眺めですが、海水の色が違うのは温泉の影響です。

中村勘三郎の俊寛の像

第18代中村勘三郎が硫黄島で歌舞伎“俊寛”を上演したことを記念した像が建てられていました。

恋人岬などから見た風景

両側が切り立った小高い場所、ここはカルデラの端っこの上です。そこからの眺めは大自然のすごさを感じさせてくれます。

噴煙をあげる硫黄岳、港から温泉が噴出しているため海の色が赤茶色に変色した港などなど。

“ボーーー”という汽笛の音が聞こえてフェリーが入港してきました。

フェリーが鹿児島から入港してきました。

港と硫黄岳(703m)、手前の山は稲村岳(236m)を望む眺めです。

 

硫黄島の飛行場の建物

この飛行場の滑走路は600mなので離着陸できるのはセスナ機程度で、鹿児島空港間の運賃は30000円。鹿児島空港から1時間以内で来れるので便利だけど、運賃はちょっと高いので、今回は敬遠しました。 バブル時代Y社がリゾート開発して飛行場を作ったのですが、バブル崩壊し現在は村営の飛行場です。

 


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